地震

朝マンションから出て一歩、道路へと歩み出した足が膝から崩れてそのままへたり込んだ。大きな揺れがして、両手をついたまま、顔だけ前を向いたら目の前の家から沢山の人が飛び出してきた。

「にげえ、たてもんの近くは危ないで!」

「子供が外歩いとる時間じゃ!!!!」

「なんやけ、これ!!」

一斉に話し出した人の声が飛び交って、僕も揺れながらどうにか立ち上がって前に進んだ。途端頭上からパリンッという音と「危ない!!」という音が聞こえて立ち止まると、僕のさっきまで座り込んでいた場所にマンションの三階の窓ガラスが割れて降ってきていた。直打は免れたけれど、破片が道路に跳ね返って飛び散ったのが足首をかすめて赤い線を引いた。すぐに誰とも知らない人たちが集まって心配してくれる。怖くて、立ちすくんだ僕をどうにか「歩けるか」「頑張れや」と言いながら腕を引いて道路の真ん中まで連れて行ってくれた。すぐに職場から着信があって、電話に出ると電車は全て止まってる、けれど仕事場も人手が足らないから自力で来れるなら来て欲しいと連絡があった。3駅分、ひたすら歩いた。途中で小学生の集団登校とすれ違って、その中の年長らしき女の子が僕に声をかけてくれた。


「すいません、私たちの小学校避難場所やから、一緒に行きましょう!」


それにつられて小さな子たちが下から心配そうな顔で見上げてくれる。


「ありがとうございます。僕、今から仕事いかんといかんのやけど、安全な場所へは必ず行くから。君らで学校へは行ってきてください。」


そう言うと「頑張って」「気をつけてください」と揃えて言ってくれる。もう2年目になるこの街に、僕はちゃんと愛されている。


しばらく歩くと高齢のおばあちゃん達が歩いていた。

「揺れたなあ、もうちょっとでも逃げるん遅かったら、わたしらしんどったわ!」

そう言ってがはがはと笑う。

「よかったです、ほんと生きとって。」

小さく答えるとばしっ、と背中を叩かれる。

「あんた、死んだらあかん。全部終わりやがな。死んだらあかん。偶然でええんや、まぐれで生きなさい!」

わたしみたいにな!とまたがはがはと笑う。彼女たちは「まぐれ」でそれでも「生きろ」という。運命に偶然で逆らうなんて出来るんだろうか。そう思った。多分、絶対なんて言い切れないことを知っているから、せめて偶然の産物として生きなさいということだろうか。

一時間歩き続けてやっと仕事場につくと、もうすでに社員の三分の一は来ていて、それ以外の社員も近場の避難所で救援活動にあたっていてこれないと連絡が来ていた。連絡のつかない人はおらず、みんな、生きていた。それを聞いて泣きだす人もいた。普段、生死なんて気にもしないのに、たった数十秒で生きていることが奇跡になるような、そんな不安定な世界で生きていた。ここに来るまでに何度も小さな揺れがしたけれど、その度に鳥肌がぞわっと立って、収まるたびに生きている、と思った。オフィスの中は棚や花瓶、いすが倒れて凄惨な揺れを物語っていた。ボロくなっていた通路の屋根からぱらぱらと小さな粉のようなものが落ちて来る。安否を確認する電話がなり続けて午前中は電話の対応だけで全員が手一杯だった。スマホの回線は混雑して繋がらず、直接職場へかけて来る社員の家族もいた。昼ごはんは誰も食べる時間などなかった。午後からはやっと散らかった部屋を急いで片付けるのかと思いきや、出された指示は、パソコンや全ての落ちそうな場所にあるものを床におろすことだった。そのあとは、いつもと配置の違うオフィスで地震によりさらに忙しくなった仕事をした。その間もぐらっ、と小さく揺れが続いた。揺れるたび、悲鳴と泣き声がした。極限なのは全員がわかっていたから、とにかく明るく話す声が目立った。結局、夜になっても交通機関が戻らず、帰れない社員ばかりでその日は職場の休眠室に全員が泊まった。夜の間、少しでも揺れると全員が目を覚ました。まともにねれたきがしない。


実家の祖父母に連絡を取れたのは地震の発生した日の夜で、祖父母からは「気にしたあかん。わたしはわたしの身を守りますから、あなたはあなたの身を守りなさい。自分のことを考えてたら、ちゃんと生きて会えますから。」と言われた。母に連絡がついたのは次の日の昼ごろで、「大丈夫ですか?」と打ったメールに「大丈夫です。」とだけ返信が来た。兄からは何度も着信があったけれど、忙しくて気づかなくて、結局母と同じタイミングになった。「もしもし、大丈夫か?みずこうたか?ほんまあかんとおもたら仕事休んで俺んとこ来いや。」と山口の家の住所がラインで送られてきた。バラバラだったはずの家族が、どうにか糸一本でも繋がっていた。こんな時しか連絡はしないけれど。ただそれでも家族以上に心強いものはないのかもしれない。何十年生きていようが、足元が揺れただけで生きていけないと思うほど心細く、脆いのだ。

ラインの通知は100件を超えて、大阪に住む僕に地元の知人達が心配な連絡を送ってくれていた。何かあれば家に来てくれ。そう言ってくれるのが有り難かったが、今大阪から離れたら駄目だと、なんとなくそうおもった。


これはただの記録で、僕がもしこれから同じような目にあうとしたら、今生きている僕の世界の日常がぶっ壊れた初めての経験だ。大阪がぶっ壊れたのだ。電車も電気もガスも、なんにも使えなくなった。けれど確かに地球に生きていた。時折、僕は大阪で日本であることしか意識しないけれど、陸地は果てしなく続くと思いがちだけれど、元を辿れば海で、元を辿れば地球なのだとおもった。


未だに高槻や摂津、吹田、茨木では避難所にいる方々がいて、水道やガスの通らない地域がある。僕は大阪市内だから、まだ被害は少ない方だろうけれど、亡くなった方もいる。阪神淡路大震災も東北大震災も経験していない。それらはテレビの中の出来事でいくら矢印を僕に向けようとおもったところで出来なかったものだ。現に今も、本震がまだくると言われながら、水の一つも買っていない。愚かで怠惰な人間だと感じる。感情一つ揺りうごかすことでやっとなのだと思う。けれど確かに死ぬ。僕らは死ぬ。まぐれに生きて死ぬ。そう思った。

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