遺言
遺言・1
最近、私は自分の半生を振り返って、回想録のようなものを書いている。
サリサ様とエリザ様とのおつきあいを見ているうちに、なんとなく書き留めておこうと思っていたのだが、実際に書きはじめたのは、この春からだ。
エリザ様が、サリサ様との夜をすっかり忘れてしまった……という事件があり、その翌日から寝る間を惜しんで書き綴っている。
そのようなものを書いて、どうというわけではない。
ただ、お二人の姿を見ていると、最近、マサ・メル様のことが思い出されてしまい、切なくなるのだ。だから、やや、気休めというところがある。
とはいえ、やはりいずれは消えてゆく身。
ムテは骨しか……いや、霊山の力によって寿命を最後まで使い切る私には、骨すらも残らないだろう。
だから、生きていたあかしのようなものを残したくなったのかもしれない。
+++
何から書こうか?
ああ、そう……。私はエリザ様に嘘をついたことがある。その話から書いておくべきか?
エリザ様が、サリサ様との初めての夜を拒絶した翌朝のことだ。
私は、あの方のふがいなさに腹を立てていた。だから、こう言った。
「マサ・メル様の時代には、このようなばかげたことをする巫女姫はいませんでした」
それが嘘だと知ったら、エリザ様は怒られるだろうか?
いや、今のあの方ならば、覚えてもいないだろう。サリサ様に関わることの大半は、思い出せないでいるのだから。
マサ・メル様の時代にも、ずいぶんと愚かな巫女姫がいたものだ。
なんと、八角の部屋に短剣を持ち込んで、最高神官を刺し殺そうとした女がいた。
それは……他でもない、私である。
一の村で育った私は、充分に巫女姫として選ばれる素質があった。だが、選定の儀に望むつもりはなかった。
当時の私には心に決めた人がいて、彼と結婚するつもりだったのだから。彼以外の男に身も心も許すつもりはなかった。
だが、巫女姫が選ばれるとすれば、村でも名誉なこと。村を上げてお願いされて、彼は折れてしまったのだ。
「もし、選ばれたとしても、僕は待っているから、フィニエル。それに、癒しの巫女として戻れたら、生活も楽になる。僕らは、きっと幸せになれるよ」
巫女姫と神官の契りは聖なることであり、二つ心とは見なされない。
確かに私たちは、それほど豊かな生活ができるだけのものが、何もなかった。
だが、この男の言いようは何なのだろう? と、私は悲しくなった。
いくら聖なる人とはいえ、他の男のもとに恋人を喜んで差し出すなんて、私の感覚では考えられなかった。
しかし、まだ若かった私は、逆らうこともできず、涙を浮かべながらも彼に従ったのだ。
幼いながらに、その男を愛している……と思っていた。
だから、私は最高神官といえど、軽々しく触れさせるつもりはなかった。
拒絶するつもりはなかったが、余計な行為に及んだら脅してやるくらいのつもりで、短剣を忍ばせていたのだ。
最高神官マサ・メル様は、それは古代のムテ人がよみがえったのでは? と思われるような、不思議な雰囲気をたたえた方だった。
長身で手足が長く、闇に銀色に浮き上がる細長い影のような。長すぎる銀髪のせいだ。神官は、髪を切ることを禁じられているので、髪が床まで達していた。
サリサ様は確かに似ておられる。
だが、マサ様の場合はもっと目が冷たい。心が計れない。第一印象、見透かされるような、見下されるような、不快感を感じる人だった。
あの方に触れられたとたん、私は恐怖を感じたのだと思う。
ローブが剥ぎ取られた時に、隠していた短剣に気がつかれてしまった。私はすっかり動揺し、逆上してしまい、短剣を鞘から抜いて振りかざしていた。
行為のために結界を外していたマサ様は、さすがに驚かれたことだろう。だが、ぎりぎりのところで私の刃をかわしていた。私にもしも、剣の心得が少しでもあれば、最高神官は死んでいたかもしれない。
私は、ことの重大さを認識していた。だが、こうなったうえは罪を免れられないと思い、すっかり自暴自棄になり、この方を殺して私も死ぬ、などと、とっさに思った。
若かったのだろう。おそらく初めての行為を前に、動転していたのかもしれない。
そこで、振り向きざま、再びマサ様に向かって突進していった。が、脱げかけたローブの裾を踏みつけて転んだ。短剣は床に落ちて甲高い音を立てていた。
マサ・メル様は、その短剣を拾い上げ、私をものすごい形相でにらみつけた。
「この短剣は、私が預かっておきましょう」
その言葉を聞いたとたん、私は息が詰まるほどの体の不自由を感じて、「ひっ」と言葉を漏らした。
ここまで強くて束縛する暗示にかかったのは、初めてである。
母親が聞き分けのない子供に掛けるような、そんな生易しいものではない。心の奥底まで侵入してきて押さえつけ、すべてを支配するような……。極めて不快な暗示だった。
マサ様は、いきなり私の髪をわしつかみにして、噛み付くような口づけをした。それは、恋人がしてくれる優しいものとは全く違った。
凍りつくような銀の瞳は、他の者の侵入を許さない孤高の輝き。生まれて初めて、他人が怖いと思った瞬間だった。
「私は、あなたをけして許しません」
+++
……。
思い出すだけで、ぞっとする。
ここは書かないことにしよう。
私はその後、何度も巫女姫を経験し、何度もマサ・メル様と体を重ねたが、思い出すたびに背筋が寒くなってしまう。
あの方の手は冷たいし、息も冷たい。何よりもふれあうことのない心が冷たくて、たまらなかった。
あの方は、私の無謀な行為を公にして罰を与えることはなさらなかった。だが、会えば常に拷問されているような苦痛と屈辱を味わうことになった。
一瞬で終わる……。
だが、その一瞬が地獄だったのである。
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