応援コメント

「電子書籍は紙の書籍を超えるか?」への応援コメント

  • 本棚には、身体(または頭)の延長として、自分が何者であるかをアピールする役割みたいなものもあると思うのです。それは本人がいないところでもメッセージを発します。わたしの頭の形成にも、両親の本棚を勝手に読み漁ってSFの洗礼を受けたというのは大きな影響があったと思います。
    また、背表紙が発するデザインのメッセージ力というのも大きいです。めくるという行為にも意味がありますし。何かが目に入る瞬間の「共時性」みたいなオカルト的な意味もわたしは大事にしています。
    レコードやCD、本、どれも貸し借りで人に影響を与えるというメッセージボックスの役割もあります。

    読み捨ててよい「情報、コンテンツ」だけの電子書籍と、そんな扱いをされちゃいけない書籍を区別する見識を出版社には保ってもらわないと、先進国ほど知的水準という尺度だけでは測れない、人としての豊かさの水準が下がるような現象が起きるかも、と思ったりします。

    作者からの返信

    >「人に影響を与えるというメッセージボックスの役割」

    この意味は、本当に大きいですよね。
    面白いと思った本を渡す、というのは、本の内容を喋る以上の意味がありますし、個人的にはSNSでの「共有」みたいな浅い関係性とは価値が違うと思います。

    >「先進国ほど知的水準という尺度だけでは測れない、人としての豊かさの水準が下がるような現象が起きるかも」

    私も同じように思います。
    電子書籍というメディアの、商品としての使われ方がこのままでは、言い方は悪いですが「悪貨は良貨を駆逐する」的なことになりかねないという危惧があります。
    しかも、多くの人はそれに気づかないでしょう。(それは客観視の不可能な自分自身も含めて、ですが)

    倫理や道徳観でビジネスを覆すのはほぼ不可能なので、なにか良いシステムが生み出されないものかと思う今日この頃です。

  • 携帯などにデータが入っていれば重く嵩張る紙媒体を持ち歩かなくていいのは便利ですよね。

    ただ利便性は本当にそれだけしかない気がします。


    しかし現実もブックオフという劣悪サービスの店が個々にあった古本屋を軒並み潰してしまい、古本が他の誰かの手に渡り大切に読まれる、といった昔的な状況は見られなくなった気がします。

    これも時代なのでしょうか。

    作者からの返信

    かなり昔ですが、「デジタル仕事術」などで有名だった山根一眞氏が、以前は海外出張の折に必ず持ち歩いていた「何冊もの辞書・辞典類」を光磁気メディアとパソコンのセットだけ持ち歩けば済むようになって、ものすごく助かると話されていました。

    さらに、これがいまでは(携帯網がオンラインな場所であれば)、スマホ一つで済むようになっているわけです。量の変化がある閾値を超えると質の変化を生むと考えると、この変化は仕事の質を変えるに足る変化だと思います。

    ただ、仰るとおりに、それと引き換えに手放したものも多く、しかもいまはまだ、「自分たちが失ったものの価値」を正確には測れていない、というところだと思います。

    なんとか物理メディアとしての書籍が消失する前に、大手デベロッパーが短期的な市場経済の枠組みを超えて未来を考えるようになり、電子書籍の欠陥が解消されると良いのですが。