【Y=6】こんな証明はいかがでしょう

「数学にとって、いえ、数学でなくとも学術全般にとっては致命的です。なのででも構わないので、の証明をする必要があります」


 Mさんはそう言って、用紙の余白に書き足した。


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G=「Gは証明できない」

 ①真の場合:真なのに証明できない     ▶︎ 不完全 ○

 ②偽の場合:証明でき、かつ、証明できない ▶︎ 矛盾  ×

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「矛盾を避けるためには、先ほどの命題が“しん”でなければなりません。なので、①であることの証明をしたとします」


 したとします、という言い方で、なんとなく先が読めた気がする。


「あ、俺に言わせてもらってもいいですか。館長Gは俺なんで」


 なんだか、な館長Gに共感してしまっている俺がいる。


「“しん”だと証明できるってことは、『俺の言うことは証明できない』が証明できたってことになりますよね。でも『俺の言うこと』っていうのは、『俺の言うことは証明できない』のはず。なのに、それが証明できたっていうのは、まさにです!」


「……その通りです」


 Mさんが悔しそうに笑って、言う。


「つまり、であることを証明しようとすると、を導いてしまう、ということです。これが、“第二不完全性定理”です」


「あ、そうか。なる……ほど」


 自分にが無いことを証明しようとすると、逆にしてしまう。

 だから、があるかないか、わからないままにするしかない。


 数学のような厳密な学問ですら、そんなことが起こる。

 なら、人間のすることなんか、もっと曖昧にならざるを得ないんだろうか。


「このように、という作業がパラドクスを招くことになるのです」


 。自分自身について言及すること。


「あ」


 その言葉で、突然一本の線が繋がる。


「あーー! わかりました!」


「不完全性定理が、ですか?」


「いや、そうじゃなくて、あ、不完全性定理はなんとなくわかったんですけど、そっちじゃなくて、先週の件です」


「……目撃情報の件、ですか」


「Mさん、仕事中はいつも眼鏡してますよね」


「ええ。コンタクトはプライベートのときだけです」


「Mさん、会社では全然笑わないですよね」


「ええ。人事という立場上、毅然きぜんとする必要がありますから」


 まだ気付かない。

 っていうのは、本当にパラドクスを導きやすいらしい。


「先週の木曜日、なにしてたか覚えてますか?」


「……その日は会社の人事制度の研修を担当して、普通に帰宅したと思いますが」


「あー。そこから覚えてないんですね。結構飲んでましたもんね……」


 あの日の夜は、研修の復習をさせてもらいながら、一緒に飲んだじゃないか。

 でも、飲みすぎて完全に記憶が飛んでいるっぽいな。


「あの、Mさん。目撃証言をよく思い出してください。『俺が、とても綺麗な人と手を繋いで歩いていた』でしたっけ」


「……それがなにか?」


「Mさんって笑うと、その、とても可愛い、ですよ。眼鏡をとると、印象も全然違いますし」


 さすがに面と向かって言うのは恥ずかしいものがある。


「……え」


「その相手、Mさんです。木曜の夜、手を繋いで帰りましたよね」


「え、ええ……え?」


「Mさん、会社だと全然笑わないし、あの日お酒飲んで眼鏡外してたから、別人って思われたんですね、きっと」


 もしくは、目撃者がMさんにカマをかけたか。

 Mさんに似ているけど、別人かもしれない。だから、とりあえず探りを入れてみようと。


「あ、ああ……あ」


「自分じゃ、自分のこと、見えないもんですよね」


 まさに自己言及が招いたパラドクスだ。


「ごめんなさいっ!」


 Mさんが机に頭をぶつけそうな勢いで謝る。

 とにかく、誤解が解けて本当に良かった。


「とりあえずは回避できたみたいで、よかったです」


 なんとなしに自分で言った言葉で、いろんなことが腑に落ちる。

 を回避するためには、を選ばざるを得ない。それは人間も一緒なんだ。


「あー、ほら、人の気持ちの証明はできないですもんね。なのは仕方ないんですよ、きっと」


 数学ですら、“しん”であることを証明できないことがある。

 いわんや、人間をや。

 なんだか寂しい気もするが、それはもう数学で証明されてしまったことなんだ。


「……それは、少し、違います」


 Mさんが赤く染まった顔を上げる。


「“しん”なのに証明できないものがある。その通りです。ですが」


 Mさんは俺を見つめ、言葉を続ける。


「全てのものが証明不可能というわけではありません」


 Mさんの目が俺を捉えて離さない。


「今回の件のお詫びに、証明をさせてください」


 なにかの覚悟を決めたような真剣な目だ。


「な、なにを……?」


「私の、気持ちを」


「え、だって、そんな、できないでしょ、証明なんて」


 予期しない言葉に、つい焦ってしまう。


「では……こんな証明は、いかがでしょうか―—」


 Mさんは机ごしに、俺の腕を手繰たぐり寄せる。



 好きです。



 俺の耳元でそう囁いたあと。

 Mさんは俺の目の前で、まぶたを閉じた。



 これは、Mさんが“しん”だった。


 そんなことを想いながら。

 俺はMさんのを受け入れた。



 Q.E.D

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数学的な彼女の日常 穂実田 凪 @nagi-homita

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