1-1-12)きめごと

「……わかっていたの?」

 子供が確かめるように聞き返す。うん、と横須賀はなんてことないように頷いた。――つもりだったが、実際それがうまくできたかはわからない。横須賀の内心は、先ほどからその一点に対して不満を消せていない。

「声壷は声を呑んで自分の物にしたがるんだ。でも声は一つで良いから、君の代わり。返しに行くには声の持ち主がいたほうが都合がいいから開けた。おじさん、すごい人だから大丈夫だよ」

 困惑のまま、子供は首肯すべきかどうか悩んでいるようだった。案じる視線を何度も山田に向けているのがわかる。だからこそ、大丈夫、と横須賀はもう一度言葉を落とした。

 この「大丈夫」というのは山田の言葉だ。使い方すら間違えなければ、この壷自体は無害なものらしい。ならば呑まれるのは横須賀でもいいのでは、という提案は、山田が以前壷に関わったことがあったこと、儀式への経験数も含めて山田に押し切られてしまった。

 横須賀からすると山田の言葉は武器であり、横須賀と山田なら横須賀が声を失った方がいいのでは、という考えが消えないのだが――これはわかっているから押し切られてやらねぇぞ、と笑って言われてしまえばどうしようもない。子供を宥めきれない自身にため息を吐きたくなりながら、横須賀はメモをめくった。

「壷を返す間に、帰り道を探そう。あの黒は、壷が恋しいだけだから大丈夫。壷が返ったら、あとはもう難しいことはないから」

「……でも」

 子供の言葉が続く前に、横須賀はゆっくりと言い聞かせるように告げた。これは決め事だ。聞いてはいけない、言わせてはいけない。聞くのは後だ。

 名前を隠すのはただのジンクスじみたおまじない。けれどもこれは、まじないよりもはっきりとした決め事。

 たかが声、されど声。

「行きますか?」

 立ち上がった山田に横須賀が問いかける。山田が首肯し、子供を顎で示した。

「型、渡してくれるかな」

 山田の代わりに子供に尋ねると、子供は眉をしかめて型を抱きしめた。山田の眉間に皺が寄る。神妙な顔の子供と不愉快を形作る山田を見比べて、横須賀は首後ろを指先で叩いた。やはり山田が尋ねる側が良かったのではと思いつつ、しかしそうは言っても始まらない。

 メモをなぞった横須賀は子供に近づくと、その顔を覗くようにしゃがみ込んだ。

「ずっとここにいたら、結局なにもかも無理、だよね」

 ごめんね、と内心で呟きながら言葉を落とす。子供の瞳が揺れ、唇が戦慄く。なにを望んでいるかなどわからない。けれども、ここにいるということは使われることすら叶わないということだ。

「渡せないなら、とっちゃう、よ」

 そっと横須賀の手が子供の持つ型に触れる。その長身に見合った横須賀の手は、山田よりほんの少し大きいだけの子供の手と比べるまでもなく大きい。

 けれどもその「とっちゃう」という言葉と並べるには随分と控えめな所作でもあった。

「ごめんね」

 掴んだ型を引く。一度だけ引き留めるような力を感じたが、すぐにその手は離れた。

 子供の表情がなにを語るか、横須賀にはわからない。

「俺、大きいから。仕方ないよ」

 山田に手渡しながら、横須賀は申し訳なさそうに呟いた。大きいから。それはあまり横須賀にとって好ましいことではないが、子供を宥める理由になるのなら少しだけよかったかもしれない、と思う。仕方ないという言葉に子供は目を伏せ、空いた手のひらを固く握ると俯くようにして頷いた。

 どうしようもないことが苦しい理由になるときも、逃げのような罪悪になるときもある。仕方ないは自分で思う時は諦めなのに、言う側になると祈るような心地になるのは奇妙なものだ。横須賀は声には出さずもう一度だけ仕方ないよ、と口の中で呟いて、山田の首肯に首肯を返した。

「どうぞ」

 山田に型を渡してしまえばそれで終わりだ。正直に言えば横須賀は別行動などしたくない。それでも、やることはある。

「気をつけてくださいね」

 横須賀の言葉に、山田は笑った。当然とでもいうような笑みは頼もしい限りだが、しかし不安が消えるわけではない。山田の視線が子供に向かい、それからもう一度横須賀を見る。口の動き、四文字分。

「頼まれました」

 神妙に横須賀が答えると、もう山田は部屋の障子を開けた。不安げな子供の肩を左手で押さえ、横須賀は息を吐く。

 きめごとは三つ、する事も三つ。

「しずかにね」

 子供の手を握る。一つ目のすることは彼を手放さない為のもの。先ほど伝えた名前を呼ばないことはまじない程度だと山田は言ったけれど、それは一つ目のきめごとに関係するものでもあった。

「神様のお家だから、失礼の無いようにしないとね」

 山田と反対側の障子を開ける。入り口が出口でないのは奇妙だが、この異常な場所でそれは些末なことなのだろう。8の字型の廊下は左右の壁に挟まれて長細い。そしてその壁はすべてが障子やふすまで、部屋があるようでなぜか開け口の穴を持たない。

 二つ目のすることは、山田の行く道と逆を進むことだ。まじないのようだが、これはそういうものらしい。やまびこは繰り返される。丸でぐるりと巡るのではなく、外に向かうための切れ目を作るには大切だといっていた。横須賀にはなにもかもわからないままだが、そういうものなのだろう。山田が戻るためにも大事なことで、なにがあってもその道順だけは変えられない。

 廊下は、子供をいっそ抱えてしまいたいような圧だ。その手をどのように引けばいいか迷うような、なにかが突然その薄い紙を破るのではないかという妄が浮かぶ。横須賀は子供を半歩先に行かせ、手を繋ぎながら空いた手でその肩に触れた。曲がり角の手前でだけ、少しだけ自身が先を行く。何度か力を込め直される手からは怯えが伝わり、その度に横須賀はそっと握る力を強くした。

 二つ目のきめごとは、無理をしないこと。無理をしない、だけで言えばそもそもいつものことなのだが、この場所での『無理』だ。

 この場所で難しいことは、そもそも望まれないものと考えた方がいい。子供を含め横須賀たちは招待されない客人だ。少しでもおかしく感じたら、触れない、踏み込まないこと。面倒を増やさない為に、と聞いている。

 山田曰く、そもそもこういった奇妙なことにはいくらかの段階があるらしい。一番面倒なのは、遭遇しただけでどうしようもならないもの。ルールがこちらのことわりから外れており、人が理解することなどできない、法則自体が存在しないものがある。そういうものは正直自然災害のようなもので、たかが人間程度がよりあつまっても無意味だ、というものらしい。

 その自然災害レベルのものを、たとえば豪雨を利用したダムのように使うケースがある。結局ダムとしての利用がしきれなくなれば災害になりえるが、その規模を越えなければ利用者にとってよいものだ。それがたとえば宗教、信心、言い伝え。水門の開け方、調整の仕方を間違えれば大きな問題となるが、守ることが出来ればその原因が気まぐれを起こさない限り、踏み込みすぎない限り、踏み込まれすぎない限りは、なんとか成り立つかもしれないもの。叶子のこともそれに近いと山田は言っていた。

 彼らのルールはわからないが、そういうある意味で施しを受けた、しかし決定権は人が持ち得ないもの。

 この場合、災害を人が理解していると言うよりは、災害が人を見ていると考えるほうが順当だろうと山田は言っていた。理解しているのかどうかまではわからない。人がいる、かもしれないし、よくわからないが便利だ、程度かもしれない。ただそこの利便性を保ったままこちらの望む結果を得ようとするのができること、だとも。

 そこからもう少し行くと、人間を人間として理解して、共存するだろうタイプもある。ただこれは本当に些細で、実際それが先ほどの自然災害のようなものとどう違うのか、実は結局同じなのではないかといった点はわからないとのことだ。結局奇妙な超常現象というのが結論でもあった。

 山田は専門家ではないし、その奇妙な事柄を求めるのではなく、利用する人間を見据えてきた――言ってしまえば自然災害のような怪異と真逆の視点を持つ人間なのだから、雇われてから聞いたあの言葉がそのままなのだろう。

 オカルトを科学や現実に見据えるのはその専門家で、山田は事象の解明に注力しない。見据えるのは、人が関わり動く世界だ。

 滑稽なことでもそれを否定しきれないだけのものを見てきた横須賀は、その違いをきちんと把握まではできずとも、わからないものを間違えないために手順が大事なのだということは理解した。同時にだからこそ、山田の大丈夫が不安定に成り立つこともわかっている。だとしても、やれることは結局変わらないからこうして歩く。

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