遺言・2
耐え切れないことに、マサ・メル様は、その次の夜から仕え人を八人も八角の部屋に同席させた。私が再び過激な行動に走らないよう、見張りをつけたのである。
これは、マサ・メル様の時代、一度も途絶えることなく続いた。
私にとって、ただでさえ夜は屈辱。
それを、他人に観察されているのは、その場で死にたいほどの侮辱だ。
大勢の目にさらされながら、私はあの方の冷たい腕の中で、切り刻まれていくような気がした。
すべてを剥ぎ取られ、心の奥底にまで手を突っ込まれ、内臓までも抉り出されて、人々の前にさらされたような……。
そして、ただ暗闇の冷たい空間に投げ捨てるのだ。
さすがの私も、時に悲鳴を上げて「許してください!」と懇願した。
だが、けして許されることはない。
あの方は私の自由をすべて奪い、がんじがらめにするだけ。
その後、ゴミのように捨てるだけ。
その頃の私は、例の短剣事件によって、あの方にひどく憎まれていると感じていた。
愛しあう夜の前には、吐き気がするほど憂鬱になった。
いっそのこと、奪った短剣で刺し殺してほしいとすら、思ったものだ。
体を重ねることのなかった恋人を思い出し、彼ならばもっと優しくしてくれるのだろうと思えば、さらに望郷の念が強くなった。
初めての巫女姫時代は、もっとも私らしからぬ暗い後ろ向きな日々だったと思う。
霊山では泣き暮らし、その後押し込められた祈り所では憎しみを募らせた。
霊山を憎んだ。
制度を憎んだ。
そして、あの方を憎んでいた。
今から思えば不思議な事だ。
私は、確かに霊山のすべてが許せなく、絶望していたのだ。
いつの頃から、霊山をここまで愛するようになったものやら……。
それは、何度目の巫女姫の時だろう?
『祈りの儀式』に伴う行進の際に、私は石をぶつけられた。
何度篭っても子を生さず。それが私だった。
他の村出身の巫女たちは、癒しの巫女としての地位を得て、村に恩恵を与えていたというのに。
期待に添えない巫女ではあったが、私にだって誇りはある。
もう何度も辛い祈り所生活を送ってきて、惨めな夜と辛い修行の日々を越えた末に得られた不名誉など、跳ね返してやるつもりだった。
辛い日々を泣き暮らす私はもう過去の存在となり、いつかは報われる日々がくると信じていた。そこには、何事にも負けることのないはずの私がいた。
だが、その儀式にはもうひとつ辛い事実があったのだ。
いつまでも待つといっていたはずの私の恋人は、すでに別の女性と結婚していた。
最終日、彼は家族と子供を連れて、私からパンを受け取った。
後ろめたそうな顔をしていたが、さすがに三十年も待たせると二つ心を持ってしまっても仕方がないのだろう。
私は人知れず泣いた。
霊山は、私の最後の夢までも食いつぶした。
本当は、薄々気がついていたのだ。
私には、もう帰る故郷もなく、幸せも不確かだろう……ということは。
その直後の夜だ。
あの方が、信じられないくらいに優しかったのは。
後にも先にも……あれほどあの方を近しく感じる夜はなかった。
その日もいつものように八人の仕え人が控えていたが、抱かれたとたんに覆いかぶさるような銀の結界を感じた。
まるでヴェールのように私たちだけを包み込むような世界。
それは、私の気のせいだったのかもしれない。だが、その日は冷たいあの方の気も温かに感じた。
むしろ、癒しを感じた。
ぽっかりと開いた心の穴が、あの方の気で満たされた瞬間、私たちは身も心もひとつになった。
いつもは歯を食いしばって、涙を堪えるのが常なのに。
その夜は情けないほど泣いた。
あの方にすがって、心の底から泣いた。
拒絶されることもすることもなく、私はあの方であの方は私だったのだ。
あの瞬間――。
しかし、翌日。
我が故郷に対する最高神官の厳しい罰に、私は心が凍り付いてしまった。
投石した者を家族揃ってムテを追放、しかも村にも厳しいおとがめである。
石を投げつけられたからといって、私は儀式を中断などさせなかった。冷静に対処したはずだ。
情けなくも泣いたが、それは儀式に何の影響も与えていない。石のせいでもない。もっと心痛む失恋のせいなのだ。
何一つ、最高神官の邪魔はしなかったはず。
なのに、私の失態はすべて私の故郷に押し付けられてしまった。
あの方に抱かれて、心もひとつに解け合ったような、心地よい切なさに泣いた自分が、とても不愉快に思い出された。
口づけの甘さや愛撫の心地よさに身を任せた……そんな私は、何かを間違えていたのだ。
唇も胸も髪の毛のすべても……あの方を感じたすべての部分を切って捨ててしまえたら、と真剣に思った。
二度とあの方の胸でなんか、泣かない。涙だって見せるものか。
あの方に愛があるなんて、ありえない。
あの方にあるのは、触れあいたくもない冷たい心と冷たい手。私を切り裂くだけのものばかり。
あの方は、けして誰も許さない。
無礼には冷酷な罰を与え続けるのだ。
私にも、私の故郷にも……。
一ヵ月も悶々と過ごし、やっと訪れた次の夜に、八人の仕え人の目もかまわず、私は激しく抗議した。
あの方に口答えする巫女姫など、きっと私ぐらいだっただろう。マサ・メル様には、自分の所有物であるような巫女姫のくだらない叫びなど、何も心に響かなかったのだろう。
だが、私は無駄と知りつつも、言うしかなかった。
それをあの方は、有無も言えなくなるほどの暗示で縛る。そして、いつものように私の髪を鷲掴みして引き寄せた。
「あなたは大人しく抱かれ、我が血を残すことだけをすればよいのです」
返事は、ただそれだけ……だった。
そして、残酷な夜の繰り返し……。
残念ながら、私には、マサ・メル様の唯一望むことをなすことができなかった。
他の巫女姫のその後を、私はうらやみ妬んだりもした。
どうも私は子を生せる体質ではなかったらしい。純血を強くあらわすと、時に石女となる場合がある。医師の診断では、石女とはいわないまでも、私に子供は難しいとのことだった。
子供ができないと悟った私は、巫女姫を何度辞めたいと言ったかわからない。
だが、マサ・メル様は諦めることがなかった。どうして? といいたいぐらいに、私に執着した。他にも候補はいただろうに。
それが、あの方の復讐なのだろうか?
刃物を向けた女への。反抗し続ける私への。
私は、けして許されないのだ。
私の巫女姫時代……それは、祈り所に篭った時期も合わせると、なんと六十年に達した。
私は、別の方法を見出していた。
あの方に反抗しているだけでは、ただ、殺され続けるだけだと思ったのだ。あの方の呪縛からは、けして逃れられないのだから。
それまでの巫女姫は、あまり学ぶことをしなかった。祈りもおざなりである。決められたことをこなし、霊山の気を受けて能力に磨きをかければ、それでよかったのだ。
だが、私は勉強した。そして研究した。
より多くの知識を身に付け、より最高神官の力になることで、自分の地位を確立しようと心がけた。
誇りと自信が持てるようになって、マサ・メル様の態度も、以前よりも恐怖を感じるものではなくなった。あの方も、私という存在を少しづつ認めてくださるようになった。
優しくされた覚えはないが、邪険にされたり、憎まれたりしているとも、思わなくなった。むしろ、頼られているとすら、思えてきた。
霊山の歴史は、マサ・メル様と私がともに作ってきたものだと、自負できるくらいに。
+++
そこまで書いて、自分でもやっと気が付いた。
なぜ、シェールの改革が嫌だったのか? 彼女は、私とマサ様が作り上げた伝統を、ことごとく破壊しようとしていたからだ。
思えば、霊山のあり方は、そのまま私とマサ様のあり方に似ている。だから、私はこの霊山を愛してきたのかもしれない。
世を捨ててしまった身とはいえ、シェールの改革には身を切られるような思いをしたのだ。
ミキアやサラも、霊山の伝統を踏襲しない。
結局、負けない、負けない、とがんばり続けたエリザ様だけが、霊山の伝統を尊重してくれた。
マリの事件など仰天のこともあったが、逆にしきたりに縛られすぎていたのは、我々のほうである。尊い命は守られたのだから。
基本的に、エリザ様は霊山のあり方を否定しなかった。
だから……なのかもしれない。
最近、巫女制度の重要性を認識しつつも、サリサ様とエリザ様がいつまでもともにいることができたなら……と思うのは。
だが、私の二の舞には、エリザ様になっていただきたくはない。
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