応援コメント

達筆とタイプライター」への応援コメント

  • 言われてみるとお年寄りの方は読み辛い文字でも一定の美しさがある文字を書く人が多い印象があります。
    すっと文字として読む前に『読むぞ!』と切り替えが必要な感じ。

    文字として美しい範疇ならいいのですが、読めん!みたいなものを有り難がるのはとんと理解できません。
    美術品の良いポイントを指摘されても全く理解できないみたいな。

    文字も美術品もアートも理解の範疇外になると途端に興味が失せてしまったり。

    感想が散らばってる内容ですが、文字として美しいものは文化としても良いと思う。
    でもアートに振り切ったものは文字じゃないし読めないよ。ってとこでしょうか。
    今回は散文みたいですみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本来、美意識は人それぞれのものであると同時に、同じ文化圏内で共有するものでもある、と言う二面性を持っていると思います。
    この、個性と共感のバランス次第で、受け入れる人のボリュームが変わってくる。

    草書体を読める人々の文化圏内では、それは別に変なものでもないので、共有する記号として成立しているわけです。

    >文字として美しい範疇ならいいのですが、読めん!みたいなものを有り難がるのはとんと理解できません。

    同感です。
    仰る通り、書道のように「アート」であると宣言していれば、どんな表現でも構わない(受け入れられるかどうかは未知)ですが、通信手段は相手に『受け入れてもらえることが前提』なので、それでは困りますね。

    伝えたい相手に「字」として認識してもらえなくなった時点で、それはすでに「字ではない」...とするならば必然的に、『達筆』も『読めないほど下手くそな字』も等価である、と言うことになります。(実際、そう思いますが)

    これは、自分の発信した情報を受け取る相手のことを、どの程度おもんばかっているか? と言うことにもなると思います。