ⅩⅩⅥ

 「ただいま戻りました」

 打ち合わせから戻った私をミカが出迎えてくれた。

 「お帰り、ちょっとだけいい?」

 「ん?何?」

 「部屋で話せない?」

 ミカは何故か声をひそめてる。私も音に気を付けて黙ってみると、台所から上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。

 「誰?」

 私は耳打ちで訊ねてみる。

 「香津さんよ、今日はずっとあんな感じで……」

 え~何それ気持ち悪い。

 「何か言ってた?」

 「ううん、聞いてみたけど『別に』って」

 「あっそう……じゃ部屋に」

 私たちはなるべく音を立てずに抜き足差し足で部屋に入る。一応香津の姿を確認するとイヤホンを付けていたので声を掛けても気付かないだろう。ドアもそっと閉め、部屋の窓を開けてようやっと呼吸出来た気分になる。

 「はぁ~、何か疲れる」

 ミカはそう言いながらクッションの上にペタンと座る。

 「不機嫌で怒り撒き散らしてるよりいいんじゃないの?」

 「って思うでしょ?由梨さんに逆襲出来て上機嫌な感じなのよ」

 何だそれ?意味が分からん。

 「由梨さん今日出掛けててね、男性に送ってもらって帰ってきたんだって。それでたまたまトイレ貸したのを香津さんに見られたみたいで……」

 つまりミイラ取りがミイラになった訳だ。

 「それで『自分の事隠すために私を陥れようとしてたのか?』ってなって……多分この後話あると思うよ」

 「そう……まぁこの後多分修羅場ね」

 多分。ミカはため息を吐いた。

 ミカはすぐに部屋を出て行き、私は取り敢えず着替えて原稿の続きを書いていると香津に呼ばれてダイニングに集まった。

 「由梨さんは?」

 ミカは誰にともなく訊ねる。

 「呼んできます?」

 「良いんじゃない?罰が悪くて出てこられないのよ」

 香津の言葉に私たちは黙り、静かに食事を始める。

 「そう言えばトイレの犯人分かったわよ」

 ……早速来ましたか。

 「由梨の男だったの。これでもう万事解決ね」

 香津の上機嫌っぷりがかえって怖い。私とミカはそりゃ良かったと黙って頷いておいた。その割に由梨はなぜ犯人探しに躍起になっていたのだろうか?

 「あの女結構な二重人格だからね、カモフラのために疑いの目を逸らそうとしてたんじゃないかしら?」

 本当にそうならこの上なく面倒臭い女だな、それが無くても面倒臭い女なのに。にしても今日は訊ねてもいない事をベラベラと話してくれる、きっと仰木大和との不倫が順調なのもあるのだろう。

 ただの勘だがこれでトイレの一件が解決したとはどうしても思えなかった。普段の由梨であれば絶対に何らかのアクションを起こしてきそうなのだが、それが無いのも何だか気持ちが悪くて不気味な気さえする。


 食事を終えた直後香津のケータイが鳴り、会社でトラブルがあったと言ってそのまま出て行った。後片付けが残っている状態なので私とミカは洗い物を始める。

 「ねぇ、アレで解決したと思う?」

 ミカも同じ事を思っているようだ。

 「してくれないと困る」

 「まぁそうなんだけど……由梨さん側の話も聞いた方がいいんじゃないかと思うのよ」

 ただ今日みたいに篭り続ける可能性もある。案外触らぬ神に祟り無しかも知れない。

 「普段の感じなら出てきて言い返しそうなのにね」

 「私もそう思ったんだけど……」

 とそんな話をしていると階段を降りる音が聞こえてきた。私たちはその音の反応して振り返ると、由梨が少々くたびれた表情で立っていた。ここで茶化すのも何だがその佇まいはまるでホラーだ。

 「……彼じゃないよ」

 由梨は脈略もなく話を切り出してくる。今しがたの話題なのでそれで分かるが、せめて何の話なのかを前置きしてほしい。

 「何がです?」

 「トイレの事。だって彼……」

 由梨は泣きそうな表情で段々私たちに近付いてくる。だからそれちょっと怖い。

 「彼氏さんがどうかした?」

 とミカ。私あなたのメンタルとっても素晴らしいと思います。すると由梨はさっきよりも声を張って振り出しに戻るような事を言ってのけたのだった。

 「座る派なんだもん!!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る