ⅩⅩⅠ

 このところありがたい事にライターとしての仕事帰り増えて出版社に通う頻度も上がってきた。最近では出版社の食堂や休憩室を利用させて頂くこともあり、この日は打ち合わせ合間の休憩を挟んでいた。

 基本は檜山か松井さんと一緒にいる事が多いのだが、この日はたまたま彼女がトイレに行っていたので珍しく一人でいた。

 「やぁ、麻帆ちゃん」

 ここで私の事を名前で呼んでくる男性はいない。檜山とは十年以上の付き合いだが、仕事で下の名前を読んでくる事は皆無だ。女性なら松井さんを始め何人かいるけれど……ひょっとすると同じ名前の方がいるのかも知れない。ここは違う人を呼んでいることにして無視を決め込む。

 「無視しないでよ麻帆ちゃん」

 あらあら無視されてお可哀想に……なんて思っていたら、声を掛けてきたであろう男性が私の顔を覗き込んできた。

 「うわっ!!!」

 私は反射的に仰け反ってしまう。誰だよ?と思って相手を見ると仰木大和だった。

 「そんなに驚かなくてもいいじゃない、知らない仲でもあるまいし」

 いや、どちらかと言えば知らない仲だ、この手の男はどうも苦手で私は椅子をずらして距離を置く。

 「あの、仕事なので下の名前で呼ぶの止めて頂けません?」

 「えっ?別に良くない?」

 全然良くない、むしろ嫌だ。

 「友達ではありませんので」

 たかだか二度ほど挨拶しただけではないか。

 「ちょっと壁作りすぎじゃない?」

 この男相手にはエベレストレベルの高さの壁でもまだ足りない。どうすれはこうも馴れ馴れしくなれるものか是非教えて頂きたいところだ、参考にもしないが。

 「そうでしょうか?」

 「貴之には名前呼ばせて……」

 「いませんがそれが何か?」

 阿呆なのかこの男?仕事の場で馴れ合いを避けるのは当たり前ではないか。微妙に御曹司に似ているその顔が胸糞悪い、松井さん早く戻ってきてはくれまいか。そう願っていると今度は女性の声で薗田さん?と声を掛けられた。振り返ると先日取材旅行で一緒だった相川さんが立っていた。

 「しばらく振りです、先日はありがとうございました」

 私は立ち上がって相川さんに一礼する。

 「こちらこそ楽しかったです、今食堂で雑誌に掲載する予定のお弁当の試食をしてるんです。月刊誌担当の編集者さんもほとんどいらっしゃるんで一緒に行きません?」

 これは渡りに船、乗らない手はない。

 「えぇ是非、その前にトイレに寄ってもいいですか?松井さんに声掛けてきます。仰木さん私はこれで」

 私は相川さんに付いて行くと、ちょうどトイレから松井さんが出てきたところだった。

 「あれ?どこか行くの?」

 「食堂へ。松井さんも一緒に行きませんか?」

 松井さんは良いわねと言いつつも少々嫌そうな表情をしている。相川さんが松井さんの視線を追うように後ろを気にすると驚きの表情を見せていた。

 「どちら様です?」

 私も後ろを振り返るとなぜか仰木大和も付いてきていた。誘われたのは私だけのはずなのだが。

 「何故少年誌編集の方がこちらに?」

 松井さん明らかに嫌だと言わんばかりの視線を向けててる。言い訳させてもらえば私が連れてきた訳ではない。

 「そうですよね?フロア違いますものね。薗田さんの隣にいるのは分かってましたけどまさか付いてこられるとは……」

 「僕一人増えるくらい何か問題でも?」

 一人増えると言う事より勝手に付いてきている事を言っているのだが……誘われてもいないのに平然と付いてくる神経が分からない。

 「問題と言うより厚かましいなと、せめてこっちが声を掛けてから付いてきません?」

 「そうかな?僕たちが一緒にいるところに割り込んできたの君だよね?」

 「気持ち悪、相手にされてなかったくせに」

 相川さんの一瞥のひと言に松井さんはプッと吹き出していた。

 「この人こういうとこあるのよ、麻帆ちゃんあなたも気を付けなさいね。これからはトイレにも付いてきなさい」

 「そうさせて頂きます」

 私たちは仰木大和を放置して食堂に向かった。とは言え結局付いてきたのだが、食堂で同じ少年誌編集の男性に声を掛けられてそっちに合流していった。

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