祖母の戦争

じめじめした空気が肌にまとわりつく。シャツを半袖にするには早い気がして未だに長袖のカッターシャツを来ている。最近、職場の僕が親父と呼んでいる上司が「もう何年も春がこうへんなあ」とぼやいていた。寒くなくなったと思えば途端に熱くなってそのあと雨が降り出す。テレビが梅雨入りだといい始めれば台風が来て、その後にはもう照りつく太陽が激しく主張する夏になる。たしかに、もう何年も春の和やかな空気をじっくり感じることはなくなったのかもしれない。

学生の頃、夏になると全国大会の予選があって、テレビでは甲子園を見た。祖父母の家のベランダで猫と一緒に柵の隙間から足を投げ出してずっと外に出ていたら肌が真っ赤になってくらくらしていつのまにか倒れていたこともある。その時はどうやら猫もぐっだりしていたそうだ。そうして、頭に氷水の入った袋を乗せながら扇風機の前で涼んでいると毎年、祖母が戦争の話をした。あの頃はうんざりして聞き流していたようだけど、毎年毎年、なんども繰り返される話は身体に染み込んでしまった。祖母は小さい頃から大阪に住んでいて、裕福な家庭ではなかった。けれど空襲で裕福だろうがなんだろうが、みんなが家を失って、みんなが大切な人を亡くした。祖母の幼馴染が淀川の近くに立派な防空壕を作ったから、祖母一家もそこに来ないかと声をかけた時、祖母の祖父が頑として聞き入れなかった。祖母はあの時、この人はなにを言っているのだろうと思ったと言う。8歳だった祖母が何度理由を聞いても祖父は「言うことを聞きなさい」と言うだけでなにも教えてくれなかったが、その3日後に幼馴染の防空壕があった地域に空襲があって、その幼馴染一家はみな亡くなった。祖母の祖父は、それを聞いてなにも言わなかった。祖母はそれから、神様に愛される人はいるのだと、80歳を超える今でも毎週日曜日に教会に通っている。このほかにも祖母には様々な戦争の話を聞いた。そのどれもが夏に聞いた話だった。反対に祖父は一切話そうとしなかったけれど。だから僕の中では甲子園と、扇風機と、戦争は全て夏の出来事だった。

そんな夏が、もうすぐ来る。

僕の今住む京橋も確かに戦争の爪痕を残して夏を迎える。

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