忘れない夜

忘れない夜・1


 夏も近づくムテの食堂。

 窓の近くで光溢れる場所が、サリサが朝食の定位置と決めた所だ。 

 テーブルの位置としては下座にあたってしまうのだが、心地よい空間である。だが、サリサの気持ちは落ち着かない。

 この場所で、エリザと朝食をとりたいと思いはじめたのは、もう何年も昔のことだ。

 だが今、サリサの向かいに座るのは……サラである。

 仕え人たちの反応が怖くて、なかなか実行に移せなかった巫女姫との食事。それをシェールがすっかり道を作ってくれたというのに。

 サリサはサラと談笑をしつつ、パンをちぎっている。が、それでも人の気配を感じると、その話も途切れてしまう。

 明らかに話に集中していないことを察して、サラのご機嫌が悪くなる。サリサはあわてて取り繕うのだ。

 愚かしいと思いつつ……。エリザを探してしまう自分がいる。

 やっと心を開いてくれたと思ったのに、エリザはサリサの誘いを何一つ受けてくれないのだ。

 朝食もいっしょにとろうとしないし、お昼の散歩も断られた。

 ふと、見渡す食堂で、リュシュがエリザの朝食を部屋に運んで行く姿を見つけ、今日もエリザには会えないのだと知る。

 何とも虚しい朝である。



 日々はそのように過ぎていた。

 仲直りできたと思い、初めはすがすがしい気分になっていたサリサだが、思ったよりも状況が変わっていないらしいことに、徐々に焦りが募っていた。

 マール・ヴェールの石段をいっしょに下りたと思ったのは、夢だったのか? と思うほどに、エリザはつれない。

 リュシュからは、時々エリザの話を聞いていた。

「あの……。あれがあの方の日常なのか、それとも、奇妙なのかはわからないのですが……」

 リュシュは、まだエリザの仕え人となってから間もない。報告に自信がなくても仕方がないだろう。

「エリザ様は、とても真面目に仕事をこなす方です。ミキア様のような天才肌ではありませんが……」

「それで、奇妙とはどういう意味ですか?」

 エリザが真面目だということはよくわかっている。

 わかりきっていることよりも、エリザが元気なのかどうなのか知りたいサリサは、リュシュの言葉を遮った。

 リュシュは、少し言いにくそうにもじもじしながら説明した。

「……時々発作的に、ぼうっとなさったり、青くなったり赤くなったり……奇妙なのです。常に何かを真剣に考えられているようなのですが、私が聞くと、ものすごく動揺いたしまして。一度は動悸が激しくなって横になる有様でして……」

 サリサは思わず声を荒げた。

「横になる? 医師には相談しているのですか?」

「いえ、あの……。エリザ様は何ともないと……」

「何ともなくありませんよ! リュシュ!」

 語気に押されて、リュシュは肩をすくめた。

「私……。仕え人失格でしょうか?」

 サリサは、少しだけ頬を染めた。

 どうもエリザのこととなると、心配でたまらなくなり、冷静さを失ってしまう。

 しかもこれは、半分八つ当たりのようなものだ。

 仲直りできたと思ったぶん、余計にイライラしてしまう。

 何年も待った日々が、何も報われずに、ただ……過ぎて行く。

 それが、限られた時間であると知っているサリサだ。焦らないほうがおかしいだろう。



 そして、エリザに会える夜が来る。

 だが、サリサの気分は全く冴えない。

 拒絶され続けた夜の心の傷がひどくて、不安でたまらない。

 まだまだエリザの気持ちは、落ち着いていないのかも知れない。

 その状態で夜はどうなってしまうのだろう? エリザがまた虚ろになってしまうのでは? そう思うと憂鬱である。

「……体が溶けるほど、濃いお湯にしてください……」

 今やサリサの仕え人となっている元薬草の仕え人は、その命令を忠実に守った。

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