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  • 編集済

    数十年先、過半数以上の人間がまだ働きたいと思っていたなら
    国家権力を使って産業装置を規制するという可能性もあるかも。
    そもそも人間の働かない社会では買い手がいなくなるのでおそらく今のような経済が成り立たない。配給制の共産社会になるのも少し現実味が薄い。

  • サイボーグのメランコリアへの応援コメント

    似たようなことだと重機会社のコマツが既にやってますね。重機のレンタルして料金払えないと遠隔で停止するってやつ。そう考えると、監視と停止させる仕組みは出来るから後はそれがどんなサービスに応用されるか?出来るか?ってのが近未来を考えるモノとしては面白いかも

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    おっしゃる通りですね。
    Amazonのキンドルなんかも「広告付き」モデルは少し安いといった設定もありますし、アプリでよくある、「試用版をダウンロードして気に入ったらお金を払うとフル機能版になる」といった仕組みが、今後は「付加サービスを購入する」あるいは「不正利用を排除する」という形で一般化されていくのではないかと思います。

    そしておそらく、ますます個人や個体の(スタンドアローンの)操作や意思決定の『裁量権』は加速度的に減少していくだろうと思います。

    # 春先から本業で忙殺されていて、中々こちらの記事も小説の方も更新できなかったのですが、追々、また気持ちを改めて書いていきたいと思います。
    今後ともよろしくお願いします。

  • 誤字の報告を。

    よく知らないと追うことは
    →よく知らないということは


    言葉が変化するものでなければ古文なんてものは無いわけで。
    昔、興味があって色々な言語を調べていたときに『ギリシャ人の大半が古代ギリシャ語を読めない』という事実(ソースは不明)を読んで「そうだろうなぁ」と腑に落ちたものです。
    自分も学生の頃なら兎も角、もう古文の大半は読めないでしょう。

    また学生の頃に指輪物語を読んだのですが、文章が金剛石の様に固く、文字が小さく、かつ中身が冒険性0の村暮らし。
    中編まで読みましたが全く冒険にでる気配がなくて投げ出しました。

    同じ様に古典SFの名作ときいて本屋を梯子して購入したのに文体でグロッキー等々。

    読みやすい文章こそ最良だと思います。


    意味が変わった諺では『沈黙は金』が一番印象深いです。
    本当は『沈黙は金なり 雄弁は銀なり』
    で当時の日本では銀の方が価値があり、黙るよりもコミュ力あった方が良いという意味なんです。

    声がでかい奴が勝つ事が顕著な現代では大本の方が意味として使えそうですね。

    作者からの返信

    コメント&誤字をお知らせいただきありがとうございます!

    せっかく良い内容(情報・物語)なのに、「読みづらい文章」で敬遠されてしまうというのは、本当に勿体無いですよね。

    私も、古典文学(和洋問わず)の現代語訳は賛成派です。
    『古典らしさが失われる』という声もありますし、それはそれで納得のいく主張ですが、単に両方あれば良いだけだと思います。

    また、海外物の翻訳の難しさも同様ですね。

    ただ、古典の現代語訳も海外文学の翻訳も、あまり「現代性を意識しすぎた」訳をしてしまうと、かえって短命になってしまいます。

    翻訳時点での『現代』は、あっという間に『過去』になってしまい、取り入れた現代風の表現は、出版から数年後には読んでいて恥ずかしい死語に変わってしまうという...。

    なので、現代語訳は一定間隔でリフレッシュしていく必要があるでしょう。
    (これも、AIの仕事になるかもしれませんが)

  • 自動運転の車というと自分はポリスノーツを思い出します。
    未来の世界では車は電気自動車が一般的であり、ガソリン車は馬力で電気自動車に勝るが大気汚染の問題で規制されている。
    そして自動車が自動運転が主であり、道路はさながら整然とした蟻の行列の様であり、そこで銃撃戦はするがカーチェイスは相手だけ手動運転のガソリン車なので追いつくことすらできない。みたいな流れだったと思う(うろ覚え)

    星新一の小説では起床して洗顔、朝食、家から会社まで自動で運搬というお話がありましたが、その話も自動運転の未来を示している気もします。

    やがて警察、消防などの一部のプロフェッショナルのみが自動車免許をもつ時代がくるかもしれません。
    また現代の将棋のように「F1で人間が機械に勝てるはずがない」なんて時代がくるかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >ガソリン車は馬力で電気自動車に勝るが大気汚染の問題で規制されている。

    これは大きいでしょうね。
    それに、創作物では往往にして無視されがちですが、ハイテクな工業製品はインフラや資材がなければ利用できないものがほとんどです。
    フィルムカメラ然り、内燃機関然り。

    ところが利用者が減ったモノへ必需品を供給するインフラは加速度的に消えていきます。
    現在でも日本全国でガソリンスタンドが相当な勢いで消えていますが、将来は大量のガソリンをストックできるコネを持つ人だけがガソリン自動車を利用できる、なんてことになるのかもしれませんね。

    まあ、自動運転が主流の時代になったら、ITS(交通管制システム)とリンクしていない「野良車」が走っているだけで、狼煙を上げて走っているかのごとく目立つのではないかという気もします。
    きっと電気自動車の群れの中のガソリン車なんて、LEDの群れの中の松明のごとく、周囲と比較にならないほど凄い熱量を放散しながら走っているでしょう。

    >やがて警察、消防などの一部のプロフェッショナルのみが自動車免許をもつ時代がくるかもしれません。

    そうですね、救助活動や治安維持、軍事関係のように、「社会のシステムがダウンしていても動かす必要がある」ところにだけは、ずっと手動運転がバックアップとして残ると思います。

  • 今回は個人的にかなり面白かったです。
    マイフェアレディの原作がピグマリオンというのも実に納得できる内容です。

    今回の話は逆説的な話題の哲学的ゾンビを思い出しました。
    相手に本当に心があるかわからないみたいな話ですが、人間は心が無いものでも愛着を持ち大切にできるわけで、それは動物である必要さえもない。
    現実的に相手を確かめたら対話相手が人間でなければ驚くのが普通だろうけど、ネットなどの顔を知らぬ対話相手を普通は人間だと思い込むフィルター越しに相手を見ているでしょう(というか実験などの例外を除いてほぼほぼ人間相手だろう)
    でもそこに『相手が人間である必要性』をどれほど感じているか大いに疑問です。
    そう考えると自分がシンパシーを感じる受け答えをしてくれる相手なら人間でなくても気にしないものなのかもしれません。

    思慕が募って会いたい!とかなったらなんともいえませんけど。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >そう考えると自分がシンパシーを感じる受け答えをしてくれる相手なら人間でなくても気にしないものなのかもしれません。

    『人工物に共感してしまう』と言うか『入れ込んでしまう』と言う感覚は、人として普通のことだと思います。と言うか、むしろ人間の精神は『ありとあらゆるものに共感できる』ようになっている、と捉えた方が近いかもしれません。

    本質的に人間は『いつも対話がしたくてたまらない』生き物なのでしょう。だから、対話の相手が何であれ受け入れてしまう。


    戯曲の題名の元になった古代キプロスの王Pygmalionも、自分で作った彫刻に恋をして寝食を忘れるほどになったと言うのですから、現代風に言えば『アニメやフィギュアに恋したオタク』のような...?

    そこで作者のバーナード・ショウは、自分が『作り上げた』人工的な女性像であるイライザに入れ込んだヒギンズ教授をPygmalion王に例えた訳ですね。

    逆にワイゼンバウム教授は一種のユーモアで対話型プログラムをELIZAと名付けたら、予想に反して本気で入れ込んでしまう人が続出して慌てた。

    ですが、むしろ現代では、Siriに気の利いた受け答えをさせて面白がったり、AIチャットボットの公開実験に喜んで参加してくる人が大勢いるのですから、個人的には、人間の『対話欲求』と言うものは、知性の根幹にあるのではないか? と思えるほどです。

  • 達筆とタイプライターへの応援コメント

    言われてみるとお年寄りの方は読み辛い文字でも一定の美しさがある文字を書く人が多い印象があります。
    すっと文字として読む前に『読むぞ!』と切り替えが必要な感じ。

    文字として美しい範疇ならいいのですが、読めん!みたいなものを有り難がるのはとんと理解できません。
    美術品の良いポイントを指摘されても全く理解できないみたいな。

    文字も美術品もアートも理解の範疇外になると途端に興味が失せてしまったり。

    感想が散らばってる内容ですが、文字として美しいものは文化としても良いと思う。
    でもアートに振り切ったものは文字じゃないし読めないよ。ってとこでしょうか。
    今回は散文みたいですみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本来、美意識は人それぞれのものであると同時に、同じ文化圏内で共有するものでもある、と言う二面性を持っていると思います。
    この、個性と共感のバランス次第で、受け入れる人のボリュームが変わってくる。

    草書体を読める人々の文化圏内では、それは別に変なものでもないので、共有する記号として成立しているわけです。

    >文字として美しい範疇ならいいのですが、読めん!みたいなものを有り難がるのはとんと理解できません。

    同感です。
    仰る通り、書道のように「アート」であると宣言していれば、どんな表現でも構わない(受け入れられるかどうかは未知)ですが、通信手段は相手に『受け入れてもらえることが前提』なので、それでは困りますね。

    伝えたい相手に「字」として認識してもらえなくなった時点で、それはすでに「字ではない」...とするならば必然的に、『達筆』も『読めないほど下手くそな字』も等価である、と言うことになります。(実際、そう思いますが)

    これは、自分の発信した情報を受け取る相手のことを、どの程度おもんばかっているか? と言うことにもなると思います。

  • 誤字を拾っておきます。
    >>低コストになシステムとして
    低コストな


    自分は常にものを作れる人間こそ至宝だと考えています。

    3Dプリンターがもっと安く普及したり、その結果として学校の図工の授業がCADで制作したものを出力して立体を作るとかまでいけば、草の根芸術家が沢山増えて面白い時代になるかもしれませんね。

    作者からの返信

    >誤字を拾っておきます。

    ありがとうございます!
    いや、こういうエラーって結構根絶できないものだと身に沁みます。
    人間(私は、特にその傾向が強いですが)、一度『異常なし』と誤認してしまうと、そこにある明確なエラーを見逃してしまう。

    ずいぶん昔に、今はほぼ無くなった職業と言える「文字校正」を専業としていた方と話したことがあるのですが、『多くの見間違いは単純な思い込みから発生している』という話を聞いて、なるほどと思いました。

    >3Dプリンターがもっと安く普及したり、

    『気軽に試してみれること』が草の根を広げる最大の要因ですよね。
    かつて、大企業のプロジェクトではなく、趣味の「ホームブリューコンピュータークラブ」から最終的にパソコン産業が生み出されたのも、元はと言えば当時の最新技術である「マイクロコンピューターチップ」が、一般でも入手できるようになってからこそ、ですし。

    最新技術と技術の普及具合によるイノベーションのバランスは、いつも面白いです。


  • 編集済

    まず前回の感想は何だかすみません。
    電子レンジは電磁波だと理屈をふわっと知っているくらいで、構造や中身のパーツの役割など購入者の98%は全く知らないだろうという感じで例にあげさせてもらいました。
    ネタ被りしてしまうとは……。


    車のカッコいい写真は確かにそんなアングルないわーって、漫画やゲーム的な誇張表現的っぽいものがありますね。

    逆に面白いなと思い返したのはPCの販売でした。PCをパーツから選ぶ知識がある人はPCを買うときにスペックを見て判断する。
    モニターやキーボードもスペックや使いやすさなどでしょう。
    スペックと使いやすさに特化した最近では稀有な業界かもしれません。


    そしてPCと違い車をパーツから選んで組み立てられるなんて一部の現場技術者だけだろうし、そういう意味でもメーカー側の売りたいやり方を買い手は押し付けられるしかないと考えると、高額なのに購入する楽しみが微妙な気がしてしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >まず前回の感想は何だかすみません。
    >ネタ被りしてしまうとは……。

    いえ、とんでもありません。むしろヒントになる話は大歓迎です。

    >PCをパーツから選ぶ知識がある人はPCを買うときにスペックを見て判断する。

    仰る通りですね。
    メカマニアな視点でいうと、車とPCは似ているところがあると思います。
    IT系の研究者には、意外と国産ハイパフォーマンスカー(俗にいう「走り屋さん」の選びそうな車ですね)のユーザーが多かったりするのは、案外に同じ価値基準での選択だったりするのかもしれません。

    ただ、車もPCもブラックボックス化が激しく、本当に「表示されているスペック通りなのか?」とまで考え始めると、確認が難しい世界になりつつありますね。

    そして、やっぱりイメージとストーリーがもの選びの優先事項になっていくという感じで・・・

  • 物の値段って詳しくない人や全く知識がない人だと金額だけで購入を考える事になりますよね。
    例えば電子レンジなどの適正価格は材料や技術料など全く知らぬまま、店頭で良さそうなスペックと妥協できる値段で購入を考えるでしょう。
    よろず全ての物品の購入前に完全な予備知識を学ぶなんてできないし、やっぱりよく分からないまま買うことになります。
    そう考えると物の値段って結構あやふやな気がします。

    こういう流れと値段の設定も機械がするようになるんですかね

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    まさに仰るとおりだと思います。

    実はこのコラムは続きのネタがあって、今後、一般消費者向け商品の多くが、こういった「印象優先」での値付けと、オートマティックな価格誘導に席巻されていくだろう、という話をいずれ書くつもりでした。

    しかも、それには電子レンジが話のサンプルとして登場する予定です(笑)

    どんどん、基準があやふやになって、何を持って選択すれば良いかさえわかりにくくなっている時代に「消費者自身がしっかりしなければダメ」なんて、『絵に描いた餅』だと思いますね。

  • スローガラスとワープ航法への応援コメント

    最近のスローライトに関する物理では秒速数センチメートル程度に減速した光は作られますね。超高フィネスの光共振器を使ってポラリトン状態にすることで、実効的屈折率をエンジニアリングするものです。
    十年かけて…とはいきませんが、現代の技術に近い発想が昔実はSFで考えられていたと気付くときはいつでもわくわくします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >超高フィネスの光共振器を使ってポラリトン状態にする

    面白い技術ですね。
    フォトニック結晶を利用して減速したり閉じ込め状態を作ったりする技術が発展すれば、単純に光信号制御のみならず、本当に人間の知覚に関わる世界でも、スローライトの応用がなにか生まれてくるかもしれませんね。

    こういう、奇抜な発想がまだまだ出てくるところで、文明社会の未来に希望を感じたりします。

  • スローガラスとワープ航法への応援コメント

    自分は清水玲子さんのSF作品を一時期愛読していましたが、この方の描く未来世界はとても心に響きました。
    今回の話を少し読んだだけで上記の作品のワンシーンを思い出しました。

    セクサロイドとして生まれ、存在し続ける間に人権を持ち、人間よりも長い長い時間を生きているロボットの青年が地球を遥か離れた場所から、かつての主が健在で元気に過ごしている姿を見て涙を流すといったシーンです。
    既に過ぎ去った幻で見る事しかできない、それがどうしようもなく過去であることをつきつける。といった感じだった記憶です。

    SFという素晴らしい未知の法則にあふれた世界が我々を魅了するのは現実では不可能な事が可能になっているせいなのかもしれません。
    スローガラスはドラマティックですが、現代ではお金持ちなら大きな映像を再生するなんてことも出来るのでしょう。でも古典SFの方がロマンティックでドラマティックだと感じてしまうのは何故なんでしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    わたしがこういうことを言うと「どの口が言うんか!」と怒られそうな気もしますが、架空の世界にさえリクツを前面に押し出されると窮屈なものだと思います。

    その点、古典SFがロマンチックなのは、面倒な『科学的考証』を作者・読者が、共にスルーできた時代に書かれたものだからなのでしょう。
    いまでは、ちょっとした乖離でも激しい突っ込みが入りますからね。

    逆に現在、分野としてのSFが衰退気味で、「空想小説」の主流が魔法系ファンタジーになっているのは、そういう面倒な(しかも、本質的に物語が面白いかどうかには無関係なことも多い)リクツの部分をすっ飛ばして、面白いストーリーに集中できるからなのだろうと思います。

  • 何かの知識で『情報の伝わる速度が文明LVの指針』みたいな話がありましたが、文明は道無くして有り得ないのでしょうね。

    今でも道もないような山間部で自給自足の暮らしをしているお年寄りは本当に尊敬します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「道」で運ぶモノをどこまでデジタイズできている(=情報のみで伝送できる)のかで、文明というか、その社会のテクノロジーが高度化しているかの尺度を測れるのかもしれませんね。

    究極の「道」は、物質そのものを瞬時に移動させられるスタートレックの「転送装置」なのでしょうか。

  • 閉ざされた閉鎖空間でへの応援コメント

    今回も面白い話でしたが、宇宙空間を移住可能な星を目指して旅をするというのは結構あるあるネタですよね。

    この星間移民宇宙船のようなものを幾つかパターンに分けると
    ・巨大宇宙船で閉塞感が無い!窓の外?普通に街があるよ!
    ・上記の亜種では宇宙船だなんて知らなかった!
    とか。シドニアもこんな感じの巨大さですが今回のお話にはちょいとそぐわないかなと。

    それで自分が思考したのは「最初から宇宙船で育った人間」です。
    人間は環境に適応して生きる事に関しては他の動物と比べてずば抜けた適応力があり、最初から宇宙船で生まれた人間ならそこまで破綻せずにいられるのではないだろうか?という事です。
    空を知らぬ人間は空を望まない、みたいな感じでしょうか?
    ですので閉塞的と云える空間で生活し、親など前世代がきちんと教育をするとか、知識を喪失しないようにロボットが教育係でいるとか、そういった設備があれば人間は閉塞的な小さな宇宙船でも生きられるのではないだろうか?と思います。
    そして既に何世代も前の存在になった者が伝えた空や海を求めて宇宙を旅すると。
    うーん、SF!

    作者からの返信

    ふぁさんの仰るとおり、それが最初から生まれ育った環境であれば多くの人々は疑問を抱かないでしょう。

    コラムでも紹介したSF作家、ブルース・スターリングの「工作者シリーズ」の解説では、宇宙コロニーに暮らす登場人物のことを『生まれたときから空を見たことがない、究極のシティボーイ』と表現していましたが、言い得て妙だと思います。
    まさに空を知らないがごとく、『それ以外の生活スタイルがあり得る』という概念がないのですから、(物理的な苦痛や不足がなければ)不満もわきにくいでしょうね。

    それにしても、冷凍するとか、遺伝情報だけ運ぶのでは無くて、ちゃんと日々を生きている人間を世代交代させながら運んでいくのは、やはりロマンがあります。

  • >>政府や大企業による情報操作や隠蔽がニュースとして取り沙汰される時代だった。

    これは実際にそうなっているかんじがあるかな。
    日本政府が出す書類っていつも真っ黒で塗り潰され隠蔽する気がない隠蔽だ!とか。
    TV局や新聞の明らかな情報操作とか。
    ファッションを扇動している雑誌やTVとか。
    現代人は常に情報に踊らされている気がします。

    SFって驚くほど未来を見通しているのは何故なんでしょう。本当に不思議です。
    SFを書く人達は当時から未来の流れが読み取れる聡明さがあったのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    当時は「ウォーターゲート事件」のように生々しい大事件があったということも大きいでしょうね。

    最近でもウィキリークスとか、この手の話題には事欠きませんが。


    >SFって驚くほど未来を見通しているのは何故なんでしょう。本当に不思議です。
    >SFを書く人達は当時から未来の流れが読み取れる聡明さがあったのでしょうか。

    恐らくは、人間の想像力をもって『起こりそうなことだ』と予想したことは実際に起きる可能性が高いのでしょうね。
    もっとも、並べてみると「予測をハズしているSF」も多々あると思うので、そのあたりは実質プラスマイナスゼロかと思われます。

  • ガンダムの小説でユニコーンを途中まで読みましたが、ジオンは鉱物資源を掘る労働者で富は地球圏の者たちが独占しているから戦争が起きた。なんて話がありました。

    こういった閉鎖的ユートピアが焦点となる映画などは楽園の破綻や崩壊が起こるのも考えさせられます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうですね。
    古来より貧富の差、富の偏在は社会闘争の大きな理由だったと思います。

    以前にコラムで紹介した古典SF『月は無慈悲な夜の女王』も、富める地球と鉱山現場扱いの月との確執が大きな筋でした。

    他にも多くのSFやファンタジー作品が、例えば、アメリカ独立戦争のような、『宗主国 vs 植民地』の争いをモチーフにしていると思います。
    つまるところ、このテーマは、人類がまだ乗り越えられていない、おそらくは容易には乗り越えられない問題なのでしょう。

    ただ、最近恐ろしく感じるのは、今後はテクノロジーの進化や富の偏りが閾値を超えて、「逆転不可能」になっていくのでは無いかということですね。
    もはや、民衆が蜂起したところで何もできないとか、そもそも蜂起できないとか、そういう世界もありえそうです。

    ...そうなると、未来の「楽園の破綻」は、基本的に革命や争乱といった外的要因では無く、内部崩壊による「自滅」によって起きるものだろうと思います。(これも人間の限界として十分にありえそうですね)

  • SFなどで車が空を飛ぶのは定番ですが、現代の航空路線などの空の道も空港に着陸するのに混雑したりしているので、車が空を飛んで自動運転になっても交通的に混雑する場所は出てくるだろうな~なんて思ったりしました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    現在でも民間航空路線には「ハイウェイ」というか、守らなければいけない飛行ルートが設定されているのですが、混むところは激しく混むらしいですね。

    そういえば、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも、空飛ぶデロリアンの中のラジオに「スカイウェイは渋滞中です!」みたいなアナウンスが流れていた記憶が...。

  • 鉄腕アトムは、十万馬力ですしね。(*´▽`*)。

    作者からの返信

    言われてみて、ふと考えたのですが、現在の移動機械で「十万馬力」クラスの出力を持つものは、大型船舶用のエンジン以外に思い浮かびません....まあ、エンジンといっても、単体で長さ20m、高さ15mなんてシロモノですが。

    その出力を持つ機関が手のひらに載るようなアトムのテクノロジーは、やっぱり凄いです。

  • メディアにおけるAIの扱いへの応援コメント

    確かに、ぬいぐるみは、捨てにくいです。
    投影しているからですね。心を。

    作者からの返信

    まさにそうですね。
    心の投影...つまり、対象を生きている、もしくは「心のある存在」として扱っているということでしょう。

    そして、その心理を生み出しているのは純粋に外装というか、「見た目と手触り」であるわけです。
    面白いことだと思います。

  • こんばんは。
    イラストを描くソフトなども、今は月極駐車場みたいに感じます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    MicrosoftがOfficeを、そしてAdobeがイラストレーターやフォトショップをサブスクリプションモデルに移行させたことは、かなり影響が大きかったと思います。

    いずれコラムに書こうと思っていましたが、多くのサブスクリプションモデルの欠点は仰るとおり、使おうが使うまいが定額の「月極」であることで、「As a service」の理想とはほど遠いものです。
    それも、定期的に利用する場所は、すべてテンポラリーな「時間貸し」駐車場の利用ではなく「月極」駐車場の契約を迫られているようなものでしょう。

    これも寡占化の弊害の一つかと考えています。


  • 編集済

    経済活動はAI中心になるとしても、基礎科学の研究は人間がやり続けることになるんじゃないかな
    趣味みたいなもんだからな

    でも確かに実験してると解析やらスキャンパラメーター設定なんかで奴隷が欲しくなることはよくあるから、そんなところをAIが肩代わりしてくれる世の中になったらさぞ実験が捗るだろうな

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうですね。
    乱雑なデータを解析できるようにフォーマットして整えるとか異常値を見つけ出すとか、そういったアシスト的な作業は、やがてAIが肩代わりしてくれるようになるだろうと思います。

    かといって、それがどんどん進んでも、人間は「テーマを設定してAIのアウトプットを見ているだけ」にはならないだろうと...。

    仰る通り、応用研究では目的ありきですが、基礎研究は好奇心ありき、というか夢や疑問を持つという心ありきなので、人間主導でしか成り立たないでしょうね。

    自分たちが「何を知らないか」を発見する、そして、知りたいという思いを抱く、というのが研究の第一歩だと思うので(自我を持つAIが云々〜は脇に置いて)、知識に対する欲求を抱くことが人間の特権である限り、学究は人間がやるべきことであり続けるだろうと思います。

  • なんだかlongbowさんが、シンギュラリティを超えたAIに見えてきました…
    実はネットワーク上に存在する情報的人格で、人間の末路を淡々と発信し続けている、という…

    SFに浸かり過ぎですね、はい

    作者からの返信

    >なんだかlongbowさんが、シンギュラリティを超えたAIに見えてきました…

    ギックぅっ...!

    という冗談はさておきコメントありがとうございます。

    (時間順序保護仮説はさておき)もし、未来から干渉してくる何かがいたとしたら、自分が未来人?であることをアピールして療養施設を紹介されるようなことに陥るよりも、ぺちかさんが仰るように「こっそり、そっと、その時代のフォーマットで情報を発信」するだろうと思います。

    SF作品で未来からの干渉というと、短編ですがブルース・スターリングとルイス・シャイナーの共著による「ミラーグラスのモーツァルト」が好きです。

    干渉した時点で未来は分岐し、別の「枝」へと移るので、どれだけ過去に干渉しても『自分たち自身の未来にはまったく影響が無い』という恐ろしい設定で、未来人達が無責任にヒャッホーしまくるという話ですが、未来の影響を受けた過去の人物達の描写が実にシュールで、さもありなん、と思わされます。

    編集済
  • 車は運転者の利便性を考えてカスタマイズされていくもの(一部人種除く)だと思われますし、運転を人間からオミットして自動運転車になれば、そもそもの車の構造が変わりそうですよね。

    やがて車の座席は進行方向を向かないのが当たり前、車前面後面は追突などに備えて戦車のように頑丈なデザインが普通になったりとか。

    道路利用に対する適性さえあれば可能性は色々あり、車レンタル会社=開発会社(運転機能が車について当然だから、開発と提供が一体化する)毎に個性が出て色々と面白そうです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ですね。
    車の運用形態そのものが変わっていくわけで、レベル5になると、もうドライバーという存在の居場所がないし、進行方向を向いていたいか、乗客同士で向き合っていたいかで、自在にシートのアレンジを変えることになるのでしょう。

    また、もしも自動車(製造)会社と自動車(運用)会社が一体化すると、どういう市場競争が起きるのか、大変興味深いです。

  • 相関と因果のエラーへの応援コメント

    今でも恣意的に面積を塗り替えられた円グラフを見たりしますね。
    純粋な数値が純粋なままに人の目に触れても、知識がないと読めとれませし

    適当なグラフを見せれ説得力をました詐欺がどれだけ多いのやら。

    ビッグデータは庶民には縁遠いものなのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >ビッグデータは庶民には縁遠いものなのかもしれません。

    まったくですね。
    昔のSF作品では、重大な情報を独占して隠そうとする「政府」と正義の主人公(良心的な科学者など)が対立する図式が良くありましたが、今では官僚的な政府よりもグローバル企業が独占的な存在になりつつあります。

    やがて将来は、この『情報の非対称性』の悪化が、自由市場経済を破壊するのではないかと予想しています。

  • そもそも20年先まで見てプログラムを組むのか?
    というところもありますよね。

    作者からの返信

    ご存じとは思いますが、「ムーアの法則」という、大雑把に言うと”18ヶ月ごとにトランジスタの集積率は2倍になる”的な予測が1960年代には提示され、最近までおおよそ、そんな感じでコンピューターの性能は進化してきました。

    そういう尋常ではないスピード感の中で、正直に言って「は? 20年後?、そんな先のことなんかわかるか!(知るか!)」というのが多くのエンジニアの偽りない心情だったかと思います。

    ところが、実際に『ゼロから何かを新しく作ろうとする』ようなチャレンジングな人間や企業は本当に少なくて、結果として数十年も前のコードやコンセプトを化粧直ししながら「新登場!」と言いつつ使い続けるという...。

    最新のmacOS High-Sierraでも、その中核であるカーネル「XNU」の元になった「Mach」は1986年のリリースですから、もう30年以上も前です。

    そして、過去に埋め込まれていた問題が時々、こうやって顔を出すのですね。

  • 言われてみると自動車ほど無数に溢れかえった物はなく、駐車場だけで高層建築みたいな建物が必要で、そこに床面積を積み重ねて圧縮している。
    それらが地上を走れば圧縮から解放された分の地上面積を埋め尽くすわけです。
    渋滞して当然な感じがします。

    なおかつ、それら全てが地上で新幹線などを除けば最高速度を出せる状態で走り回っている。
    一般的な40~60kmだって生き物の移動速度に比べたら相当な速さである。

    これら全てを包括するシステムよりも個々に搭載する自動運転システムの方がだいぶハードルが低いですよね。

    しかしこれだけの数がある自動車の制御システムを開発出来ればOSを抑えた大企業なみに大儲け出来そうですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    仰る通りで、「すべての車に駐車スペースの確保が義務づけられている(車庫証明)」のは、路上という共有スペースを占有させないためですが、車は移動のための存在なので、すべての移動先にも同じ駐車スペースが必要になるというムダ...。

    恐らくカーシェアの真髄は、移動機械の共有だけでなく、この死んでいる占有空間の無駄も削減できることだと思います。
    しかも、一元管理可能。

    たしかに、自動運転や運行管理の万能システムを生み出せれば業界を制覇できそうですね。

  • 現代において秒以下の単位を日常的に使う事はなく、ストップウォッチなど計測に使用するくらいでしょう。

    しかしそれが積もり積もって数分単位の遅れになると。
    こういう遅れは電車に乗るときに気がついたりするんでしょうね。

    ちなみに今でも立派な腕時計をしていないと社会人として恥ずかしいなんていう人もいますねぇ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    たいてい、秒単位が必要かどうかは仕事と趣味の世界でしょうね。日常生活での最小単位は分単位、カップラーメンの3分とかパスタや卵をゆでる時間の5〜6分とか、それぐらいだという人が大勢ではないでしょうか?

    私自身はパスタをゆでる際にはストップウオッチやキッチンタイマーを使っていますが、それも秒単位で測る必然性があるからではなく、単に普通の時計では「何分経ったか忘れがち」だから、という理由だったりします。


    >今でも立派な腕時計をしていないと社会人として恥ずかしい

    まあ、こういう古めかしい認識は、世代交代と共に消失していくのでしょうね。

    ただ、学生さんなんかは試験の時にスマホを机の上に出せないので、腕時計を使わざるを得なかったりして、腕時計文化が完全に消失するのは、まだ先の話になりそうです。

  • 着眼点は良かったが……という具体例といった感じですね。

    記述された失敗点の2つ以外にも…
    ・ビジネス等で他国の人とやりとりするなら相手の国の時間などを考えて対処するだけでいい。
    ・Webというものが一個の世界として成立していないのに、無駄に単位だけもってきても滑稽である。
    ・MMOなどのゲームはゲーム内の時間があったりするので、外に使いにくい時間を設定されても誰も使わない

    …なんて思えます。

    どこぞの未来のようにWebを使用する=ネット世界にダイブする→使用するアプリ、ゲームを選ぶ
    といった形だったなら大本となるWeb時間として周知されたかもしれません。
    数字の桁の問題なども鑑みるに、現代の時間単位が使いやすくまとめられ、人に配慮された素晴らしいものだと理解できますね。

    作者からの返信

    ですよね...単に「共通時間が必要」と言うだけなら、それこそ「ネット上ではUTCを使おう!」でも済む訳ですから。

    >MMOなどのゲームはゲーム内の時間があったりするので、外に使いにくい時間を設定されても誰も使わない

    なるほど。それは大きいポイントかも知れません。
    ネット上では一つの世界ごとにバラバラの時間軸と進み方があっても構わないわけですよね。あるVRMMOの中では一日が29時間だったりとか。

    いずれまた、Beatの様な「ネット共通時間」を提唱する人は出てくると思いますが、受け入れられるかどうかは、その時点での社会次第かも知れません。

    (少なくとも、1998年は早すぎたと思います)

  • 多細胞生物で自己増殖するなんて驚きです。
    この生物の遺伝子を参考に改造とかしたら恐ろしい生物兵器が作れそうです。
    どこぞのハザードなゲームみたいに簡単には作れないでしょうけど。

    作者からの返信

    日本にも普通に見られるギンブナもほとんどの個体が雌で、自分のクローンの子供を産むのですが、こちらは一応、他のフナの雄の精子が必要です。(ただし精子は発生のきっかけにするだけで、遺伝子は取り込みません)
    なのに、普通に有性生殖する他のフナ(キンブナとか二ゴロブナとか)と共存してるんですよね。不思議です。

    一方、マーブルクレイフィッシュの方は、ひたすら自分のクローンの卵を産み続けていきますから圧倒的です。
    普通、三倍体などの遺伝子を多く持った変異体は、繁殖力が無かったり弱かったりする(植物には種なしスイカなど多くの園芸品種があります)のですが、こんな例外的な種族が生まれるとは...。

    生物の生存戦略はすべて偶然の産物ですが、突然変異恐るべし、です。

    >「この生物の遺伝子を参考に改造とかしたら恐ろしい生物兵器が作れそうです。」

    もしも、マーブルクレイフィッシュ自体が品種改良によって人為的に生み出されたものだったら、もう、なんとも言い様がないですね。

    持論ですが、「すべての生物兵器は制御不可能」だと考えています。理由は上記の「突然変異は制御も予測も不可能」だからです。

    ごく普通の生物の攻撃的な利用例(人為的なマングースや、ヤマヒタチオビの移入)をとっても、突然変異どころか行動予測にさえ失敗して惨憺たる結果を生み出していますから、実は「人間の先見性のなさ」こそ、もっとも恐るべきもの、なのかもしれません。

  • 本棚には、身体(または頭)の延長として、自分が何者であるかをアピールする役割みたいなものもあると思うのです。それは本人がいないところでもメッセージを発します。わたしの頭の形成にも、両親の本棚を勝手に読み漁ってSFの洗礼を受けたというのは大きな影響があったと思います。
    また、背表紙が発するデザインのメッセージ力というのも大きいです。めくるという行為にも意味がありますし。何かが目に入る瞬間の「共時性」みたいなオカルト的な意味もわたしは大事にしています。
    レコードやCD、本、どれも貸し借りで人に影響を与えるというメッセージボックスの役割もあります。

    読み捨ててよい「情報、コンテンツ」だけの電子書籍と、そんな扱いをされちゃいけない書籍を区別する見識を出版社には保ってもらわないと、先進国ほど知的水準という尺度だけでは測れない、人としての豊かさの水準が下がるような現象が起きるかも、と思ったりします。

    作者からの返信

    >「人に影響を与えるというメッセージボックスの役割」

    この意味は、本当に大きいですよね。
    面白いと思った本を渡す、というのは、本の内容を喋る以上の意味がありますし、個人的にはSNSでの「共有」みたいな浅い関係性とは価値が違うと思います。

    >「先進国ほど知的水準という尺度だけでは測れない、人としての豊かさの水準が下がるような現象が起きるかも」

    私も同じように思います。
    電子書籍というメディアの、商品としての使われ方がこのままでは、言い方は悪いですが「悪貨は良貨を駆逐する」的なことになりかねないという危惧があります。
    しかも、多くの人はそれに気づかないでしょう。(それは客観視の不可能な自分自身も含めて、ですが)

    倫理や道徳観でビジネスを覆すのはほぼ不可能なので、なにか良いシステムが生み出されないものかと思う今日この頃です。

  • 携帯などにデータが入っていれば重く嵩張る紙媒体を持ち歩かなくていいのは便利ですよね。

    ただ利便性は本当にそれだけしかない気がします。


    しかし現実もブックオフという劣悪サービスの店が個々にあった古本屋を軒並み潰してしまい、古本が他の誰かの手に渡り大切に読まれる、といった昔的な状況は見られなくなった気がします。

    これも時代なのでしょうか。

    作者からの返信

    かなり昔ですが、「デジタル仕事術」などで有名だった山根一眞氏が、以前は海外出張の折に必ず持ち歩いていた「何冊もの辞書・辞典類」を光磁気メディアとパソコンのセットだけ持ち歩けば済むようになって、ものすごく助かると話されていました。

    さらに、これがいまでは(携帯網がオンラインな場所であれば)、スマホ一つで済むようになっているわけです。量の変化がある閾値を超えると質の変化を生むと考えると、この変化は仕事の質を変えるに足る変化だと思います。

    ただ、仰るとおりに、それと引き換えに手放したものも多く、しかもいまはまだ、「自分たちが失ったものの価値」を正確には測れていない、というところだと思います。

    なんとか物理メディアとしての書籍が消失する前に、大手デベロッパーが短期的な市場経済の枠組みを超えて未来を考えるようになり、電子書籍の欠陥が解消されると良いのですが。

  • 文字と記憶とソクラテスへの応援コメント

    対話なら討論することで知識を掘り下げられるというとこもありそうです。

    携帯で情報を検索するってSFの世界が現実になっている一面ですよね。
    肉体に直結したりしていませんが、直結してないほうが安全というとこもありそうだ。

    作者からの返信

    士郎正宗氏の攻殻機動隊でも、あえて直結や感覚没入せずにサイボーグ化した指で高速にキーボードを叩く専門家のシーンがありますね。
    確かに、無駄なように見えて一番確実&安全かな? という気もします。

  • あっという間にここまで来ましたね。お疲れさまです。いつも楽しく読んでいます。
    ところで最近面白い一文を見つけました。

    「現在のスマートフォンでは、指が電子部品の役割を果たす「静電容量方式」が主流になっています」

    スマホのタッチペンについてのコラムを眺めていたときに見かけたものですが、「指(=身体あるいはその一部)が電子部品の役割を果たす」という考え方、最近の色々なIT技術に通じるものがありそうです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    なるほど...確かに面白い考え方ですね。
    ところで、私が以前のコラムにジェスチャー操作に問題を感じると書いたのはなぜか、いずれコラムに書こうと思っていたのですが、この話に少し通じるものを感じました。

    私がジェスチャー操作を嫌いな理由は、それが「ユーザーの記憶にメニューの替わりをさせる」=ユーザーに負荷を掛ける操作体系だからなのです。
    マックのトラックパッドのジェスチャーのように、同じ動作でも指の本数で操作内容が違うとか、もうなんだか...というのが個人的な感想です。これは洗練ではなく混乱だと。ちょっと古いですがWYSIWYGの対極ですね。

    指にタッチペンの替わりをさせるのと同様、ユーザーの脳メモリーにメニュー画面の替わりを強いるというのも、(ちょっと強引ですが)身体に電子部品の役割を果たさせていると言えるかも知れません。

  • 生き物には三大欲求があり、それが種と命を存続する為に必要不可欠である。

    AIを人格として定義するならロボット三原則もない(そもそも三原則は行動を縛るものだが)。

    欲求のないAIが何を求めるのか?
    自らを縛るもののない知性だけの存在でも何かを必要と欲するのか?
    大いに興味を惹かれます。

    作者からの返信

    もしAIを人格と認めるなら、三原則のような行動規定を埋め込むこと自体が許されざる「権利侵害」となるでしょう。

    そうなると、人間と同じように法律以外に縛るモノはないわけです。
    人間には一応、倫理(これは社会性を維持し続けたいという欲求に根ざす思考ですが)もありますが、AIが社会を重視しなければ、倫理観は期待できないでしょう。

    AIの行動を決めるのは、(何らかの形で生じたとして)生存欲求の強さ次第ですかね?

  • 揺り戻しもそうですが、希少価値や新たな商品価値の模索の結果、とも言えるのでは。昔から、あらゆる市場において、「使いやすい」ことも、「使いにくい」ことも、場合によって宣伝文句になった歴史がありますから。

    作者からの返信

    あらゆるビジネス判断が極端化しているとは思います。

    商品価値においてもオリジナリティはビジネスに重要な概念ではなくなり、すでに売れているもののコピー+アルファをいかにきれいにまとめるか?が重要になってきていますね。

    売れるとなったら、みんな1000匹目のドジョウぐらいは平気で狙う。

    UI・UXも同じで、本当に使いやすさを検討したのではなく、「初見で消費者の目にどう映るか?」が最大のポイントになりつつあると思います。

    編集済
  • 私は伊集院光の深夜放送のヘビーリスナーですが、「自転車同士が互いを避けようとしてふらふらする現象」を「チャリ・ウィ・ダンス」と名付けたネタに大笑いした思い出があります。アホ・ウィ・ダンス?

    作者からの返信

    Shall we dance...という言葉に、「王様と私」の主題曲ですね。ユル・ブリンナーとデボラ・カーが主演した映画版は大好きでした。
    と言ったら、「なんですかそれ?」と返されたことがあります。

    現代ではShall we danceと言ったら役所広司かリチャード・ギアだそうです...。

  • 「環境や技術が人々の活動と精神を規定する」というのは明言ですね。私はその言葉に「特に自分と他人の評価を。」と付け加えたい。
    賢者とは己の愚かさを知るものなり。

    作者からの返信

    「環境や技術が人々の活動と精神を規定する」ということに関して、私が若い頃から確信していることが一つあります。

    「欲求の最大値は、財布と私的空間の大きさに規定される」です。(笑)

  • ダウンロード後の自分が現在の自分と同一の存在である、と確信できるタイプの心理的傾向を持つ人というのは、現在の技術においても実現可能なレベルのアバターであってもダウンロード後の自分とみなすことができうる人がいるのでは。なぜなら現在のネット自己の扱いがそうだからです。また逆に、究極のシミュレートレベルは原子や電子配列のコピーですが、それを可能と主張する国家及び企業が未来に出現したとしても、その技術を不確定性原理を理由に信じきれない人は存在すると思うのです。つまり技術がどのレベルにあったとしても、人格の電子化は人によって可能とも不可能とも言えない、と私は思います。

    作者からの返信

    そうですね。そも、「現在の自己」が本当に物理的な実在なのか、実はどこかの世界のシミュレーションの中の存在なのかさえ、解釈次第だと考える人々もいますね。

    存在論というか哲学に関わってくると、「正答」は存在しませんから、受け入れる人もいれば、受け入れない人もいる、ということかと。

    ブルース・スターリングの工作者シリーズが見事だと思うのは、サイバーパンクな道具立てのみならず、どんな未来でも、こういう思想や哲学が人を分け隔てて派閥や部族を形成させるというところも、しっかりと描いていることだと思います。

  • 筒井康隆の短編に、予知能力者どうしが殺し合いをする?という話がありますが、それが社会レベルになるということですね。ただ、その話は、より早く予知をした側が勝つ?という展開になります。すべての人々が同様な(というより大差ない)予知システムを持つ社会は、スピード至上主義となり、出遅れた人がギャンブルを行うのではないか、と思います。あれっ、これって投資や婚活と同じ…?

    作者からの返信

    確かにスピード至上主義は悪化しつつあり、企業でも個人でも、熟考している時間を持つことが許されなくなっていると思います。
    企業の場合は、とりあえず製品化してから後で改良するとか。
    個人の場合は、SNSで即レス返さないと嫌われるとか。

    今後は「より早く」と「より正確に」のどちらが強いか? (理論的に、これはトレードオフなので)そのバランスを見極めながらシミュレーションで勝負をかけていくことになるのでしょう。

    ちなみに、私の好きな古典SF「ヴァレンティーナ」では、「天気予報の精度を究極まで高めたら未来予知になる?」という「ありえねー」が炸裂します。

  • 消費者不要の世界、とはなんとも魅力的ワード。私見としては、経済や情報ゲームプレイヤーが消費者の代替になる社会が来るのではないか、と思います。

    作者からの返信

    恐らくですが、超高度な自給自足世界が実現できると、規模の経済が不要になるのではないかという発想です。

    世界(の資源)は、ごく少数の王様に支配されることになってしまいますが。

  • ガンの転移?

    作者からの返信

    転移とは言い得て妙ですね。

    文中に書いたように、ついエラーの連鎖は「ドミノ倒し」を連想してしまいがちですが、仰るとおり、血管やリンパ液を伝って、思わぬところにひょっこりと顔を出す、「転移」の方が、適切な表現のように思います。

    編集済
  • 所有権という概念の希薄化への応援コメント

    なんという禅的スパイラル。

    作者からの返信

    なるほど、「禅的」と言われるとそうかも知れません。
    ただ、欲を捨てるのではなく、欲に駆られた結果としての「無欲化」ですが。
    うーむ、因果応報、なのでしょうか?

  • 情報の価値をどう計るかへの応援コメント

    将来は情報それ自体がAI化して、みずから「検索結果」をアピールするのかも……って、もう、そうなりつつあるか。アマよ、俺のことをどこで知った?

    作者からの返信

    ちょっと話はそれますが、人工知能分野でよく使われていた古いプログラミング言語に、「LISP」というものがあります。
    このLISPの特徴の一つに「データとコードの区別がない」ということがありまして、プログラミングコード自体も、データも、まとめて「式」として扱えるので、自分自身を拡張する記述ができるという、とんでもない柔軟性を持った言語です。
    これが人工知能分野の記述に多用されたのも宜なるかな、です。

    『情報それ自体がAI化して』という事象も、データ(知識)と演算(思考)をコードとして区別しなくなっていくAIの世界では、成立する概念かも知れません。

    ユーザーにはウェブの後ろにいるモノがなにか、まったく見分けが付かなくなるでしょうが。

  • 誰だったか小説家が言った言葉で、「人は(へその緒という)管に繋がれて生まれ、(病院の様々な)管に繋がれて死ぬ」というものがあります。また、私は設備屋なので、人の住む場所に管が溢れるほど潜んでいることを知っています。たぶん管に繋がることは人と人の作りしモノの宿命なのでしょう。そして電子規格の儚さとは、「きずな」の儚さなのかも。

    作者からの返信

    意外なほど「システムの全体像」に気を配る人は少ないと思います。

    例えばPCで言えば、付属品のデザインにまで気を配ったのはAppleだけでしたし、他メーカーは作り手側でさえ本体のみしか注力しておらず、電源アダプターやケーブル類はおざなり...それが「利用上は必須のもの」であることは自明であるにも関わらず、です。

    建物の設備なども同じなのかも知れませんね。


  • 編集済

    ナビゲーションシステムが人間自身に無意識のストロー効果をもたらす可能性、面白いなと思います。

    屋台向けのGPS機能というと、Uberの技術が使えそうな気もします……と調べてみると、既にUberEatsという似たようなサービスが開始されているようです。

    屋台そのものが動くのでなく配達人がそこかしこにいて店から家まで届けてくれる、というイメージですが、これも面白いサービスだと思います。配達人(=労働者)そのものがストローになる訳ですから。

    作者からの返信

    UberEats面白いですよね。
    とにかく「届けてくれる・運んでくれる」、低コストなら手段や背景は問わない、というのがいまのトレンドだと思います。

    いずれ書こうと思っていたのですがが、こういうストロー効果の影響は、実は生活スタイルや需要「そのもの」を変えてしまうでしょうね。

    例えば、UberEatsで運んでもらうのも、パッケージされたテイクアウトフーズや焼き芋なら簡単ですが、屋台ラーメンだと難しい。そうなると、屋台ラーメンを運びやすくするのではなく、屋台ラーメンを食べて貰えなくなる、という方向に社会が進むと思います。

    そういった「供給に手間のかかる食品」はコンビニフードに置き換えられて、いずれ絶滅ですね。

  • 今現在は人間でなければ作れない物もありますが、将来的に機械がそれもこなしていけば機械にとって人間は必要なくなるはずなんですよね。

    その時、世界はどのような姿かとても興味を惹かれます。

    作者からの返信

    今後は、「人間の得意な仕事」というよりも、「機械の不得手な仕事」がなにで、それがいつまで残るのか、という視点で将来を考える必要があると思います。

    実は拙作のSF小説「シスターズ&メイルズ」で、冒頭に農作業と意思決定の話を持ってきたのは、そういう意図もありました。

    現在技術の延長では、収穫や剪定といったデリケートな仕事は、中々難しいのですが、あの世界ではそれもクリアされている。となると、後は人間のやるべきことは「欲求・目的を持つこと」しかないというわけです。

    果たしていつの日か、機械が「そう目的をプログラムされたから」ではなく、自らの中から欲求を生み出す時が来るのか・・・

  • 精神と肉体の話ですが、同じ精神でも違う器に適応すれば変質していくと思うので、一つの精神が自己のコピーなり劣化コピーなりで一つを群のようなものを構成するようになる、とかもSFチックかなと思ったり。

    自己は一つである、という考えと全く異なる価値観なので異質すぎるかもしれませんけど。

    作者からの返信

    一つのオリジナルから発生した群体型精神ですね。十分にありえると思います。

    ただ、これも空想の世界なのですが、世代交代などでの変化が十分に蓄積される状態ならまだしも、即時的にデジタルコピーを増やしていくと、精神的に「合わせ鏡の世界」に迷い込んだようになってしまうのではないかと言う気がしています。

    ひょっとしたら、それこそが「新しい人類の精神形態」となるのかもしれませんが...。

    また、生きることに飽きて宇宙に脱出した人たちは、できるだけ異質なものと出会うことを自らの「ミッション」にするのではないかと思うのです。最後にどうなるかはともかく。

  • 歴史と言われているからアホ(失礼)には文明や知識の恩恵が実感出来ないのかもしれません。

    知識で知っていても経験すると思っていたのと全く違う!なんて事もあるから人生面白いわけですが。

    作者からの返信

    自分のバイアスに気がついた後、改めて考えてみたのですが、「お箸とサービス」に書かせて頂いたように、『人は、自分の”やりたくないこと”を低く評価する』というのが最も大きい影響かなと思いました。

    つまり、「勉強したくない! 学校行きたくない!」> だから、「必要ない!と思いたい」という思考が根底にあるかと。

    まあ、自分が10代だった頃を思い出すと、あまり批判もできませんが(笑)...

    とは言え、確かにふぁさんが仰るように、歴史という言葉に文明の成立を重ねている人は少ないように思えますね。

  • 『ブレードランナー2049』、「なぜ10日間で……」とさりげなく疑問に思っていましたが、物語上の都合ではない一定の理解が得られました。ありがとうございます。

    作者からの返信

    まあ、10日間というのは「極端に言えばあり得なくはない」という感じですが、社会が安全性・信頼性よりも効率至上主義に走れば、そういう可能性はあると思います。(きっと原因はテロでしょうが)

    また、注釈に書いた旧版ブレードランナーの「三次元写真メディア」ですが、あれも映画公開当初は「ありえねー!」と言われていたのに、逆に技術が進んだ昨今では「いずれ実現可能かも...」と言われるようになっているのが面白いです。

  • もしある程度まで便利に使えるツールがあっても
    『弊社のソフトならデータを簡単に参照したり呼び出したりできます!』
    とかいってその会社のソフトでしか書き込み、呼び出し、加工できないデータになる、みたいな現代あるある使いにくい、使いたくない部分をくっつけられてやってられない事になりそうだと思ってしまった。

    ソフトやツールはレンタルで、みたいな世の中になるといった話から、便利なツールはツール本来意外の部分で足を引っ張る要素(定期課金、余計な広告の表示)があって当然みたいなのが嫌かなと。

    やはり手書きできるメモが最強かもしれません。

    作者からの返信

    >やはり手書きできるメモが最強かもしれません。

    私も個人的にはそう思っています。

    拙作SF小説の方でも、ちょっと触れていますが、「読み取りにテクノロジーが一切いらない」という紙のメリットを電子デバイスが越えることは原理的に不可能ですし。

    ただ、やはり便利さには抗いにくいですよね。
    いずれコラムに書こうと思っていますが、スマホ=個人活動データベースという位置づけになってしまっていますし、メモやノートはともかく、紙の「アドレス帳」を使っている人は、もう何年も見かけません。

    手書きという「行為」に価値を見いだす人がどれくらい居続けるかに、紙ノートの存続が掛かっている気もします。

  • 私見ですが、私はその「ギリシャ変化」は、とてもスローになると考えています。技術的なものではなく、その変化が気に入らない、あるいは損をする陣営が政治的に阻み、その攻防が一進一退で続くから、という理由です。
    具体的には、敵対者の所有するAIに人権を与えようと試みたり、情報テロ(それがどんなものか想像もできませんが)が行われたりするでしょう。

    作者からの返信

    そうですね。正直、そうなったらいいなとは思う物の、そう簡単に成立するとはやはり自分でも思えません。
    ですが、労働でも消費でも、役割の減少し続ける人間が、どうやって社会を成立させ続けるのか?は、非常に大きな課題だと思います。

  • 「自分の」仕事は奪われない、奪われることを認めない、という信念からなんでしょうね。雇用とは人権を貨幣化するもの、という現実を見たくないのかも。

    作者からの返信

    仰るとおりだと思います。
    人間は特別な存在であるべきだ、と言う思考が根底にあるのだと感じます。

  • 高価である、そして、要求される水準が常にアップし続けるために高価であり続けるだろうと考えると、「神の見えざる手」がAIを最終的に管理するとは思う。
    情報の真の価値は「独占」することで生まれるとするならば、低位の情報が氾濫するほうが高価なAIの所有者にとっては都合がいいのだけど、それが情報の共有化につながるかどうかは、神のみぞ知る。

    作者からの返信

    SNSでの共有という幻想についてはいずれ書くつもりですが、共有という建前で情報(素材)を供出させておいて、実はプラットフォーム側で情報(価値)を独占する、という仕組みは、もうしばらく安泰かもしれません。

  • サイボーグのメランコリアへの応援コメント

    O型の血液は著作権フリーですね。

    作者からの返信

    爆笑しました。
    ユニバーサル血液媒体...

  • ボディを用途に応じて好きに乗り換えるというのはまさに神の所業な気がします。
    まるでゼウスが美女を孕ませる為に変身しまくった行為にそっくりです。
    また映画アバターで異星人のクローンボディに意識を移しているシーンなども思い出します。


    それと今回の話を読んでいて、自分が昔から考えていた大きな疑問を再び意識しました。
    それは『精神と肉体は連動する』といった趣旨の話です。
    肉体から解き放たれた時、精神は人間として健全であり続けられるだろうか?
    肉体がないということは三大欲求もなく、欲求のない精神に目的意識の様なものは存在するのか?
    肉体の感覚を記憶している初期はいいが、やがてそれらから乖離して人間と別物になるのでは?
    つまり肉体から分離した精神は分離した時点で人とは呼べぬ完全に別物になってしまうのでは?

    五感などの身体感覚における反応が完全にデジタルなものになれば、感覚というものを失ない、無刺激の日々を過ごすことは大きな空漠で、故に常に精神的刺激を求めるのかもしれない?
    退屈しのぎに命を弄ぶ神みたいに。

    などなど色々なケースを考えてしまいます。
    肉体が精神から分離した時、どのような変化が起きるのか?
    それは精神を肉体的意識を残したまま精神体になるのか。
    精神だけになったときに肉体的からくるあらゆるフィードバックから解放された精神体になるのか。
    この結果は大いに興味が尽きません。

    作者からの返信

    個人的な意見ですが、肉体から離れた精神は「やがて人間と別物になる」と思います。ただし、肉体を「制約だった」と見なすのか、現状を「論理回路に囚われている」と見なすのかで大分違うのかもしれませんが、これは形而上的な問題であって確定できないでしょう。

    別のコラムで書こうと思っていましたが、正直、いまのネットユーザーが抱いている「漠然とした万能感」は、すでに過去の人間の五感に根ざした感覚からは離れつつあると思っています。

    変化が緩やかであれば、誰一人、自分たちが過去の人間とはまったく異質な精神性を持つ存在になっていくことに気づかないかもしれませんね。

  • むむっ、なんだか概念的「魂」の必然性が見えてきた気がする。

    作者からの返信

    優生学も経済学も、統計的に物事を扱おうとすると、どうしても「過去の傾向」からしか、物事を計れなくなります。
    そうすると、(未来に何が起きるかを知ることができないので当然ですが)必然的に「目先の利益」でしか判断ができなくなってしまうと思うのです。

    未来に役立つ物が何かを、人は事前に察知することができませんから。

  • 私が本当にほしいのはテレパシーの使える透明秘書であり、デジタルでそこまで行ってくれるとありがたいのだけど、きっと余計なものが山ほどついた高価なものになるでしょうね……そしてたぶん個人情報はメーカーにつつぬけ。

    作者からの返信

    テレパシーは無理ですが、すでに「思考を読む」(文字通りに、脳内に思い浮かべたワードが何かを外部から読み取る)研究はかなり進んでいるので、今の方向で進むとしたら、「プライバシー」という概念自体を別の物に、すり替えてしまう必要が出てくるかもしれません。そうなると笑い事ではないかもしませんね。

    気がつくと秘書が「嘘発見器」に。

  • すこぶるなスコビルとか…

    作者からの返信

    テクノロジーの進歩で計れる物が増えると、単位が増えるわけですが、「なんカロリー分の運動か?」なんていうのも、いかにも現代社会ならではの単位ですよね。
    これは、「1日で歩ける距離の」の現代版と言えなくもないかも?(利用目的は違いますが)

  • メディアにおけるAIの扱いへの応援コメント

    危険な匂いは確かにありますね。現状ですら「AIもアイツが悪いと判断した」というトンデモ報道があっても不思議はないですからね。

    作者からの返信

    ありそうですよね。
    よく分からないまま、よく分かっていないままに利用を進めると、AIもSF映画で良く扱われるモチーフ「プロメテウスの火」みたいな存在になってしまいそうです。

  • 「ユーザの利便性を向上させる」以外のちからは、二通りあると思います。「むこう側」としては囲い込み、「こちら側」としては責任の放棄。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    仰るとおりですね。
    ユーザー側も、どんどん「自分で考えなくて済む」ことに馴らされつつあるようです。逆に、それが停滞に結びつかなければいいのですが。

  • お箸とサービス(有料)への応援コメント

    道具は使用用途に応じて形になります。
    分度器は角度しか測れないように。ものさしが長さしか測れないように。
    その道具が一般化すれば、逆に道具に適した形で準備をするのが当たり前になります。
    この後者の状況の有難さというものこそ、文化や文明の恩恵なのかもしれません。

    箸が万能ならシチューを箸で食して欲しいものですw

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「道具に適した形で準備をするのが当たり前になる」...まさに仰る通りだと思います。

    日々の生活が、どれほどの「積み重ね」の上に形成されているか、それに思いを巡らす機会は(私自身も含めて)少ないなぁ、と思ったのが、この知人との「お箸に関する会話」での第一印象でした。

    今後もお付き合い頂ければ幸いです。

  • これは自分も常々感じています。
    商品に対する対価を払っているのに自分の物にならないのはとても落ち着きません。
    賃貸契約など物件の持ち主が常に有利ですし、あらゆるものが所持できず一定期間のレンタルだけだととんでもなく嫌な世の中になりそうです。

    あとメーカーなどのいう言葉って大抵大嘘ですね。
    そんなこといってるユーザーみたことねえ!って何時も思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    所有権の喪失は世界的なトレンドなので、その行き先がどうなっていくのかを含めて、今後も考えてみたいと思っています。

    また、いずれ別の話題として書こうと思っていますが、どんなに白々しくても「建前しか言えなくなる世界」の醸成には、テクノロジーが影響している部分もあると考えています。

    今後もお読み頂ければ幸いです。

  • 夢の未来としては、古代ギリシャ時代の市民階級みたいな左うちわな生活ができたら素敵なのですが。あの時代は奴隷が生活を支えているので、そのかわりに各家庭でロボを飼えて、それが畑を世話したりして生活物資を生み出してくれるような未来があれば、ハイテクなギリシャ人になれたりしないかなーと思ったりします。
    でも、農地や生産設備を巨大資本が独占しちゃって、ロボが世話する無人畑から子供たちが命懸けで野菜を盗むようなディストピアもありそうで怖いです。

    作者からの返信

    個人的には、ハイテクなギリシャ人、という世界も十分に可能だと思います。

    ただ、それが実現するかどうかは、人間が(上から目線とか、選民思想とかではなく)、人類という種全体の総和として、どこまで賢者になれるか? にかかっているとは思いますが。

    そうでなければ、結局、できる地域とできない地域に分かれるわけで、今とあまり変わらない世界ですね。

    移行に失敗すると、別コラムで書いた「AI、CG、3Dプリントによる『大量生産と消費者の時代』の終焉」のような状態になりかねない気も・・・

  • 林檎印のポータブル端末なんて持ってると、旧バージョンのアプリがどんどん抹殺されて、いまでは音楽しか聴けません。借り物じゃないのに!買ったのに首輪と鎖がつながったままなんて!

    リチャード・ストールマン氏がクラウド時代について「武器を手放すなんてアホだ」ってコメントしていた記事を読んだ覚えがあります。スタンドアローンのパソコンが御法度になる時代とか、SFだけで済めばいいのですが。

    作者からの返信

    実は、追々コラムにフリーソフトウェアとGNUあたりのことを書こうと思っていました。
    「マックス・ヘッドルーム」ではTVのオフスイッチが違法でしたが、近い世界になりつつあるように思いますね。
    それに、ハードウェアだけでなく、アプリケーションの寿命やデータの寿命(論理的に)なども、気にする必要が出てきていると思います。

    個人的に「クラウドは正解にあらず」とは思っていますが、年度ごとの収益率がすべてを決める世界では、レミングの群れが海に突っ込んでいくのを止めるのは、難しいと思う今日この頃です。