【Y=6】比べ方は一つではないのです

 いつもと同じように淡々と話すMさんだが、言葉に込められた熱は確かに感じられた。

 彼女が好きなが、ここからどう広がっていくのか。

 俺にどこまで理解できるかはわからないが、できるだけ付いていこう。


「そのの数学ってのは、どんなことをするんです?」


 とは、数えきれないもの。

 普通ならそれで終わりだけど、きっと数学にはその続きがあるんだろう。


集合論しゅうごうろんです。その名の通り“集合”を扱うのですが、それがにまで広がった場合、どのようなことになるのかを考えるのです」


「集合っていうのは、グループみたいなものですっけ?」


 そういえば昔、そんな単語を教科書で見た記憶がある。


「そうです。なんらかの集まりがあれば、それを集合と呼びます。たとえば……さっき教えていただいた十進分類法という本の分け方。あれはまさにジャンルごとに集合を作っていると言えます」


 そう言いながら、Mさんはポケットの中からメモした紙を取り出した。

 端末で検索した目当ての本の番号だ。


「この645番という場所に、なんらかの法則によって似たジャンルの本が集められているわけですよね」


 十進分類法では、3桁の番号で本のおおまかなジャンルを表す。

 最初に6がついていると産業、その次の位に4がついていれば畜産業、そして最後の5が畜産動物を意味する。

 つまり、Mさんの目的は畜産動物に関する図書。もう少し厳密に言うと、猫の写真集だ。


 そういえば、その場所に向かう途中だったんだ。

 ゼノンのパラドクスではないが、この調子だといつ辿り着けるんだろう。


「このように集合が作られると、比較することが可能になります」


「比較っていうと、どっちのジャンルの本が多いかとか、そういう?」


「そうです。ただし、集合の大小を論じるときに注意が必要なのが、比較の方法です。比べ方は一つではないのです」


「え? ただ数えるだけじゃダメなんですか?」


「ダメです」


 断言されてしまった。


「集合を比較するとき、まず考えるのは“包含関係ほうがんかんけい”にあるかどうか、ということ。つまり、ある集合がもう一つの集合を完全に含むかどうかです」


「ああ、なるほど。十進分類法の例で言うと、この645番の畜産動物ジャンルは、640番台の畜産業に含まれる、って感じですね」


「まさにそうです」


 Mさんが大きくうなずいてくれる。


「このようにジャンルが包含されていれば話は早いのですが、そうでない場合は別の方法で考えなければなりません。それが“濃度のうど”です。先ほどの数を数える、というのはこちらです」


 なぜ“濃度”なんていう濃さを表すような単語を使うのか気にはなるが、なんらかの理由があるんだろう。

 俺は黙って話の続きを待つ。


「有限のものを考えるときはシンプルです。ある集合Aが集合Bを“包含”するとき、集合Aの“濃度”は集合Bよりも大きくなります」


 当然ですよね、という顔でMさんが俺を見る。

 640番台の畜産業の本の数は、645番の畜産動物の本の数よりも多い。うん、当たり前だ。


「ですが、になると、話が変わってきます。たとえば整数の集合と、偶数の集合。これらは“包含関係”にありますが、“濃度”は同じという奇妙なことが起きます」


「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、整数は偶数と奇数でできているわけだから……。ああ、たしかに包含関係っていうやつですね」


 Mさんがうなずく。


「んで、整数と偶数の濃度が同じ……って、そうなんですか?」


「はい。どちらもですから」


 Mさんはあっさりと言うが、いまいち納得できない。


「ええと……のものを、どうやって比べるんですか?」


 Mさんは少し考えて、目の前の本棚を指差しながら、こう言った。


「では、こちらの本棚と、あちらの本棚。どちらの方が多いか調べてください。ただし、数えることは禁止します」


「ええ? 数えずにどうやって……?」


「ああ、実際にはやらないでくださいね。片付けるのは大変なので」


 なんだか挑戦的な視線に感じるのは気のせいだろうか。


「わかりました。数えずに、ですね。どっちが多いかを調べる、と……。あ!」


 Mさんの言葉を復唱して気付く。

 そうか、何冊かを調べる必要はないんだ。


「一冊ずつペアをつくって、余った方が多い!」


「正解です。数えることが不可能な集合は、そうやって“濃度”をはかります」


 なるほど。そういうことなのか。


「整数と偶数の“濃度”を考えるとき、整数“1”と偶数“2”、整数“2”と偶数“4”、整数“3”と偶数“6”、というようにペアにする、という規則を作ったとします。そうすれば、どちらもにペアとなり、余りは出ません。つまり、同じ“濃度”ということになります」


「はー……。なるほど」


 なんとなく、わかったような気がする。


「あれ? それだとの“濃度”は、全部同じってことになるんです?」


 待ってました、とばかりに身をこちらに乗り出してMさんが言う。


「それが、実は違うんです」


 その瞬間、Mさんの目が輝いたように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る