ヒギンズ教授とMITのチャットボット、ELIZA
世界共通な概念として、出身地、育った時の社会階層や収入レベル、日頃の暮らしぶり、などなど、言葉遣いは『人を見分ける為の最も簡単なツール』だ。
良し悪しは別として、言葉遣いで相手の出身クラスターを推測することは多いだろう。
その世界で育っていない人間からすれば、演劇的というか、気取った独特の言い回しであったり、なぜ日常生活で芸術性を披露しなければいけないのか謎なメッセージであったりしても、それは、それらのクラスに属する人同士の間で、互いを認め合うために必要な「符丁」なのである。
様々な分野の職人さんが、わざと独特の言葉遣いをすることも、機能的には同じようなもの(部外者を見分ける)なのだろうと思う。
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このテーマを扱った有名な作品に、「マイフェアレディ」と言うミュージカルがある。
19世紀末頃のロンドンを舞台に、母国語の乱れを嘆く言語学者であるヒギンズ教授が貧民街生まれの花売り娘「イライザ」と知り合い、徹底的に上流階級の発声と言葉遣いを仕込むことで社交界にデビューさせる...と言うストーリーなのだが、この中で、人々の言葉の使い方が明確にクラス分けの目印となっていることが示される。
舞台となった19世紀末ロンドンで「学者」をやっていられると言うだけでも富裕層出身の証である。
しかもヒギンズ家は、母親が(当時としては自由な思想の持ち主でありつつも)上流階級の社交場として名高いアスコット競馬場にボックス席を所有し、教会トップの人物と親交があるほどの上流階級だ。
その人物に言葉遣いによる差別を嘆かせ、社会を公平にする打開策の実験としてイライザに「正しい喋り方を教え込む」と言うのだから、さすが皮肉屋で有名だったバーナード・ショウらしい『
ちなみに劇中で、きちんと喋れるようになろうと涙ぐましい努力をする花売り娘「イライザ」が、1966年に作られた史上初の対話型自然言語処理システム「イライザ(ELIZA )」の名前の元になっている。
(システムの方の)ELIZAを作成したMIT教授のジョセフ・ワイゼンバウムは、一種の皮肉も込めて、対話の相手にELIZAを人間のカウンセラーだと思わせるよう設定したが、これはあくまでも人工知能「風」のシステムであり、現在で言うところの「チャットボット」のご先祖さまだと言っても良いだろう。
マイフェアレディの劇中でも、(人間の方の)イライザは、まさに出来のよろしくないチャットボットのような受け答えをしてしまうシーンがある。
正しいアクセントとボキャブラリーで会話ができても、その常識・知識が貧民街出身の花売り娘のベースに基づいているため、完璧な上流階級の言葉遣いのまま、とんでもない下町生活の話題を口にしてしまうのだ。
上流階級に囲まれたアスコット競馬場のお茶会で、ゆったりと微笑みながら、『昏倒した
『常識や前提を共有できていない』相手との会話はちぐはぐになりがちであり、
たとえ相手が本物の人間であったとしても、なぜかチューリングテストのごとき様相を示したりする。
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(システムの方の)ELIZAは、相手(人間)の入力に最も適合しそうな返答をパターンマッチングによって選択して、『それっぽい回答』や『当たり障りのない回答』を組み立てる、という手法を使っていたそうだ。
この点で、ELIZAはいかなる意味でも『知識を理解』してはおらず、先にも書いたように、AI(人工知能)と呼べる存在ではない。
にも関わらず、チャットの相手が人間だと信じる人が実際に多くいたらしい。
むしろ作成者であるワイゼンバウムの方が、あまりにも多くの人が簡単にELIZAを人間だと信じてしまうことにショックを受け、その経験から逆にAIに対して、「推進」するというよりも「慎重な取り組みを求める」立場になったほどだ。
アスコット競馬場における(人間の方の)イライザも、驚くほど珍妙な受け答えをしておきながらも、その喋り方が完璧に上流階級のものであったがゆえに、多くの人々は彼女が花売り娘の出身であることなど想像できなかった。
MITの(システムの方の) ELIZAもまた、心理療法など全く理解していない、というか、そもそも知能など存在しないマシンであるにも関わらず、カウンセラーとして相手の身に立っているような受け答えをしていれば、多くの人から本物の人間であると受け止められた。
つまり、対話の通じる相手、もしくは共感できる相手であると認めてもらうために必要な要素が、本物の情動や深い思索と知識などではなく、予想されるパターンに『フィットする言葉遣いと語彙の選択』が、その判断の大部分を占めていることを、バーナード・ショウの「イライザ」と、ジョセフ・ワイゼンバウムの「ELIZA」はともに明確に示したのである。
これらを人間の認知力の弱さだと断じることは容易い。
しかし、逆に言えば、人間はそういう『社会との関係性ありき』の生き物なのである。
だからこそ、社会構造もITシステムも、それを前提に優しく柔らかく組み上げていくべきだと思うのだ。
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< 「マイフェアレディ(My Fair Lady)」はバーナード・ショウによる1912年の戯曲「ピグマリオン(Pygmalion)」をブロードウェイで舞台化したもので、のちにそれをワーナー・ブラザースが映画化した作品としても有名だ。>
< ちなみに「Pygmalion」とは、ギリシャ神話に登場するキプロスの王で、自分の作った石像に恋をしてしまうのだが、その思いの真剣さにうたれた女神アフロディーテが彼の望みを叶えて石像を人間に変え、二人は結婚する。>
< ブロードウェイでの主演女優は「メアリー・ポピンズ」や「サウンド・オブ・ミュージック」でも有名なジュリー・アンドリュースだったそうだが、1964年に制作されたワーナー映画版では、オードリー・ヘップバーンが主演している。>
< ワイゼンバウムが、『人間らしい情動を持ち得ないAIには、重要な意思決定を任せるべきではない』と言うスタンスを取るに至った根拠に関しては、1976年頃の彼の著作「コンピュータ・パワー / 人工知能と人間の理性(Computer Power and Human Reason)」に詳しい。>
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