酒の肴
8年付き合った彼女から別れようと言われた。そう言ったのは僕の四つ上の先輩だった。指輪も買ってたんや、mってほったんやで、彼女のイニシャル。自嘲気味に笑う人の良い先輩の顔が歪んだ。酒の力で弱音も愚痴も、口からすらすらと出てしまう。元から嘘や隠し事の苦手な人だ。2年前に一度だけしたという浮気もバレてしまって、その時は後ろめたさから別れを切り出したのは先輩だった。けれど彼女の方から、別れたくないと言ったらしい。それなのに、それなのに、もう俺との未来はないってそればかり言うんや。と気弱に言う。もう何倍目かの生ビールをぐい、と呑んで、さながら飲まずにはやってられないというよう。何年付き合えば立派と言えるだろう、そういったのは結婚三年目の二十七の先輩。誰からも嫌われない人当たりのいいこの人は美人ばかりと付き合っては別れを繰り返し、最終的には決して美人とは言えないぽっちゃり顔の社外の女性と合コンで出会って結婚した。つい先日子供の生まれた、一児の父。立派、ではないでしょう。と僕。人と付き合うことに立派も何も、ただ日が経っただけのことですよ。そう言ってきっと得意げな顔をして僕はビールジョッキに不釣り合いなストローをさして烏龍茶を飲む。ビールはあまり飲まない。飲まない、というより飲めない。まだお子様なのだろうか。こうして正直で誠実に、恥ずかしいこともなく、只管に真っ直ぐ社会を渡り歩いていく二人の先輩といると、つい甘さが出てしまう、つまりお子様。8年、ただ日を重ねただけなんかあ、そう思いたくないなあ。大事にした8年やと思うねんけどなあ。と四年上の先輩。けれど僕には、8年一緒にいた人と離れようと思うきっかけがわかりません。よっぽどのことが無いと別れるって決断は出来ないのでは。と僕。いや、別れる理由なんてアホほどあるで。結局は俺ら一人で生きていけるもん同士が態々好んで二人であるだけやし。むしろ二人でおらなあかん理由の方がよっぽどやろ。と二十七の先輩。子供とか?せや、子供とかな。結婚もや。別れる理由へのハードルあげるのはやっぱり形に見えるものや形式張ったものでしかないんでしょうか。俺の指輪じゃあかんのかな?もう渡したんですか。いやまだ。ほらこれ。そう言ってカバンをゴソゴソと漁って四角い黒い小さな箱を取り出す。これ、つぎおうたら渡そうて、肌身離さずもっとってんけど、渡そうとおもて話切り出す前に別れ話。結婚も考えてたんやけど。そう言ってまたビールを飲む。つらいなあ。まだ別れてないんやろ。繋ぎ止めてるんやろ。そうなんですよ、まだ、なんとか。俺にはお前しかおらん、とか、お前とこれからもいたい、とか。必死すわ。どんな反応するんですか、彼女さん。それが、いやもう無理、あんたのとの未来はないて、その一点張り。挙句、今プロポーズされても絶対に頷かへんって先手打たれてしもた。どないしよか。ほんま。そう言って先輩が言うと、一区切りついたのか、そうでないのか、三人とも大きなため息をついてまた各々グラスを傾ける。ぐだぐだと、解決の糸口を掴めない話をする。どうしようもないことを、どうしようもないと諦めるための話を。
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