【Y=7】私たちなら解ける気がします

 俺が特に考えもなく言った、ここのお茶代を奢る、なんて言葉から始まった数学の話。

 おかげでこれまでよりもずっと彼女のことを知ることができたように思う。

 だが、さすがに頭がオーバーヒートしそうだ。

 普段使わない脳の部分を使っている気がする。 

 いったん振り返って整理をしよう。


 “デート”という行為に対する認識、つまりデートのが異なっていて。

 その根底にあるのは、それぞれのの違い、お互いの価値観の相違によるものだという。

 は別のを加えることで、新しいを導きだすことができるようになるらしい。

 そして、その新しいはなんでもいいわけではない。

 たとえばスポーツなら試合がより面白くなるようなものでなければ意味がない。

 もしそれが人生なら——。


「ああ、そういうことか」


「なにがですか?」


 しまった。つい言葉に出てしまった。

 Mさんが不思議そうな顔で俺を見る。


「あ、えっと、なんとなくMさんが最初に言っていたことがわかったような気がして」


「ぜひ、聞かせてください」


「いや、でも、そんな大したことじゃないですけど……」


「それでもいいです。ぜひ」


 Mさんが少し前のめりになって、催促する。

 仕方がないので腹をくくる。あとで「全然わかってないですね」なんて思われるのは怖いが、もしそうだとしてもきっとMさんはバカにしたりはしない。

 きっと、さっきみたいにたっぷりと時間をかけて語ってくれる。


「さっき、教えてくれたとかの話を、自分に置き換えてみたんです」


 考えていたことの続きを、慎重に言葉にする。


のことを、それぞれの価値観のようなものって言ったじゃないですか」


「ええ。証明が不要で、各人の前提となるものですので、まさに公理なのではないかと仮定しました」


「だとすると、そこから出されるっていうのは、行動指針みたいなものかな、と。こういう状況のときは、こういう行動をするっていうような決まりっていうか」


「……なるほど」


 Mさんは真剣な目で聞いてくれている。


「で、新しい価値観に触れることで、新しい考え方が自分の中に加わって、それによって新しい行動指針が作られるんですよ」


「……もし矛盾を孕むような価値観であれば、最初から加わることができないわけだから……なるほど、たしかにそうですね」


 納得してくれたようなので、先に進める。


「で、その新しい指針によって、より人生が楽しくなるようなものだったら、それは意味のある行動指針だと言えますよね。まあ、楽しい楽しくないっていうのは主観的ですけど」


 Mさんは黙ってうなずく。


「でも、人の価値観なんて、そうそう変わるものじゃないですよね。もし変えられたとしても、時間はかかるでしょうし」


 Mさんがずっと聞いてくれているので、俺はそのまま続ける。


「だから……、一緒に過ごす時間を増やして、お互いが何を考えてるのかを知って、尊重して、良いところは吸収して。そうやって初めて自分の中の価値観も変わって行くのかなって。それが、人と“付き合う”ことなのかなって。そう、思いました」


 けっこう恥ずかしいことを言ってしまった気がするが、仕方ない。

 思い付いたことは言わないと気が済まない。


「つい先日、私に対する……好意を伝えていただきましたよね」


 ふいにMさんがぽつりと言った。


「……そして交際の申し入れをいただき、私はそれを承諾しました。ゆえに、私たちはいわゆる”お付き合い”をしている状態であると言えるでしょう」


「え? ええ。そうですね」


「さきほどの推論ですが、私も同意見です。ですが、現在はまだに過ぎません」


 厳しい意見だが、Mさんらしい。

 たしかに根拠も何もない、ただの仮定だ。


「なので……これからをしていきましょう。きっと難問です。でも……私たちなら解ける気がします」


 Mさんは手元のティーカップを飲み干し、静かな声で、はっきりと言った。


 これが彼女なりの俺に対する答えなのだと理解できたのは、しばらくしてからだった。

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