祈りの巫女・5


 エリザが運び込まれたのは、八角の部屋だった。

 一番癒しの力が働く部屋であり、最悪の事態は免れた。

 だが、サリサの気分は最悪である。


 結局は、あちらこちらでいい顔をしたサリサの態度が、必ず守ろうと誓ったエリザと子供の命を危険にさらしてしまったのだ。

 自己嫌悪もはなはだしい。

 さらに、医師からお願いされてしまった。

「あの……儀式を諦めるよう、エリザ様を説得してください」

 最悪だ。だが、その役目は自分が負うしかない。


 どのように言えばいいものやら……。


 それなのに、翌日エリザはすっかり元気になっていて、儀式の練習に行くといって、リュシュを困らせていた。

 サリサの顔を見て、リュシュは救い主を見たような、ほっとした顔をした。

「あ、じゃあ私、お茶を入れますね!」

 などと言って、そそくさと消えた。

「ああ、よかった。サリサ様。これで練習できますね」

 エリザのほうは全然事情がつかめていないらしく、にこにこしている。

 医師の言葉を伝えたら……どこまで落ち込んでしまうことやら。考えただけでぞっとする。

 とはいえ、伝えないわけにはいかないのだ。

「あの、エリザ……。まずは、座りますか?」

「座ったら、練習になりませんわ」

「では……少し散歩しましょうか?」


 何のいい考えも浮かばず、サリサは気乗りしないエリザの腕を引きながら、苔の洞窟まで足を伸ばした。

 サリサにとっては懐かしい思い出に満ちた場所だが、エリザはどこまで覚えているものだろうか? そう思うと、少し悲しくなった。

「サリサ様?」

 ついにエリザが不安げに話しかけてきた。

 エリザを日差しが差し込んで温められた岩の上に座らせ、サリサはその下に膝をついた。エリザの膝の上で、エリザの手を取る。

「ジュエルを覚えていますか?」

「ジュエル?」

 エリザはきょとんとした。だが、しばらくすると、頬を染めた。

「あぁ……あの、私の妄想の子ですね」

 寂しそうにエリザがうつむいた。

「もう、妄想などではありません。今、ここにいるのですから」

 サリサはエリザの膝の上に頭を置いた。エリザの手が自分の手からはなれ、髪に触れ優しく撫でている。

「エリザ、お願いです。巫女姫であるよりも、私たちの子供のことを考えてほしいのです」

 髪を撫でている手がとまった。はっとして、頭を上げる。

 エリザの顔にはやや引きつった微笑が浮かんでいた。

「サリサ様……。私は、大丈夫。両方ちゃんとできますから」


 その笑顔が引き裂かれてしまったらどうしよう? 

 泣かれてしまったらどうしよう?


「確実に……子供を産んで欲しいのです」

「大丈夫です」

 頑固者。

 サリサは困り果てた。

「私は不安なのです。儀式の衣装は重いし、けしていい影響はありません」

「大丈夫……。もしかして、サリサ様は……」

 エリザの声が、少し震えている。一瞬聞こえなかった。

「え?」

「サリサ様は……サラ様に儀式に出てもらいたいと」

「違います!」

 慌てた否定に、エリザは寂しそうに笑った。

「嘘つきなのですね」

 さっと血が引いた。誰かが朝食の席でのサラとの会話を、エリザに告げ口したのだ。

「サリサ様が、私の気持ちを考えて嘘をついてくださるのはわかります。優しい嘘だとは思いますわ。でも……今回ばかりは、私に任せて欲しいのです」

 

 最悪である。

 エリザのことを思って重ねた言葉が、逆に彼女を傷つけている。 


「勘違いしないでください」

「勘違いなどしていませんわ」


 あなたが一番大事だから……という言葉を、サリサは飲み込んだ。

 力が足りないという事実を、エリザはすでに納得している。大いなる誤解ではあるけれど、彼女の中では答えが出ているのだ。

「あなたは、どうしてそこまで巫女姫にこだわるのですか? もしかして、家族が来るから? だとすれば、無駄です。誰も来ません」

 エリザの目が不安げに揺れた。

「どうしてそれを?」

 しまった……と思いつつ。

「シェールから手紙が来ていたのです」

「もしかして……父は? 父の体調が悪いから?」

 エリザの声が震えている。これ以上の刺激は危険だ。

「違います!」

「では、なぜ!」

 真剣な瞳に、サリサは目をつぶった。

「最高神官として……このような秘密を巫女姫に伝えるのは……規則違反であって……とても心苦しいのですが……」

「サリサ様!」

 もう駄目だ。これ以上、話をごまかせない。

「実は」

「何?」

「あなたのお兄さんの奥さんに子供ができて……」


 また嘘をついてしまった。


 エリザはぽかんとした。

「え? 私と同じ?」

 心苦しい嘘ではあるけれど、都合がいい嘘である。

「それが……かなり体調が悪いらしくて、とても長旅ができそうにないらしく……」

「兄に、子供……?」

 エリザはすっかり信じてしまったようだ。

「それでも来たかったようだけど、大事を取るべきだと……シェールが提案して……」

「兄に、子供……!」

 エリザの顔は、ぱっと明るくなった。

「あぁ、なんて素敵なの! 郷に帰ったら一緒に子育てできるんだわ!」

 夢見心地のエリザの様子に、サリサはほっとした。と同時に、この嘘がばれたときが怖すぎる。

「あ、あの……。エリザ。このことは秘密ですよ。世間との隔絶を第一にしている霊山の最高神官としては、情報提供なんて許されないことですから」

 うれしそうにエリザはうんうんとうなずいた。そして、いきなりサリサの頭を、がばっと抱きしめた。

 おもわず「むぎゅ……」と唸ってしまった。サリサが知っている胸よりもふくよかで、少し甘いミルクの香りがする。

「サリサ様、わがまま言ってごめんなさい。シェール様の言葉に従った兄の判断は正しいわ! 私、恥ずかしい……」

「え?」

 抱きしめられて恥ずかしいのはサリサのほうである。エリザは、自分の体の変化にあまり気がついていないのかも知れない。

「私、今回は儀式に出ることを諦めます。少しでも子供に悪影響があることは、親として避けるべきだと思うから」

 にっこり笑顔でエリザは言った。


 一応……。

 よかった。

 だが、この嘘がばれたら、と思うと……サリサの憂鬱はまだまだ続く。

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