卒業
「お久しぶりです。今日卒業式でした。だから何ってわけでもないんですが、先輩が懐かしくなって、会いたくなったので。また暇な時に返信ください。」
後輩からのLINEが昼間に届いて、それをついさっき気付いた。ああ、卒業式か、とぼやいて久しぶりにツイッターを開けると沢山のおめでとうが溢れていた。もう随分と、地元と縁を切っていたように思う。結局、自分が染まり切れない色には極力近寄りたくはない。もう僕には思い出にしかならない青春の只中にいる彼らや彼女たちを見ていたくもない。日々の喧騒と、汚れた大阪と、惰性になりつつある仕事と、生きているだけの生活を、彼らや彼女たちに知られたくもない。
卒業を初めて意識出来たのは中学の時だったと思う。小学校の頃の、何かを大きく勘違いしていた12の僕は、そんな僕のまま、そんな僕を取り巻く環境ごと、中学へあがってしまったから。けれど中学の卒業は、ある程度勘違いしている自分を自覚した僕が、数人の友達だけを頼りに新しい社会へと飛び込むことになったし、もう顔も出てこないような友人にさようならの一言で沁みじみとした感慨もなく一生の別れを交わしてしまった。もう同じ学年にいた300人程とは会うことも話すこともないだろう。すれ違ったってきっと分からない。15の僕はそんなこと、対してなんとも思っていなかったし、これからを生きる僕には興味のない話だったけれど、高校の卒業の時にはそれが妙に悲しくて、虚しくて、不安で、それは皆が大学へ進学する中で一人、就職という道を進んでいく疎外感からかもしれないが、兎に角卒業を嫌だと思ったのは高校が初めてだった。結局離れたくなかった高校の友達とも今では会うこともなければ連絡すら取っていないけれど。
後輩のラインには「おめでとうございます」と返した。もう後輩とどんな距離感だったかも覚えていないし、ツイッターに名前を見ただけでは思い出せないような人間が溢れているのも嫌だった。アイコンを見てもメディア欄を見ても、見知った顔や思い出を引き出すものはなかった。この人とどこでどう知り合ったのかわからないまま、自己紹介欄の同じ高校名だけが僕とその誰かを繋げているのものだった。そんな、データだけの繋がりに、この後輩ともいつかはなってしまう。だったら、思い出になるようなものも必要はなかったし、おめでとうの一言以外に送る言葉もないと思った。「ご飯、行きませんか。」後輩からすぐに返信が届いた。少し驚いて、酷く後悔した。僕はすっかり青春を捨てた気になっていて、なによりも青春を過ごした思い出や時間までもを捨てそうになっていた。馬鹿だった。また大切なものを失いそうになっていた。社会人になって、少し得意気にでもなっていたのかもしれない。「行こう。」とすぐに返信をした。もしかしたら、この後輩とはおめでとうございます程度の関係だったのかもしれないけれど、大丈夫だ。なんとなく、そう思った。卒業は、節目だ。新しい社会を見ることになる。だけど、たまに戻ってきていい。話すことなんてないし、話も合わないし、会えばやっと顔を思い出す程度の人かもしれないけれど、会うべきで、話すべきだ。僕が少しだけれど過ごした学生の頃を、今の僕はあの頃以上に大切にしなくちゃ行けない。後輩にそう教えられた。
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