【Y=5】無限の世界で開花するのです

 が現実に存在すると、無意識に俺は思っている。

 そうMさんは言った。


 本当にそうなんだろうか。なんともいえない違和感に包まれる。

 延々と答えの出ない問題を考えて脳が熱を帯びていくような。

 でも、嫌な感覚じゃない。


「あ、そうだ。ちょっと気になったことがあるんですけど」


「はい、なんでしょう」


 細かなことかもしれないが、せっかくなので聞いておこう。


「無理数は分数で表せなくて、有理数は分数で表せるって話でしたよね。で、一番の違いは規則性があるかどうかって」


「はい。無理数は不規則です。これも証明できます」


「えっと、気になってるのは有理数の方なんですけど、たしかに“1/33分の1”は“0.33333・・・”って続くんでいいとして、たとえば“1/77分の1”なんかは不規則なんじゃないです?」


「いえ、規則的ですよ。実際に確かめてみてください」


 Mさんはそう言って余ったメモ用紙と鉛筆を俺に渡してきた。

 これで計算してみろ、ということなのだろうか。


「あ、スマホでやります」


 Mさんには悪いが、ここは文明の利器に頼らせてもらう。

 スマートフォンを取り出し、計算機アプリで“1÷7”と入力する。


「あ、ほら。不規則じゃないですか」


 スマートフォンには“0.14285714”と表示がされている。


「桁が足りないからです。横にしてください」


「横?」


 Mさんが意味のわからないことを言う。

 何を横にするのだろう。


「横です」


 突然Mさんが手を伸ばし、俺の指ごとスマートフォンを横に傾ける。


「えっ? ……あれ、なんか表示が変わった?」


「横にすると関数電卓になるんです。表示される桁数も増えるので、よく見てください」


 こんな機能があるなんて知らなかった。スマートフォンってすごい。


 数字をよく見てみる。

 “0.14285714285714”と、さっきよりも数字が少し伸びている。


「……あ! “142857”って続いてる! これが規則ってことですか?」


「その通りです。“m÷n”で表せるならば、どこかで数字の列が循環するか、同じ数が続くか、そのどちらかになります。逆に、循環したり同じ数が続くならば、必ず“m÷n”で表すことができます。これらの証明はそこまで難しくありません」


 Mさんの「ならば」という言い方で、つい先週、喫茶店で聞いたことを思い出した。


「あ! もしかして、それのを考えてみたら、無理数が不規則ってことを証明できちゃうんですかね」


 Mさんが少し驚いた顔をして言う。


「そう、その通りです」


 やった。合っていたみたいだ。


 “分数で表せる”ならば“規則性を持つ”。

 その対偶は、“規則性を持たない”ならば“分数で表せない”。


 そして。

 “規則性を持つ”ならば“分数で表せる”。

 その対偶は、“分数で表せない”ならば“規則性を持たない”。


 つまり、無理数分数で表せない数は不規則な数で、不規則な数は無理数分数で表せない数なんだ。


「無理数が不規則に続くことは納得いただけたみたいですね」


 俺は大きくうなずく。

 ここまではわかった。

 でも、一つ大きな疑問が残っている。


「“√2”が無理数で、不規則にずっと続くということはわかりました。で、そんな“√2”を値が決まったものみたいに扱うのは、を現実に存在してるっていう“実無限派”の考え方と同じっていうのも、まあわかりました」


 わからないのはこの先だ。


「だとしたら、ほとんどの人は“実無限派”ってことになりますよね。逆にどういう人が“可能無限派”なんですか?」


 “√2”は値の決まった数。

 中学や高校で数学の授業を受けた人は、きっとみんなそう考える。

 なら、そうではない“可能無限派”というのは、どういう人達なんだろう。


「哲学者や論理学者、あと一部の数学者ですね。“可能無限派”と“実無限派”の対立は昔からあるんです」


 対立、なんて言うものの、Mさんは楽しそうに話す。


「私のイメージですが、確実さを尊重し、より慎重な姿勢の学問は“可能無限派”の立場を取るように思います」


 少し意外だ。

 数学ほど確実なものを追求するものはないと思ったのだが。


「たしかにそのものを扱おうとするのは、常に矛盾と隣り合わせのようなものです。先ほどお話した“ゼノンと矢のパラドクス”だけでなく、“カントールのパラドクス”、“ラッセルのパラドクス”など、常に論争は絶えません」


 さっきMさんが言った「パラドクスの宝庫」というのはこのことなのか。


「矛盾とかパラドクスとか、そういうのが多いのっていいんですか? 弱点が多いってことですよね」


 そんな俺の言葉を受けて、Mさんは心なしか胸を張って言う。


「弱点が多いことと、魅力的であるかどうかは別です。むしろ、弱点が多いからこそ惹かれるものも、あるのではないでしょうか」


 なるほど、と思う。

 思い当たることはいくらでもある。

 

を扱う数学は、そんな世界で開花するのです」


 熱を帯びた言葉から、本当に好きだということが伝わってくる。

 つい、勝ち目の無い嫉妬のようなものを覚えてしまいそうになるのが、自分でも少しおかしかった。

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