【Y=3】可能性がそこにあるだけです

「ここならゆっくり話せますよ」


 おそらく話が長くなるだろうと判断し、談話スペースへ移動することを提案したところ、Mさんは快諾してくれた。


「こんな場所もあるんですね」


 見たところ、俺たちの他には誰もいないようだ。

 これなら遠慮することなく話ができる。


 並べられた椅子の端の方に座る。

 Mさんも俺の隣に腰を下ろした。


「さっきの話なんですけど、俺、なんとなく要点をつかめた気がするんですよ」


 おお、とMさんが声を上げ、こちらににじり寄る。妙に近い。


「えっと、たとえばこれくらいの距離があって」


 目の前の空間に両手を“前へならえ”のように小さく出し、左手を固定して、右手を少しずつ左手に近づけていく。


「半分、さらに半分って縮めていくわけですけど、この作業はずっと永遠に続けられますよね。半分、さらに半分って」


「そうですね」


「このの距離を、こんな風にに分けることができるっていうのが違和感の正体なのかなって」


 Mさんは穏やかな笑顔でうなずいてくれているので、見当外れのことを言っているわけではなさそうだ。


「やり方によってはに分けることができても、距離がであることに違いはないわけですし、それを混同しちゃうとパラドクスみたいになるのかなって思ったんですけど……どうでしょ。あんまり上手く説明できないんですけど」


「とてもいいですね」


 ほめられた。嬉しい。

 とても嬉しいが、正解、とは言わないのが少し気になった。


「そうですね……。少々お待ちください」


 Mさんはそう言って席を立ち、どこへ行くのかと思えば、検索用端末の横に備え付けられているメモ用紙を取って戻ってきた。


「ここに一枚の紙があります」


 そう言いながらMさんはその紙を半分に折り、一緒に持ってきたのであろう鉛筆で紙の半分を薄く塗りつぶした。


「塗ったところが進んだ距離だと考えてください」


 そう言って、また紙を半分に折り、折り目に沿って余白の半分を塗りつぶす。

 そんなことを3回くらい続けた。


「この作業はいつまでも続けることができます。ですが——」


 Mさんは、紙を広げて見せる。そして、ゆっくりと両手でその紙を挟んだ。


に続けられる作業を内包していたとしても、1秒間もあればさほど大きくもない私の手に収められます」


 1秒間。

 ついさっき、ヘアピンを俺に投げるMさんの姿を思い出す。


そのものがここに存在するのではなく、に切り取ることができるというがそこにあるだけです」


 両手を合わせたまま静かに話すMさんは、お祈りをしているように見えた。


「と、このようなことを言いたかったのではないでしょうか?」


 突然、Mさんが首をかしげて俺に問う。


「そう、そうです!」


 彼女の説明に聞き入っていたが、俺の言いたかったことはそういうことなんだ。


「これを可能無限かのうむげんと呼びます。“可能性としての無限”というに対する一つの解釈です」


「えっと、一つの解釈ってことは、他にもあるんですか?」


「はい、もちろんです。と言っても、あと一つですが」


 なるほど。つまりには2パターンの解釈があるということか。

 なら、もう片方はどういうものなのだろう、と疑問に思うと同時にMさんがぽつりと言う。


「ちなみに、私は“可能無限派”ではありません」


「ええ?」


 戸惑う俺を気にすることなく、Mさんはカバンから水筒を取り出し、こくり、とお茶を飲んだ。

 水筒は持ち歩くのにメモ帳は持ち歩かないのか、なんて思うと少しおかしかった。

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