【Z=1】最終的に賃金が出力されます

「等級制度は大きく分けて3パターンがあります」


 社内で一番大きな会議室の壇上に立ち、Mさんが話している。

 普段と同じ、淡々とした喋り方だ。

 いつもと違うのは、聞いているのが俺だけでなく、全社員だということ。


 一年に何度かこうした全体研修が開かれるが、今回は自社の人事制度がどういうものなのかを改めて勉強するという内容らしい。

 

「それでは、こちらのスライドをご覧ください」



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・



「今日は大役お疲れさまでしたー」


 終業後、夕飯を食べながらMさんをねぎらう。


「あまり喋るのは得意ではないので、疲れました」


 そんなはずはないだろうと思いつつ、口には出さず乾杯をする。


「私の説明はどうでしたか? 限られた時間だったので、かなり詰め込んだ内容になってしまいましたが、みなさん理解できたでしょうか」


 どうだろう。一度聞いただけで理解できる内容だっただろうか。

 カバンから今日配布された資料を取り出す。


———————————————————————————————

  制度の名称     基軸

 ①職能資格制度 : 能力(経験)

 ②職務等級制度 : 職務(仕事)

 ③役割等級制度 : 役割(使命)

———————————————————————————————


 研修のなかでMさんが説明したのは、人事制度の根幹である等級制度。従業員の賃金を決める枠組みにもなる重要な部分だ。

 日本企業では大きく分けて3パターンの等級制度があるらしい。

 せっかくの機会なので、復習と質問をさせてもらおう。


「このまるいちの“職能資格制度”ってのは、いわゆる年功序列ってやつですよね」


「ええ、そうです。同じ会社で長く働けば、業務に対する能力も高くなるという前提で作られていますので、基本的に役職には関係なく長く会社にいれば賃金が上がっていく制度です」


 うん、これはわかる。


「メリットとしては、職務内容が変わっても基本給が変わらないため、人事異動が比較的容易であり、ジョブローテーションを行いやすいことです。ですが、業務に必要な能力が変わったとき、対応しきれないというデメリットがあります」


 Mさんが研修の内容をかみ砕いて、すらすらと話してくれる。

 俺だけマンツーマンの講義を受けさせてもらって、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「ええと、要するにパソコンのスキルだとかは、今でこそほぼ必須になってますけど、そういう新しいものに対応できないってことですよね」


「その通りです。これからも必要なスキルが新しく産まれる可能性も十分にあるわけですから」


 パソコンのような新しい製品が出現すると、仕事の仕方は大きく変わる。

 俺たちが歳を取ったときは、いったいどんな状況になっているんだろう。


「んで、このまるにの“職務等級制度“ってのは、もっと割り切った感じなんですよね」


「そうです。こちらは、ベテランでも新人でも、受け持つ業務によってのみ賃金が決まります。『同一労働同一賃金』を突き詰めた考え方、とも言えるかと思います」


 これもまだわかる。

 賃金を決めるのは “どんな人か”じゃなくて、“どんな仕事をするか”っていう、ある意味シンプルな考え方だ。


「ですが、こちらの制度を取り入れている企業はあまり多くありません」


「へえ。実力主義っぽくて今の時代には合ってそうだけど、どうしてです?」


「どんな仕事をするかで賃金が決まるということは、業務内容と責任範囲が明確でなければなりません。専門的かつ限定的なスペシャリストであればまだしも、日本企業の多くは自社の制度に精通しながらチームワークを重視するジェネラリストを求めますから、あまり馴染まなかったようです」


 なるほど。

 たしかに日本の会社って、社内システムを使いこなすところから求められるイメージが強い。

 それに、一つの取引をみるだけでも、見積・受注・納品・請求・入金確認ってフローのなかで、複数の人が関わることになる。チームワークは必要だろう。


「俺がいまいちわからなかったのは、このまるさんの“役割等級制度”ですよ。“役割”によって給料が決まるって言われても、なんだかつかみ所がなくって」


「そうですね……、“経験”と“仕事”の両方を考慮したもの、と言えばよいでしょうか。同じ『部長』としての仕事でも、新しく管理職になったばかりの人と、経験豊富なベテランとでは、そこに期待されている“役割”は異なります」


「んー。でも、それって役職手当みたいなのを付けるのとは違うんですか? 基本は①のパターンにしておいて、部長とか課長とかをやる場合はその分の手当を付ければ、差はつけられるわけですし」


であればそうかもしれませんが、実際は的に決まりますので」


「というと?」


「……先日の復習になります」


 Mさんは少しためらいを見せたあと、胸ポケットからボールペンを取り出し、資料の空白スペースに書き始めた。


———————————————————————————————

 ①職能資格制度

  賃金 = 制度(勤務年数)


 ②職務等級制度

  賃金 = 制度(業務内容)


 ③役割等級制度  

  賃金 = 制度(役割)

     = 制度(勤務年数+業務内容)

     ≠ 制度(勤務年数)+ 制度(業務内容)

———————————————————————————————


「賃金制度は、こうしたです。入力する数値として何を使用するか、という違いはあれど、最終的に“賃金”が出力されます」


 なんだろう。こういう説明の方がわかりやすく感じてしまうのは、Mさんの影響なんだろうか。


「“役割”とは、“経験”と“仕事”とを加味したものですが、賃金制度はですので、別々に計算することはできません」


 なるほど。こんなところでもが出てくるのか。

 なんとなくだが、イメージはつかめた気がする。


「そっかー。仕事も恋愛も、単純な計算はできないんですね」


 あ。しまった。

 また、思ったことがそのまま口をついてしまった。


「……そういう、ことです」


 そう言いながら、Mさんはジョッキを空にした。


 顔が赤いのは、きっとアルコールのせい、だけじゃない。

 そして、そんなMさんを見て、俺もきっと赤くなっている。


 帰り道、また手をつなぎたい。

 でも、会社の近くだから止めておいたほうがいいかな。


 ジョッキを傾けながら、そんなことばかり考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る