1-2-14)夜の引き音

 * * *


 それらは決め事なのだ。酷く単純で、だからこそ変わらない決め事。伝統というよりは伝承。伝え聞くという意味ではなく、伝えた時点で受けることが決定事項となる。伝統のように継続するものでありながらあくまで伝承にしかなりえないものは、しかし絶対だ。

 屋代家はそうして成り立ってきた。

「まだお休みになられないんですか?」

 言葉とともに明かりがつく。穏やかな声は、しかしそれだけの色ではない。嘲笑ではない、いぶかしむものでもない。ただひたすらに平坦で、しかし疑問を投げるには足りている。

 声の位置とスイッチの位置は離れているのだから、もう一人がそちらなのだろう。静かに判断をして、泥野はややゆっくりと立ち上がった。耐水性のブーツはまだ濡れていない。

「見回りをしてから休ませていただきます。お客様も早くお休みください」

 声をかけてきた人間は、ある意味予想通りでもあった。探偵だという山田太郎は笑みを浮かべたまま泥野を見上げている。玄関の段差分をもってしても泥野より低い背丈の山田は、相変わらず不遜だ。

 オールバック、サングラス、黒いスーツに赤いネクタイ。探偵と言うよりも別の職業を思わせる山田を、しかし泥野はそういう意味で恐ろしいとは思わない。

 元々泥野にとって恐れるものなどそう多くないのもあるが――この客人は、理知的だ。なじる言葉を持つだけで、ある一歩では踏み込まない、踏みにじらない。

 おだやかに笑みを浮かべ言葉を続けない泥野に、ふん、と山田が鼻を鳴らした。笑うと言うよりは、言葉の続きに一歩踏み出す為の音。

「こんな夜中に、ホールの電気を消したまま外に、ねぇ。戻ってから電気を消す方がいいんじゃネェか?」

「お客様たちにお気遣いさせないように、と思ったのですが……逆に不安にさせてしまいましたか」

 敬語から乱雑な言葉への切り替わりは当たり前のように見えた。自然で、だからこそいびつ。泥野は山田という人間を知り得ないが、粗野な言葉を使っていたのに先の言葉の丁寧さがやけに山田に馴染んで聞こえた。嫌みではない敬語の色は、それなのにあっさりと粗野な言葉に紛れる。

 だからだろうか。中村の代わりに来た編集者よりも、やけに夜が騒ぐのだ。

「ああ、不安だね」

 返ったのはあっさりとした肯定。否定が返っても肯定が返っても違和感のない人物は、にやり、と口角を持ち上げた。

「この雨の中、真夜中に。それも人が死ぬって話まであって、調査の依頼を受けて。そんな状態で屋敷の執事がこそこそと外に行くってのは流石に怖いくらいだ」

 怖い、と言うのに表情は不遜な笑みのままだ。おそらく電気をつけたのは一緒に来た青年だろうと泥野は考えたものの、姿が見えない。スイッチは複数箇所にあるので、ちょうど死角なのだろう。

 姿を隠す必要性を、泥野は推測できない。かわりに、柔和な笑みを深めて山田を見下ろす。

「お客様にこんな提案をするのは心苦しいですが……お気になされるのでしたら、一緒に行きますか?」

 まだ、今日ではない。しかし泥野は知っていた。賢さは、聡さは、偉大なるものを受け止めるに適している。破滅を成すか、それとも。どちらにせよ、この小柄な体ではどうにもできまい。成人男性にしては随分と小さな体は、老いた泥野にとってすら驚異には成り得ない。隠れ潜む青年ならば流石に難しいとは思うが、このくらいならだ。

 かつん。床を鳴らす音。洋館の構造故に靴を履いていることに違和はない。だが、磨かれた靴に泥野は眉をひそめた。

 

「お気遣い有り難うございます、と言うつもりはネェな。出掛けようとしているところ悪いが、いくつかアンタに聞きたいことがある」

「聞きたいこと、ですか」

 飛び込みで招いた人間だ。こちらの事情など知る由もない。そうは思うものの、方向は富泥野からだったから、この地域について全く知らないことも無いかも知れない。

 探偵ごときにできることなどそうないだろうと踏んだが、態度から想像するにどうにも違うようだ。編集者がオカルトじみたものを取り扱っていたことが泥野の思考を掠める。そちらを知る人間だとして、しかし偶然。どこまで。

「ああ、こちとらしがない探偵だ。アンタのような爺さんですら、俺にはなにかする力なんざ無い。だからちょいとした話ぐらい、平気だろう?」

 実際、先ほど泥野は山田に対してそのような評価を下していた。その見目のわりに、体は鍛えられた印象を見せない。何も出来ないと言い切るほど貧相な体ではないが、当てはめるなら華奢という言葉が似合う人間。言葉も態度もすべてが探偵を不遜に見せるのに、そちらが引けばあっさり攻撃性が見えなくなるような不可思議な人物。

 扉に目をやる。夜はまだある。雨音は大きいままで、泥野は小さく息を吐いた。ため息ではなく調整をするようなそれに、山田が笑う。

「話をしましょう、泥野さん」

 まっすぐと見据える声は、ただ静かに提案だけを宿していた。


「お話、承知しました。そもそもお客様ですし、なにか酷いことをなさるとは思っていませんよ」

 あくまで穏やかに泥野は応える。山田はおそらくなにがしか確信して見えるにもか変わらず、泥野の態度を揶揄する様子は見せなかった。

「……つくしの里、を知っているだろ」

 とん、と投げられた音は静かだ。探るよりも追求に近く、泥野は目を見開く。

 そこからきたか、というのが第一の思考。

「ええ、屋代様が気にかけていらっしゃりますから。お客様もご縁がおありなのですか?」

「施設自体にゃ縁はねぇよ。ただ話には聞いているんだ。屋代家の人間が施設から子供を引き取っている。頭の使えるやつを大学まで支援。ご立派なことだが――その人間が施設に顔を出したことはない。戻りたくないとかでなく、たまに会いに行くと行っていた奴もな。

 まあ世界が広がればその分気にかけなくなるケースもあるが、それが屋代家ってなるとちょいとひっかかるよな?」

 最後の言葉は笑みを含んでいた。挑発というより、その音に混ざっていたのは問いかけだ。そしてその問いは、わからない故ではなく促すための色を持っている。

 泥野は目を細めて苦笑した。その苦みは薬ではないが、毒でもない。ただただ無害で静かなそれに、山田は腕を組んだ。表にでる右手の中指が、とんとんとんと左腕を静かに三度叩く。

「賢さを選ぶ基準にするのを悪とはしない。むしろ普通でいうなら屋代家の行為は歓迎されることだ。すべての人間を救えなくとも、手に取れる範囲で。

 ……施設から引き取った子供の場所を教えてくれますかね?」

 ああ、と泥野は心内で息を吐いた。不可思議なことだ。観客のいない探偵の推理ショーでも聞いているような芝居がかった言葉選び。核心よりも遠回りをするのは、物語の探偵だけではないのだろうか。苦笑が微苦笑に、ともすれば笑いになりそうになるのを泥野は寸前でこらえた。

 山田の態度が悠然としている理由を泥野は知り得ない。知ってしまえば尚更それは滑稽にすら思えるだろうと泥野は目を細めた。どこまで、なにをしたのか。煙を消してそれで由としたのだろうか。

 確かに、煙は目印だ。しかし泥野は愉快な心地を深めていた。それは語る相手が居ることの悦びなのか、それとも崇拝を形にするためか、どちらも含むのか、別なのか。泥野にはわからないが、しかし愉快だった。

「屋代様の引き取られた子供は、幼い少女です。まだ馴染んでも居ませんし、お客様からは離れた場所に居ます。屋代家の子供です。お客様は酷いことをなされないと思いますが、念のためお答えしないことをお許しください。たとえ泥棒相手でなくとも、鍵を開け放すことは誘惑に成り得ますからね」

 お互いのためです。そう泥野は続ける。納得するとは思わない。しかし同時に、追求の芯ではないとも泥野は感じていた。これは恐らく手順だ。泥野が煙を置くように、外に出ようとしたように、探偵はいくつかの意味を持って言葉を選んでいる。

 雨音が強くなった。やはり、夜が求めている。お世辞にも見目がいいとは言えない小柄な探偵の額を見る。きれいなつるりとしたその内側にあるモノに泥野はうっそりと息を飲み込んだ。

 警戒すべき彼の同行者が姿を隠している内にいかに誘うか。あの気の弱そうな青年が探偵の言葉無しに機転を利かせるようには思えない。

「疑惑を持たれているのは判りました。矢来様のお言葉もあり、ご不安でしょう。しかしこればかりはお許しください」

 泥野が言葉を重ねると、予想通りとでも言うべきか山田は片眉を歪めて笑い捨てた。

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