「話があるんだけど」

 例のあんあん騒動から数週間が経ち、珍しく香津が私に話し掛けてきた。いや本当に珍しいのだ、朝の挨拶をしても滅多に返ってこないと言えば彼女とのコミュニケーションの薄さが分かって頂けると思う。最近では私からの挨拶を避けるためか一日に一度も顔を合わせない事もザラなくらいだ。

「私にでしょうか?」

「全員に、ちょっと出てきてくんない?」

 私は香津に付いて行きダイニングに向かうとミカと由梨も既に待っていた。私たちも決まってる場所に落ち着くと、さも重大発表でもするかの様な緊張感がダイニングを支配し始める。香津は態とらしくこほんと咳払いし、私たち一人一人を見る。

「近々ここを出ようと思ってる」

「そうですか、分かりました。日取りが決まったら教えてくださいね」

 私は極力表情を崩さないよう冷静に返事をした。香津はあっさり認めた事が意外だったのかポカンとしており、ミカと由梨も変な顔をしている。どこか変だったかしら?

「麻帆ちゃんって冷たいよね」

 口火を切ったのは由梨だった。香津はここを出たいと言ったので私は了承しただけ、一体何が冷たいのか?

「普通もう少し寂しそうにとかしないかな?」

 あぁもうちょっと人情を出せってこと? そんな事言われてもありもしない物を出せるほど私は女優ではない。

「香津さんが決められた事です、私は尊重したいと思います。折角のご決意を引き留めるような態度を取った方がご迷惑なんじゃないでしょうか?」

「うん、私もその方がありがたいわ」

 意外にもフォローしてきたのは香津本人だった。余程ここを出て行きたい事情でもあるのだろう、由梨はようやく私への矛を収めて口をつぐむ。彼女はフリーライターでフリーターの私の事をどことなく格下と認識しているようだ、まぁこの女にどう思われようとどうでも良いのだが。

「麻帆って余計な口出ししないから助かるよ」

 香津は笑顔でそう言った。勿論腹の底からの笑顔ではなく笑顔を型どった仮面を付けて。私も同じような微笑みを返し、表向きは和やかに話が進んでいた。

「でも理由くらいは話してくれても良いんじゃないかな? 短期間とは言え一緒に暮らしてきたんだからマナーの範疇だよね?」

 これで肩の荷が下りると思ってた矢先にミカが正論でぶつかってきた。香津は鼻をフンと鳴らしてミカを凝視し、二人の睨み合い状態になる。あ~こうなると面倒臭い、ここで仲裁なんてしようものなら私がフルボッコだ。こんの気の強い二人相手にお豆腐メンタルの私が太刀打ち出来る訳がない。取り敢えずミカの服を摘まんで窘めると睨み合いだけは止めてくれる。

「彼と一緒に暮らそうかと思って」

 あぁやっぱりそうですか、余りにも予想通りすぎて驚きもしないわ。まぁ出て行くには十分な理由ですね。

「彼新人研修を終えたら福岡への赴任が決まっているの、仕事辞めて付いて来てほしいって」

「純愛だよね」

 由梨は香津に羨望の眼差しを向けている。こういうのを純愛って言うんですね、私初めて知りました。てっきり無謀と言うんだと思ってました。

「へぇ、思い切った事するんだね」

 さすがにミカも否定的な発言はしない、この女が出て行けば少なくとも男を連れ込んで騒音に悩まされる事は無いのだから。多分芋づる式に由梨も出て行くだろう、そうなれば再び平穏な日々が取り戻せると思うと寧ろ心が踊る。それは私にとって喜ばしい出来事だった筈なのだが……。

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