【Y=2】全ての白の石を盤面に並べる

 先月のままになっていたカレンダーを破り、Mさんに渡す。

 メモ用紙とは呼べないサイズだが、大きい分には問題ないだろう。


 Mさんはそれをテーブルの上に広げ、ペンを持ったまま何かを考えているようだった。

 しばらくして、彼女は用紙の端に『完全性』『無矛盾性』と書いた。


「“絶対的なもの”だとか“確実なもの”だとか表現の仕方は様々ですが、数学が目指すのはこの2つです」


 そう言いながら、ペンで2つの文字を交互に指す。


は、言葉通り“矛盾が無いこと”ですのでいいとして、こちらのである、とはどういうことなのか。……わかりますか?」


 Mさんが静かに俺に問いかける。


「……全てが絶対に正しい、とかでしょうか」


「“絶対”という概念を説明しようとするのに、“絶対”という言葉を使うのは感心しません」


 Mさんが溜め息をつく。

 いつもの彼女なら、こんな突き放すような言い方をしないのに。

 

 俺は気を取り直して、言い直す。


「ええと、たとえば、“1+1=2”ってどんなときでも正しいですよね。全部がこういう確実なもので出来ている、っていうイメージです」


「違います」


 Mさんはあっさりと言い放つ。


「“1+1=2”という命題を正しいと言えるのは、からしんであることを導き出すことができるからです。私たちが使っている自然数論のでは、たしかに“1+1=2”が証明されますが、異なる公理系を使う場合はそうとは限りません」


「はあ。じゃあ“1+1=2”なのは、たまたまそういうを選んだからで、そうじゃない場合もあるってことですか?」


「もちろんです。矛盾さえ無ければ問題ありません」


 Mさんが言っていることが詭弁きべんに聞こえる。

 人間が決めようが決めまいが、いつだって“1+1=2”だと思うのだが。


「ええと、から導けるものが正しいってことなら、それでいいです。とにかく、そういうもので埋め尽くされてるってのがってことかな、と」


 ふと、「埋め尽くす」という自分の発言で、一つの遊戯のイメージが浮かんだ。

 言葉では上手く伝えられない。せっかくなので、その道具に頼ろう。


 俺は引き出しから“オセロ”を取り出し、広げられた用紙の横に台を置く。

 

「正しければ“白”。間違ってれば“黒”。こんな感じで、“白”で埋め尽くすイメージです」


 一枚一枚、白の面を表にして並べていく。

 その様子をじっと眺めていたMさんが、ゆっくりと口を開いた。


「最初に置く数枚が、。そこから少しずつ証明を進め、“しん”の命題を増やしていく。……そうです。それがまさに数学の営みです」


 ほんの一瞬だが、Mさんが微笑んだように見えた。

 もしかしたら気のせいかもしれないが。


 Mさんが石を何枚か手に取り、台を見つめながら言う。


「“しん”であり“”であるもの、つまり“白”であり“黒”であるもの。白黒が混ざったような石は不良品と呼ぶほかありません。それがです。そんな命題が導かれた公理系は、その時点で破綻します。この最悪のパターンを避けるのがであることです」


 少しずつ、いつものMさんの雰囲気に戻っていく。


「そして、であるというのは、全ての“白”の石を盤面に並べることです」


「……ええと、全部が正しい、ってことです?」


「いいえ。“しん”であるものを全てから証明できる、ということです」


 違いがよくわからない。

 首をかしげる俺を見て、Mさんは補足をしてくれる。


「たとえば、“しん”であることはわかっている命題があったとします」


 そう言いながら、Mさんは白の石を俺に見せる。


「ですが、もしこの命題をから導くことができない場合、それはだということになります」


 Mさんはそう言いながら、白の石を盤面の外に置いた。


「逆に、全ての“白”の石を余らせることなく盤面に置くことができれば、だということになります」


 なるほど。

 なんとなくイメージはつかめた気がする。


「現代数学の父とも言われるドイツの数学者ダフィット・ヒルベルトが目指したことが、まさにこれです」


 そう言いながら、Mさんは用紙の『完全性』と『無矛盾性』に矢印を伸ばし、その根元に『ヒルベルト・プログラム』と書いた。


「ヒルベルトは数学の諸問題を解決するための計画プログラムを作り、当時の数学者たちに呼びかけました」


 なんだか意外だ。

 数学者って、一匹オオカミみたいなイメージがあるから、みんなで協力し合うっていう絵面が浮かばない。

 このヒルベルトさんが有能で、かつ人望もあったということだろうか。


「ですが、この計画は中止に追い込まれました。が証明されたのです」


 そう言って、Mさんは悲痛な面持ちで、『ヒルベルト・プログラム』の上に大きな×バツを書いた。

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