【Y=4】残念ですが帰納は信じません

「……すみません。調子に乗って喋りすぎました」


 Mさんがうつむいたまま、小さく呟く。

 よく見ると顔が少し赤い。


「つまらないですよね……こんな話」


 さっきまでと打って変わって自信無さげにMさんがこぼす。


「そんなことないです! すごく面白いです! それに」


 反射的に俺はそんなことを言っていた。

 ええい、このまま思ったことを言葉にしてしまえ。


「それに、好きな人が好きなものを知るのは……楽しい、です」


 Mさんの顔がさらに赤くなる。


「あ、ありがとう……ございます」


 きっと、俺の顔も同じくらい赤くなっている。


 しばらく沈黙が流れる。

 気まずいわけではないが、うまく言葉が出てこない。

 無意識に目の前のカップを持ち上げるも、既に飲み干してしまっていた。


「紅茶の……」


 Mさんがぽつりと。


「紅茶のおかわりを、しませんか?」


 顔を上げ、俺の目を見ながら、言った。


「さっきの話の続きを、したいです」



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・



「Mさんのはアッサムのミルクティー、でしたっけ」


「そちらはアップルティーですよね。良い香りですね」


 新しく運ばれてきた紅茶に口をつけ、ほっと息を吐く。

 暖かい紅茶を飲んだおかげで、頭の中を整理できた気がする。

 Mさんの話を聞いてからずっと引っかかっていた疑問を口にする。


「さっきMさんは、公理が新しくなって新しい定理を生み出せるって言いましたけど、そもそも公理から定理を出すのって、どうやるんですか?」


 競技のルールブックを公理だとしたら、ルール上問題のない行為が定理だという。

 その行為が問題ないかどうか、競技の場合は審判が判断をする。

 だが、数学の場合は誰がそれを判断するのだろう。

 まさか神様が審判する、なんてこともあるまいに。

 これ、かなりの難問じゃなかろうか。


「ああ、それはです」


 なんでもないことのようにMさんはあっさりと答えた。


演繹えんえき……?」


 また聞いたことあるような、ないような、そんな単語が出てきた。


「ええと、そうですね……」


 俺が理解できていないことを再び察してくれたMさんは、紅茶のカップを眺めながら言う。


「先にの話をしますね」


帰納きのう……ですか」


「いま目の前に紅茶が2杯ありますよね。アッサムとアップルティー。これらを飲んで、『紅茶』とはどんなものかを語るとしたら、どうします?」


 Mさんからの急な質問に戸惑いながらも答える。


「ええっと、独特の風味があって、渋みがあって。あと、砂糖やミルクを入れても美味しくって。あ、そうだ。果物のフレーバーをつけた種類もあって。……こんな感じでしょうか」


「目の前の2杯から、紅茶がどういうものかを推測したわけですよね。では、この『紅茶』の解釈をもっと正確にするためにはどうします?」


「んっと……。サンプルの量を増やすのが一番じゃないかと。このお店のメニューを片っ端から注文して飲んでみる、とか」


「ふふっ。いいですね」


 Mさんが少し笑ってくれた。


「それがまさにの考え方です。実際の事例を一つ一つ観察し、その中に潜む法則のようなものを見つける」


 やった。正解だったみたいだ。


「化学や物理などの科学では、このの考え方はとても大事です。目の前の事例を観察して初めて仮説を立てられるのですから」


 なるほど。俺がやったことは科学的な行為なのか。

 ド文系の俺だが、少し自信がついた。


「でも、残念ですがは信じません。数学においては」


「ええっ!?」


 喜んだのも束の間、ばっさりといかれた。


 Mさんは少しいたずらっぽく笑っているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る