応援コメント

かな漢字変換で言語が変化していくさま」への応援コメント

  • 誤字の報告を。

    よく知らないと追うことは
    →よく知らないということは


    言葉が変化するものでなければ古文なんてものは無いわけで。
    昔、興味があって色々な言語を調べていたときに『ギリシャ人の大半が古代ギリシャ語を読めない』という事実(ソースは不明)を読んで「そうだろうなぁ」と腑に落ちたものです。
    自分も学生の頃なら兎も角、もう古文の大半は読めないでしょう。

    また学生の頃に指輪物語を読んだのですが、文章が金剛石の様に固く、文字が小さく、かつ中身が冒険性0の村暮らし。
    中編まで読みましたが全く冒険にでる気配がなくて投げ出しました。

    同じ様に古典SFの名作ときいて本屋を梯子して購入したのに文体でグロッキー等々。

    読みやすい文章こそ最良だと思います。


    意味が変わった諺では『沈黙は金』が一番印象深いです。
    本当は『沈黙は金なり 雄弁は銀なり』
    で当時の日本では銀の方が価値があり、黙るよりもコミュ力あった方が良いという意味なんです。

    声がでかい奴が勝つ事が顕著な現代では大本の方が意味として使えそうですね。

    作者からの返信

    コメント&誤字をお知らせいただきありがとうございます!

    せっかく良い内容(情報・物語)なのに、「読みづらい文章」で敬遠されてしまうというのは、本当に勿体無いですよね。

    私も、古典文学(和洋問わず)の現代語訳は賛成派です。
    『古典らしさが失われる』という声もありますし、それはそれで納得のいく主張ですが、単に両方あれば良いだけだと思います。

    また、海外物の翻訳の難しさも同様ですね。

    ただ、古典の現代語訳も海外文学の翻訳も、あまり「現代性を意識しすぎた」訳をしてしまうと、かえって短命になってしまいます。

    翻訳時点での『現代』は、あっという間に『過去』になってしまい、取り入れた現代風の表現は、出版から数年後には読んでいて恥ずかしい死語に変わってしまうという...。

    なので、現代語訳は一定間隔でリフレッシュしていく必要があるでしょう。
    (これも、AIの仕事になるかもしれませんが)