遺言・3


 何度目かの呼び出しを、サリサ様から受ける。

 きっとあるだろうとは思っていた。なぜなら、あれだけの準備に関わらず、昨夜も散々な夜だったと思われたからだ。サリサ様はお気の毒だ。

 マール・ヴェールの祠に『必ず』エリザ様を連れてくるようにと言われたが、それは無理だった。エリザ様の態度は相変わらずなので、私にはサリサ様の苦悩を和らげる方法をしらない。


 昨夜、かなりひどいことをしてしまった……などと、サリサ様は反省するが、エリザ様は気にしていない。

 なぜならば、覚えてもいないからだ。

 最高神官としての責務とエリザ様との愛の狭間で、苦悩し続けるサリサ様に、私が言えたのはただこれだけだ。

「サリサ様が、どのようなことを思ってどのように生きるかなど、もうどうでもいいような気がしてきました」

 今まで、私はサリサ様に、マサ・メル様のように立派な最高神官であって欲しいと、ずっと願ってきた。

 だが、サリサ様はサリサ様。常に微笑を絶やさないで欲しい。

 ここしばらくの苦悩は、まったくサリサ様に似合わない。

 最高神官として生きたマサ様は、ほとんど笑顔を見せたことがない。

 私が知っている限り、あの方が幸せだったことはなかったのだから。


++++


 エリザ様が、珍しくも私の部屋を尋ねてきた。

 もうかなり遅い時間であり、文章を書いていなければ、寝ていたところだ。


 初めは気のせいかと思うほどの小さなノック。

 それが、何度かはかなげに続く。こんな遅くに誰かと思い、ペンを置いて振り返る。

「あぁ、フィニエル……」

 エリザ様は蒼白な顔をして、しかも何と枕を抱きしめている。まるで悪夢にうなされた子供が、親を訪ねてきたかのようである。

 前代未聞のことである。

 最近は『至らぬ巫女である』ということに激しい拒絶反応を起こすエリザ様のこと、このような行為に及ぶとは、よほどのことがあったのだろう。

「……ごめんなさい。どうしても、闇が怖くて……」

 巫女姫の仕え人である私は、仕え人の控えではなく、巫女姫の部屋の近くに小さな部屋を持っている。

 その続き部屋には、巫女用の衣裳や小物置き場などがあり、さらに薬湯をいれるための給湯室まである。この一角で巫女姫に関することならば、すべて事足りるほどである。

「また、祈り所の闇を思い出したのですね?」

 書きかけの本を閉じ、私は立ち上がった。

 さっそく心落ち着ける作用のある薬湯をいれる。が、そのお湯を沸かしている間でさえも、エリザ様は私の腰ぎんちゃくになっているのだ。よほど一人が辛いらしい。


 だが、私にも徐々に感じ始める。

 なんともいえない、蛇のようにまとわりついては締め付ける邪悪な気。

 エリザ様を狙って、呪いの言葉がうごめいている。 


 サラ様だ。


 意識しているのか、いないのかはわからない。

 先日、エリザ様とサリサ様の夜があったことなど、彼女も知っている。

 しかも、サリサ様はその夜のために特別なことをしていた。八角の闇の部屋を、闇を怖がるエリザのために、花や光で覆いつくしたのだ。

 今まで、夜のためにそのようなことをすることなどなかった。大勢の仕え人たちが、そのために余計な仕事をさせられた。

 これでは、サリサ様がどれだけエリザ様を特別視しているかを、宣伝しているようなものである。

 サラ様はその様子を、キリキリしながら見ていたことだろう。


 そのうえ、この朝、朝食にサリサ様は現れていないらしい。

 それは、サリサ様が計画通りに事が運ばす落ち込んでいるせいだろうが、サラ様は別の要因を考えたことだろう。彼女の嫉妬心を倍増させたようだ。

 サラ様は、心からサリサ様のことを愛している。

 それはわかるのだが、彼女の場合、独占欲が強すぎるのだ。

 だから、サラ様の憎しみは呪となって、闇に踊っている。

 きっとおそらく、これが初めてではないはず。

 エリザ様が洞窟に入れないのも、闇を嫌うのも、祈り所の辛い思い出だけが原因ではなかったらしい。

 エリザ様はサリサ様の気を見事なまでに排除しているが、その分余計に呪詛には弱くなっているのであろう。ついに限界を感じて、私に助けを求めてきたのだ。


「ご、ごめんなさい。このような子供っぽいことをしてしまって。もう今後は気をつけるわ」

 私のベッドに腰を下ろし、恥ずかしそうに薬湯を飲みながら、エリザ様は言ったが、震えているままだ。

 エリザ様は、元々弱虫なのだ。

 無理をしてみたところで、強くなれるはずがない。

「狭いベッドですが、一緒に眠りますか?」

 これは、仕え人の身でかなりおかしな提案に違いない。何よりも私の口から出たことに、エリザ様は驚かれた様子だ。

 だが、それを断って一人になれるほど、エリザ様は強くない。


 一緒に横になると、ふわりと柔らかい感触。

 サリサ様は、ひたすら「エリザはやつれた」と嘆いているが、ここに来てやっと少し、体が戻られていると思う。湯浴みを手伝う私には、よくわかるのだ。

 今でも気を張り詰めていて休めないエリザ様ではあるが、祈り所の闇のほうがよほどきつかったらしい。私も、霊山での日々は辛かったが、祈り所での日々はもっと辛かった。

 エリザ様がくじけそうになって『子供さえできていたら』と思い込んでしまうのも、わからないでもない。

 だが、問題は……このままではいくら時間が過ぎても子供ができるような気がしない。そういう行為に至っていないのではないだろうか? サリサ様は、意外と繊細な心を持っている、というか、小心者だから、このような状態のエリザ様には手を出せないでいるようだ。

 となれば、エリザ様の半年後に待っているものは、やはり祈り所なのだ。


 私にぴたりと寄り添うと、エリザ様は安心したように言葉を漏らした。

「あぁ、ほっとする。人のぬくもりって、どうしてこうも優しいのかしら?」

 抱き心地のいいお人だ。

 このように甘えてあげられたら、サリサ様だって楽になるものを。

「そうして……いつも癒してくださっていた方を、エリザ様はどうしてお忘れになるのです?」

 私の言葉に、エリザ様は少しぴくりと震えた。やがて、ドクドクと脈が速くなってくるのに気が付く。

「あ……私、至らなかったから……」

 何かがあると、エリザ様はすぐにそこに結論を持ってくる。それが、彼女の逃げ道なのだろう。

「誰しも完璧なわけではありません。もっと気を楽にして、頼りたいときは頼ればいいのです。ほら、今夜のように……」

 まだ、呪詛の働きで冷たいエリザ様の指先を握り締める。温かくなっていただかないと、私のほうが冷たさにびっくりしてしまう。

 そっと息を吹きかけた。

 ふんわりと温かくなってくる感触に、エリザ様は目を細め、ふっとため息を漏らした。

 ムテには珍しいほどの艶っぽさを感じる。思わず、そのまま指先をかじって反応を見てみたいほどに。

「本当に……。私、なぜ、もっと早くにフィニエルに頼らなかったのかしら? やっとゆっくり眠れそうよ……」

 私としては、あの方にも頼ってもらいたいところなのだが、それを言ってしまえば、エリザ様はまた再び動揺してしまうだろう。

 今のエリザ様は、薄氷のように繊細で張り詰めている。割れてしまわぬように、正気を保つのに必死なのだ。

 多くのムテ人が、自分の弱さに心を病み、死に至る。

 それを思えば、エリザ様は弱いなりに弱い生き方を心得ているともいえる。それは、逞しい……ともいえないだろうか?

「フィニエル……。ずっと私を助けてね……」

 霊山に戻ってきて、初めて訪れた安眠の夜なのか、いつの間にかエリザ様の声は小さくなって、寝息に変わってしまった。

 自分を失ってしまいそうな時ほど、人にすがることを拒絶してしまうものだ。一人で何でも抱きかかえようとしてしまう。


 ――誰もが一人で生きているわけではないのに。


 それは、エリザ様に限ったことではない。

 私もそうだった。

 エリザ様より気が強い分、意地を張って、余計に気が付くのが遅かったかもしれない。

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