応援コメント

ヒギンズ教授とMITのチャットボット、ELIZA」への応援コメント

  • 今回は個人的にかなり面白かったです。
    マイフェアレディの原作がピグマリオンというのも実に納得できる内容です。

    今回の話は逆説的な話題の哲学的ゾンビを思い出しました。
    相手に本当に心があるかわからないみたいな話ですが、人間は心が無いものでも愛着を持ち大切にできるわけで、それは動物である必要さえもない。
    現実的に相手を確かめたら対話相手が人間でなければ驚くのが普通だろうけど、ネットなどの顔を知らぬ対話相手を普通は人間だと思い込むフィルター越しに相手を見ているでしょう(というか実験などの例外を除いてほぼほぼ人間相手だろう)
    でもそこに『相手が人間である必要性』をどれほど感じているか大いに疑問です。
    そう考えると自分がシンパシーを感じる受け答えをしてくれる相手なら人間でなくても気にしないものなのかもしれません。

    思慕が募って会いたい!とかなったらなんともいえませんけど。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >そう考えると自分がシンパシーを感じる受け答えをしてくれる相手なら人間でなくても気にしないものなのかもしれません。

    『人工物に共感してしまう』と言うか『入れ込んでしまう』と言う感覚は、人として普通のことだと思います。と言うか、むしろ人間の精神は『ありとあらゆるものに共感できる』ようになっている、と捉えた方が近いかもしれません。

    本質的に人間は『いつも対話がしたくてたまらない』生き物なのでしょう。だから、対話の相手が何であれ受け入れてしまう。


    戯曲の題名の元になった古代キプロスの王Pygmalionも、自分で作った彫刻に恋をして寝食を忘れるほどになったと言うのですから、現代風に言えば『アニメやフィギュアに恋したオタク』のような...?

    そこで作者のバーナード・ショウは、自分が『作り上げた』人工的な女性像であるイライザに入れ込んだヒギンズ教授をPygmalion王に例えた訳ですね。

    逆にワイゼンバウム教授は一種のユーモアで対話型プログラムをELIZAと名付けたら、予想に反して本気で入れ込んでしまう人が続出して慌てた。

    ですが、むしろ現代では、Siriに気の利いた受け答えをさせて面白がったり、AIチャットボットの公開実験に喜んで参加してくる人が大勢いるのですから、個人的には、人間の『対話欲求』と言うものは、知性の根幹にあるのではないか? と思えるほどです。