1-2-6)提案者

 探偵、という言葉に周囲の視線が山田に集まる。まるでそれを待ったかのようなタイミングで名前を呼んだ男に、山田は見開いた目を眉間の皺で隠した。

 サングラスで目を隠しているとは言え、筋肉の動きは連動する。一瞬だったが男は理解しただろうか――たとえ察したとしても、理由は別の形で取るだろう。そう考えながらも、山田は不機嫌な顔を作って男を見据えた。

「探偵が謎を解く、なんて物語の話を現実に持ってこられても迷惑だな。殺人事件を請け負う人間も探せばいるかもしれないが、俺の仕事は調べることだ。殺人そういう事件は警察へどうぞ」

 それ以上言うことが無いと言うように、山田は椅子の背に体を預けた。足を組み替える所作も大きく、食事の席というのに態度は悪い。

 しかし、他の客人はそれを指摘せずに男と山田の会話を見守っていた。対する男は好青年じみた笑顔でじっと山田を見据える。

「残念ながら、警察は来ない。そんな環境なら俺はさっさと帰ってこんなことに関わらない選択肢を持てるんだ。……それに、この仕事は貴方の分野だろう?」

 真っ黒い瞳はのっぺりとしたまま、山田を映している。探る態度ではない。それは映すだけなのに、決定事項として淡々と事実を伝えるようだった。

 ああ、違うな。浮かんだ言葉はそのままにして、山田はあくまで不愉快という態度のまま息を吐く。

「アンタがなんで俺を知っているのかわからねぇが、俺は平々凡々、あくまで普通の小市民だ。探偵業務を請け負おうにもこちらの状況が不明。そもそも人が死ぬなんてほいほい信じるわけネェだろ? そんな毎回死んでいるならそれこそこの屋敷に警察が来ている。なあ、泥野サン」

 ぽん、と投げかけた言葉に泥野が「は、」と小さく答えた。言葉に対する反射のような音と半端な肯定が混じった声に、山田が口角を上げる。

。噂と言い切るんだ、そういうことだろう?」

「はい」

 山田の強調するような確認に、泥野が頷いた。かつん、と鳴ったのは高音。銀食器がぶつかる音は、男の手前から響いた。

「でも、警察が来たことはあるだろ」

「……随分前ですよ。それに、調査ではなくて簡単な確認程度です。ご案内して終わりました」

「ふぅん」

 納得したのかどうか、微妙な音だった。日暮のような無機質さではないが、しかし感情が読みづらい声ではある。どこか義務的で自身の介入を遮るような語調。男は少し前傾になっていた姿勢を戻すと、泥野を見上げた。

「まあ、殺人事件があるかどうかは問題の主軸じゃないからいいさ。問題は、俺は六日間もここにいる気がないってこと。だから人為性を言っているんだけれど」

「そうは申されましても」

 困ったように泥野が眉を下げる。どうしようもない、というような態度に、男はせっかく戻した姿勢をまた前傾――それも、肘をつくような形にして泥野を見上げた。

「じゃあ、この屋敷にいる間。どうせ退屈だし探偵に調べてもらってもいい?」

 男の言葉は身勝手な提案だ。しかし、勝手に調べることを提案されている山田は口を挟まずに二人の会話を見守っている。泥野の視線が他の客人達に一度逸れ、そして戻る。

 泥野が口を開ききる前に、男は来ていたジャケットの襟を整え直すように、上下に二度引いた。

「殺人事件が噂される原因を勝手に突き止めてもらえれば屋代さんも助かるだろ。原因が自然災害で人為的でないと判明したら俺も観念するし、出られない間メシの種が増えるのは助かる」

 メシの種、という言葉に横須賀がほんの少し不思議そうに首を傾げた。ささいな変化だったがそれを見て取ったのか、男が笑う。

「泥野さんには伝えてあるけど、探偵さんたちは知らなかったな」

 男はジャケットの裏に手を差し入れると、名刺入れを取り出した。黒い革製のそれは品のいい艶をしているだろう。だが、まだ若い色だ。

「オリーブ出版編集者、らいおり。事件にならないくらいの記事なら、俺のところ向きなんだ」

 人の良い笑顔を浮かべたまま、矢来は真っ直ぐと言い切った。


 * * *


「入っちゃって」

 入室を促された矢来の部屋は、山田達が借りている部屋とさほど変わらない。というよりも、ほとんど同じと言っていいだろう。違うのはこうの香りくらいか。わずかに違う香りは、こちらの方が通常線香として使われているものに似ている。

「適当に座って良いよ」

 矢来のあっさりとした言葉に、横須賀が少し視線をさまよわせる。適当に、と言われてもどうすればいいかわからず立ち尽くすのは横須賀らしいが、山田はそもそもまだ座る気にならない。鍵の閉められた部屋、まだ動く様子のない山田の隣をするすると通り過ぎ、矢来は奥に入っていった。

 ベッドに座った矢来は部屋に備え付いている椅子へ手を向け、それに横須賀が頭を下げる。

 指差すのではなく手のひらを上にし指先を揃える所作は穏やかだが、まだ椅子を引くのを躊躇う横須賀よりも出口側で山田は腕を組んだ。

 おそらく敢えて奥に座ったのは、鍵を締めたものの敵意はない証明の為。椅子は二人の為に残しただろうし、同時に自身がベッドに座ることでゆるい空間を作ろうとしているのだろう。

 何を考えているのか読みとりづらい黒い瞳は底知れないが、先ほどまでの好青年じみた笑みが無いのは寧ろ矢来なりの誠意、というところか。

「俺からアンタに言うことはねぇぞ」

 だからこそ部屋から出ず、しかし山田は見極めるかのように言い切った。俺から、ね、と復唱した矢来はわかっていたのだろう。それを責めることなく頷く。

「まあ調べて来たのか違うのかわからないけど、この段階じゃ俺も不審者だろうってのはわかる。気が向いたら好きに座って」

 もう一度椅子に視線をやったあと、矢来は立ち上がり鞄を持ち上げた。黒色のビジネス鞄は大型で、そこから取り出されたのは一通の封筒だった。

「元々、ここには別の人が来る予定だったんだ。なかやまろうっていう寄稿者で、俺はその代わり」

 封筒から出てきたのは黒革にDiaryと金で箔押しされている帳面だ。別に高級という訳ではなく、よく見る安い合成革の量産品。いわゆる十年分まとめて記載できるらしいそのノートは少しくたびれている。

「中山さんの原稿がまだなのに、こっちに来なきゃいけないってことで替わらせてもらったんだ。俺は中山さんの原稿が必要なのにそれに更に六日間だなんて困るからね。とはいえ中山さんの原稿だけでなくこっちにも約束があるし、とりあえず事情を話して帰ろうと思ってきた。中山さんは行ったら戻れないっつってたけど、それでも時間との勝負だし思ってさ。んで、今こうなってる」

 最後の言葉を飾るように、矢来は肩をすくめた。のっぺりとした表情ではあるが、似ていると感じる日暮のような大仰さは少ない。馴染んだ所作とフレーム奥の瞳は、誠実とは言えず、しかし虚実のようにも見えない。

 言葉を挟まず見返す山田を見、矢来は一度顎に指を当てる。それから「ああ」と声を出すと、鞄から携帯端末を取り出した。

「ヤマダタローさんを知ってるのは、まあ仕事柄。オリーブ出版って聞いたからアンタもわかるかもだけど、とうくろから寄稿されてた場所ね。ちょいと前にその関係で警察が来たりもしたから知ってるんじゃないかな。

 ま、とはいえこっちは寄稿されてるだけだったし、特に後ろ暗いところはないから良かったんだけど――警察は情報を漏らさなかったけれども、山田太郎って人間についてはそういう方面で元々知ってたんだよ。オカルト絡みで調べてると、どっかで出てくる名前だ。そのくせ事務所のサイトはなかったし取材もできないって感じだったからまあ、触らぬなんたらくらいの感覚で俺たちは把握していた」

 とんとんとん、と事実を並べ立てる語調は軽い。オリーブ出版、と聞いた時点で予想していた答えに山田は鼻を鳴らした。わかっている、というような態度に矢来が携帯端末をくるりと回す。

「これでも俺は信用出来ないか?」

「理解はしなくもないが、触らぬ神に、って思っていた相手にちょいとアンタが無防備すぎねえかってあたりが引っかかるな。早々信じがたいような人が死ぬってことを信じてる件についてはおそらくそこの日記帳があるんだろうが、アンタが俺たちにそうまで手札を出し、協力願うにも俺たちへの信頼が足りネェだろ。もしかすると逆にヤバい結果になる可能性は考えないのか」

 くるり、くるり。回った携帯端末が、縦に止まる。んー、と唇をやや尖らせた矢来は、少し視線を斜め上に向けた。

 どこかを見ると言うよりも、考えるような所作だ。縦だった携帯端末が、手のひらの上で横になる。

「どれを言えばってくらいにあんま気にならないんだよな。俺たちは事件にならない、娯楽や慣習、土着信仰であり噂話くらいの物を追っている。だからまあ、わからない位置からいうならなにやっているかわからないし、それらを非科学的って言うなら中山さんの日記を信じる理由になりづらいから怪しまないのが不信なのはわかる。でも、調べていても山田太郎がヤバいって感じはなかったし――なによりそうだな、理由はさっきアンタが見せた」

 に、と笑った矢来に山田が片眉を上げた。いぶかしむような表情の変化に、矢来は自身の口角を右手中指で押し上げる。

「俺が笑ったときにちょっと驚いただろ。そっちの大きい方も。大抵そういう反応する人って、雨彦あまひこの知り合いだ」

 雨彦、という言葉に横須賀はぱちくりと瞬いた。対して山田は少し長く息を吐く。

「日暮刑事の所属と俺の仕事の繋がりだ。ただ知っているだけかもしれネェだろ」

「でもまあ、表情が変わらないはずって先行意識持つ程度には知ってるだろ? やばいやつなら雨彦がどうにかしてるだろうし、やばいやつ相手に表情が変わらないってことを言うとも思えない。ちなみに俺は甥っ子。信用足りるか?」

 くるり、ともう一度回った携帯端末を開いて、矢来が掲げたのは会話記録だ。所謂簡易メッセージのやりとりの相手は、『雨彦』と記載されている。

 山田と矢来の言葉でようやく雨彦が日暮のことを指していると理解した横須賀は、ああ、と内心で手を打った。似ていると言うことが気のせいで無かったことが嬉しいのかなにやらにこにこしている横須賀を尻目に、山田が大仰に息を吐く。

「他人の会話を覗き見する趣味はネェから仕舞え。テメェが俺に無茶振りする理由はわかったことにしておく。期待に応えられるとは思えないがな」

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