【Y=5】演繹とは当たり前の推論です
「数学において、認められるのは演繹のみです」
Mさんがきっぱりと断言した。
「なら、その
一つ一つの事例を観察して仮説を立てるという
俺としてはこれで十分だと思うのだが、演繹とやらは一体どれほどの違いがあるのだろう。
「論理的推論の方法、つまり演繹とは当たり前の推論です。……といっても、イメージが湧かないですよね。では——」
Mさんは飲みかけのカップを持ち上げながら、言葉を続ける。
「たとえば、こんな命題があるとします。『この店の紅茶は美味しい』そして『私はこの店のアッサムを注文した』。この二つの命題から、『私の注文した紅茶は美味しい』という新しい命題を導くことができます」
Mさんは、さあどうでしょう、とでも言わんばかりの満足げな表情で俺を見る。
「んん? それって当たり前、ですよね?」
「そうです。当たり前なのです」
「えっと……つまり、当たり前のことを言うのが演繹、ってことです?」
「その通りです。先ほどの例はいわゆる“三段論法”と呼ばれるものですが、こういった論理的に正しいとされる推論がいくつもあります。それらが演繹です」
すでに正しいと証明されたことから、正しい推論を使って、正しいことを言う。
なるほど、それなら絶対に間違っていないはずだ。
帰納とは違って、仮説を立てる必要もない。
「先ほども少し言いましたが、帰納がダメだというわけではありません。実際、科学は演繹と帰納の両方の手法を使って発展してきました。厳密なルールで正しいことを言う演繹と、実際の事例から新しい仮説を立てる帰納のバランスが大事なんです。仕事にたとえるなら、トップダウンとボトムアップ、と言ったところでしょうか」
「へえ。なら、演繹っていうトップダウンだけを使う数学は、敏腕社長のワンマン経営って感じですか」
「ふふ。そうですね。公理の言うことが絶対なので、究極のワンマン経営ですね。公理が間違っていたら、もうどうしようもありません」
Mさんが笑みをこぼす。
ふと、急に一つの単語がぼんやりと頭に浮かんだ。
「あ、そうだ! ほら、数学でもアレあるじゃないですか、えっと、そう! 数学的帰納法って!」
高校生のとき以来、使ったことも考えたこともない単語だが、帰納という言葉に触発されて脳の奥底から顔を出した。
「帰納は信じないってことなのに、数学的帰納法っておかしくないです?」
「ああ、あれは演繹です」
あっさりとMさんが言い放つ。
「え? 帰納法なのに演繹?」
「はい。帰納的な考え方をする演繹的な手法です」
もはやなんだかわからない。
とにかく、数学は断固として演繹しか認めないということはよくわかった。
でも、こうまで言われると逆に帰納の味方をしたくなるのは人情というものだろう。
「でも、ちょっと待ってくださいよ。たとえば……さっきの例で言うと、『この店の紅茶は美味しい』っていうのって、実際にいろんな紅茶を注文して全部確かめれば、正しいことが確認できますよね。これって帰納ですよね?」
「全てを確認できるのならば、それは帰納ではなく、ただの実証実験です。個別の事例から一般的な法則を見つけ出そうという手法が帰納ですから。なので、このお店には紅茶のメニューが無限にあると考えてみてください」
ううむ。この店のマスターは超人か。
そういうことならば。
「じゃあ、常連になって紅茶をたくさん飲んで、どれも美味しいって思ったとしますよね。そうやって飲めば飲む程、『この店の紅茶は美味しい』ってことが正しい確率って上がるんじゃないですか?」
これならどうだろう。
“確率”なんて、なんとなく数学っぽい単語まで使ってやったぜ。
「……すごく良いところを突きますね」
やった! 褒められた!
なんだか妙に嬉しくなる。
「ですが、それにも重大な問題があります」
重大な、と言いながらもMさんは楽しそうに微笑み、おもむろにカバンからボールペンを取り出した。
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