ファウナの正体

 ファウナが席を外すと、二人きりになった。


 知り合ったばかりで、なかなかに気まずい。それに、もともとミランはあまり人付き合いが好きなほうではない。人と森、どちらにも寄らないという〔神狩り〕としての性質というよりは、単に性格の問題である。


 ミランは孤独が苦にならない。誰かとわいわい騒ぐよりも、一人で黙々と雑事をしているほうが気楽なくらいだ。


 ファウナとの共同生活にもいまだに抵抗があるのに、今日からフローラまで寝泊まりをするという。性格はともかく、二人とも掛け値なしの美少女だ。落ち着かないことこの上ない。これからどうなるんだろう、と途方に暮れてしまう。


「ま、ちょうどいいわ。あなたと二人きりで話がしたかったし」


 先に口を開いたのはフローラだった。ことり、と湯飲みを静かに置く。


「ミラン君。あなた、ファウナを説得してくれないかしら?」


「説得? 何をだ?」


「学科の移籍について。本来の居場所に、あの子を戻すの」


 そのことだろうな、とミランは思った。


「ちょっと驚いているの。あの子、ちょっと前まであんなにはっきり物言う子じゃなかったのよ。他人の意見に逆らえない、自己主張の少ない子だったわ。それが、あれだけの啖呵を切るなんて。でも、ミラン君には懐いているようだから、あなたの言葉なら耳に入ると思うのよ」


 正直、その話題に足を踏み入れるつもりはなかった。あくまで当人同士の問題であり、自分はただの雇われ猟師だからだ。


 とはいえ、こうして話を向けられたならば、自分の考えを答えないわけにもいくまい。曖昧な態度で納得する性根ではないだろう。


「残念だが、協力する気はない。諦めてくれ」


 きっぱりとミランは遮った。


 予想済みだったのか、フローラは動揺せずに続ける。


「もちろん、ただでとは言わないわ。協力してくれたら、ファウナの三倍の報酬をあげてもいい。博物学部において、植物学科だけはお金持ちなの。私なら、それができるわ」


 それは植物学の発展が、薬品や農業などと関わりがあるためだろう。ファウナの言によれば、フローラは救荒作物の研究をしているという。常に不作と隣り合わせの農家にとっては崇め奉られる存在だ。


「金の問題じゃない」


「そう。なら、名前は遺したくないかしら。ファウナが本来の学科に戻れば、歴史に名を刻むほどの偉業を成せる。あなたはその立役者として、共に後世に語り継がれるのよ。歴史に名を遺すなんて殿方の本懐じゃない?」


「名誉の問題でもない」


 取り付く島もないとはこのことか。ミランはフローラの提案をばっさりと切る。


 フローラはこれみよがしに嘆息した。


「お金も駄目。名誉も駄目。……となると、やっぱり体?」


「は?」


 予想外の提案に、ミランは間抜けな声を漏らす。


「いいわよ、お望みなら私の体を好きにしても。自分で言うのもなんだけど、男が好みそうな体つきをしていると思うし」


 フローラは食卓に乗り上げると、ずいと顔を近づけた。長い睫毛に縁どられた、紅の双眸が妖しく光る。


「なんなら、先に味見してもいいわよ」


 フローラはそのまま衣服の留め具に指を伸ばした。さすがにミランも面食らう。


「待て待て待て。どうして、そこまでファウナにこだわる。賢者の事情なんて俺にはわからないが、ちょっと異常過ぎるぞ!」


 ぴたり、と留め具を外す指が止まる。


「……もしかして、ファウナが何者か、知らない?」


「国家賢人であること以外は、なにも」


 それは本当のことだった。ファウナの事情はある程度聞いているが、詳しくは知らされていない。ファウナ自身が詳細を語るのを拒んでいるからというのもある。


「……呆れた。一緒に住んでいて、それなの?」


 大きな溜め息を吐いた。まるで、金塊を漬物石に使っていると聞かされたような表情だ。


 フローラは食卓から降り、衣服を正すと、こう言った。


「ファウナはね、使なのよ」


 その言葉に、ミランは眉を顰める。


「? あいつは、動物学がやりたくて学院に入ったって言っていたぞ」


「ファウナは学院に入って魔法を覚えたんじゃなくて、最初から魔法が使えたのよ。魔法という技能に関しては未解明なことが多くて、実際、魔法使いは先天的な人たちがほとんどなの。しかも、予言されていた第七系統の使い手。ファウナは鳴り物入りで歓迎されたわ」


 ミランの頭上に疑問符が立ち並ぶ。そもそも魔法というものがどういうものか分からない。魔法など日常生活においてまるで縁がないからだ。


 ただ、噂では聞いたことがある。炎や雷を生み出し、風を操り、冷気を放つ。そういった超常の力を持つ者たち。そして、次世代の戦争の要となる兵器とも。


 ただし、学院に招聘されたからと言って、直ちに国家賢人として認定されるわけではない。どんな天才であっても、数年は学生として基礎教養科に在籍する必要がある。先天的な素質を持っている人間はそれゆえに、常識的な部分で欠落している場合があるからだ。


「私も知識としてしか知らないし、あなたもよくわかっていないようだから詳しい説明は省くけれど、ファウナは魔法使いの中でも前例のない素質を持っているの。うまく使えば現代の魔法学を大きく前進させ、万人の幸福の礎になることだってできるわ。……でも」


 ぎり、と歯ぎしりが聞こえた。


「ファウナはその道を選ばなかった。基礎教養学科を卒業後、あろうことか最も冷遇されている博物学部の動物科に進んだの。罪深いことだと思わない?」


 それはファウナも言っていたことだ。自分には特別な才能があり、それがみんなの役に立つことが確約されている。自分がやりたいことを諦めれば、みんなの幸福につながるのだと。だからこそ、決断するまで苦しんでいたのだ。


「学院は原則として学生に学部、学科の選択には干渉はしない。学ぶ自由を尊重しているからね。ただし、その分野における適性がない人間の在籍は許されないし、適性のある学部へと強制的に移籍を命じることができる。けれど、ファウナは……悔しいけど、動物学の国家賢人に認定された。魔法の素質を持つ者は生まれながらに聡明なのが共通点でね。例えば、魔法学科のラフロイグ学科長とか、ロートヴァルトの宰相マルガリータ様とか。でも、聡明だったら魔法を使えるわけでもないらしくて、何か他にも条件があるんでしょうね。ともかく、ファウナは実績を出しているもんだから、本人の意向なしに別学科への移籍は難しいってわけ」


 とはいえ、周囲は納得していないだろう。いくら複数の分野への才能を有していようと、最も有効な選択をしなかった事実には違いないのだから。だからこそ、ファウナはその事実を覆すべく、生態調査で何らかの結果を出したいと思っているのだが。


「ファウナの事情はわかった。でも、肝心なことを言っていないぞ。そもそも、あいつ一人の才能でどうにかなるほど、世の中っていうのは簡単じゃないだろう。なのに、どうして、お前がそこまでする理由がある?」


「……あるわよ」


 ぽつり、とフローラは呟いた。


「私はね、戦争が嫌いなの。簡単に、たくさんの人があっけなく死んでしまう戦争がね。でも、強力な魔法や、それを取り扱う技術を保有していれば、いたずらに戦争を吹っ掛けてくるやつらはいなくなる。抑止力として、この国が平和であり続けるために必要なのよ」


 それは古の賢人の言葉にもあった。百戦百勝は善の善なるものには非ざるなり。戦わずして勝つ、あるいは戦わずして相手を屈服させるのが最上の策である。軍事的優位を取ることは、それだけで無益な戦争を回避させる。


「でも、魔法使いは未だに少数。先天的素質に左右されすぎて、論理も実践も学問としてはまだまだ未成熟。その解析と普及は各国で躍起になっているわ。けれど第七系統の属質を持つファウナが協力してくれれば、その進歩をずっと速めることができるかもしれない。これから先の戦争を、戦死者を減らすことができるかもしれないのよ」


 その言葉を聞いて、かつての俺と同じだとミランは思った。


 フローラには戦争に対する明確な憎悪がある。


 怒りではない。憎しみだ。それにまつわるもの、全てを焼き尽くす妄念だ。魔犬を思い出す。あれもまた、敵国全てを滅ぼしてもなお尽きぬ炎を宿していた。


 悲しい話だ。戦争への憎しみが募るあまり、かつての友にまで飛び火している。ファウナの意思を、気持ちを蔑ろにしている。


「お前の中では、もう一回戦争が起きるって確信しているんだな」


「……え?」


「ファウナが生物学を学ぶのは自分のためだが、同時に生態調査を通じて、戦争の悲惨さを語り継ごうとしている。あいつが言っていたよ。人々が知れば、覚えてさえいれば過ちを防げるって。だから、あいつがやろうとしていることは、俺が……〔神狩り〕がやっていることと同じなんだ。でも、お前は最初から人間を疑っている。人間を信じることができなくなった、ファウナと出会う前の俺と同じなんだ」


「疑うにきまっているじゃない!」


 ばん、と乱暴に机を叩いた。湯飲みが倒れ、食卓を濡らす。


「人間の歴史を考えたことがある? 戦争よ、全部戦争! 争いがなかった期間なんてないのよ? ウェルゴス戦役という最大の戦争を経て、奇跡的に訪れた平和を、大勢の犠牲のもとに成り立った泰平を、恒久のものとしたいと考えるのはそんなに悪いことなの!?」


 ミランは悲しそうな顔をした。その通りだったから。〔神狩り〕の役目も、神代から現代にいたるまで一度も途切れたことがない。人間は過ちを繰り返す生き物なのだ、と断じられてもしかたないのかもしれない。


 ――それでも。


「そうだな。でも、俺は人間を信じたいよ。少なくとも、ファウナが信じた人間を、俺も信じている。だから、ファウナにばっかり責任を押し付けるなよ。あいつだって、充分悩んで苦しんだんだ。友達なら、それをわかってやれよ」


「わかった風な口を利かないで!」


 フローラが激高する。血を吐くような叫びだった。


「わかるの、あなたに! 戦争で肉親を失った私の気持ちが! 二度と戦争を経験したくないという、私の思いが!」


「……わかるさ。俺も、親父を戦争で失くしているからな」


 フローラが息を呑んだ。しかし、それはすぐに怒りに変わる。


「なら、どうして協力してくれないの!」


 その言葉は、、という意味に聞こえた。


 同じ経験をしているのに。どうして、辿り着いた答えが真逆なのか、と。


「さっきも言ったろ。それでも、人間を信じたいんだよ。俺は〔神狩り〕だから。森を愛してはいても、最後は人間の側に立つ者だから――」


「っ――もういいわ!」


 耐え切れず、フローラは飛び出していった。


 しん、と食堂が静まり返った。静寂が耳に痛い。自分の家だというのに居心地が悪かった。


 すると、入れ替わるようにファウナが戻ってきた。


「フローラがすごい剣幕で走っていきましたけど、喧嘩でもしたんですか?」


「……いや。ファウナ、フローラの家族が戦争で犠牲になったのは知っているか?」


 すると、ファウナは悲しそうに目を伏せた。


「……ええ。知っていますよ。彼女のお兄さんとは、わたしも面識がありましたから。お兄さんは軍役に志願して、そしてそのまま帰らぬ人となりました。戦争を憎むという意味では、ミランさんに近いでしょうね。だから、わたしにこだわっているんです。植物学科を専攻しているのも、戦争が起こる原因の大部分は貧困だからです。食べることに困らなくなれば、争いを減らせると考えているんですね」


 やはり、フローラの行動原理は戦争の根絶なのだ。


「学生時代は仲良しでした。フローラは、わたしが魔法学科に進むと思っていましたから。でも、わたしは彼女の期待を裏切って動物学科に進みました。それが、彼女を傷つけてしまったみたいで」


 傷つけたと言うが、ファウナもまた傷ついている。友達の期待に沿えなかったこと。それが原因で仲違いをしてしまったこと。それを気にしないほど無神経であれば、自らの進むべき道について、彼女はそもそも迷うこともなかったのだ。


 悲しいことだった。戦争は、少女たちのささやかな友情にまで影響を与える。いつまでも未来に災いを残す。


 乗り越えなければならないと、ミランは強く思った。


「……追いかけるか?」


 ミランは席を立つ。弓と矢筒。そして、短刀を身に着ける。


 どこに走っていったかはわからないが、辺境の土地は危険が多い。ましてや、土地勘がないのであれば、どこかどのように危険なのかさえわからないだろう。


「はい。どれだけ嫌われても……わたしにとっては大事な友人ですから」


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