1-1-10)声の場所

「声を呑む……?」

 怪訝そうに渉が繰り返す。ああ、と頷く山田の声はそっけなく、その視線も渉を見ずに自身の左わき腹を見るように動いた。左手がそれにならってズボンの後ろポケットに差し込まれる。

 するりと取り出されたのは名刺入れだ。黒い革の平たいそれから、手慣れた様子で一枚紙が出る。

「終わりました」

 話の邪魔をしてしまう、と思いつつも、他に作業がないか尋ねる意味も込めて横須賀が口を挟んだ。山田は紙を一枚畳の上に置くと、横須賀を見上げた。

「なら十分だ。今から出るぞ」

「え」

 え、というのは渉の声だ。話の途中だったので横須賀も驚きはしたが、しかしすぐに頷く。山田は立ち上がると名刺入れを片手で仕舞い直した。

「持って行く物はありますか?」

「持った。行きがてら話す」

「あの!」

 そのまま出ようとする山田に、渉が声をかける。振り返る山田の表情に特別な感情はない。手の内に持った一冊の手帳をそのまま横須賀に押しつけ、横須賀はそれをしっかりと抱えた。

「なにを」

「言っただろ、子供を見に行く。明後日まで戻らなきゃそこに連絡しろ。土蔵、声壷、探偵と助手が戻らないことを伝えれば十分だ」

 山田の指示ははっきりしているが、渉は困惑から今度は横須賀を見上げた。視線を受けた横須賀は渉とは対象的に疑問を持った様子を特に見せることなく、渉にぺこりと頭を下げる。

 とりあえず、といった体の横須賀に悪気はないだろう。ええええ、と小さく漏らした渉は、もう一度山田を見た。

「足りたんです、か?」

 聞きたいことはそうではないのだろう。しかし聞けることはそれしか言葉がないという調子で、渉が尋ねる。

 さり、と、山田はつま先で畳を擦った。

「声壷は声を呑む。呑んだ声は一日一音ずつ消化される。全部消えればそいつはもう別モンだ」

 理解できない。困惑をさらに深め、渉は視線を仏壇に向けた。故人はなにも語らない。見たところで、わかるわけもないが――

「子供が無事、ということですか?」

「もしいるのだとしたら死んではいねぇよ」

 先の会話では随分と時間が勝負のようだったはずなのにちぐはぐになる言葉は、しかし絶対の音があった。それは疑問を挟ませない言葉だ。安堵すべき答えに、しかし渉は困惑から表情を変えられなかった。

 山田が静かに渉を見据える。

「体が生きていても、頭がどうなるかはわからねぇがな」

 それは会話をしまいにする合図だった。背を向けた山田はもう振り返らない。渉も言葉をそれ以上はかけず、横須賀はとりあえずと言うように小さく頭を下げて山田を追いかけた。

 といっても別に走って出たわけでもなければ、玄関までが遠すぎるわけでもない。靴を履いている山田の背に立つと、山田があのミニチュアのような壷を差し出した。

「鞄にいれておけ」

「割れちゃいませんか?」

 一応紙で包みはするが、随分と小さい。普通に歩く分には問題ないだろうがもし失念するようなことがあれば少し不安になるものでもあった。とりあえず、というように鞄の中からルーズリーフを取り出してクッション代わりにするのを見て、靴を履き終えた山田が口元に手を置いた。

「……横須賀さんに持っておいて欲しいんだが、やしろまで鞄の中でも難しいか?」

「それくらいなら、気をつけます」

「じゃあ頼んだ」

 と、と山田が少し離れてる。空いたスペースで横須賀は座りながら靴に足を差し込んだ。

 革製の靴は少しずつ履き慣れてきたが、やはりもたつく。最初に勤めたときは私服とわかりやすい格好を言われていたが今はスーツほどかっちりしないオフィスカジュアルなものを、と指示を受けているのでさすがに運動靴ではない。革製でも伸縮はする方だし紐で固定するので動く分にはそこまで問題ないが――山田の靴はスーツ用でいつも黒く輝いているので、すごいなぁとぼんやり横須賀は眺めた。履くのも手慣れている。

「どうした」

「あ、すみません」

 急がねばならないのに考えることではない。山田の声は焦らせるものではなかったが、横須賀は慌てて立ち上がった。と、と横にあった靴を揺らしてしまってまたしゃがむ。おそらく渉の靴だろうそれは渉の顔立ちと反対でだいぶ厳めしいものだ。

 横須賀が普段履く運動靴は基本的に履きやすく動きやすい、いってしまえば学生の運動靴に指定されるような白い靴だ。サイズが大きいので海外製のものが選びやすいくらいで特別なものではない。

 動かしてしまったので小さくすみませんと呟いた横須賀を山田が一瞥し、それから「ああ」と呟いた。

「それ、反対に置いとけ」

「へ?」

 ぱちり、と横須賀が瞬く。反対、の意味が分からず見下ろすと、山田がしゃがんだ。

「まあほとんど意味はねぇがな」

 と、と靴の位置が横須賀を挟んで逆側になる。反対の意味がわかり、しかし横須賀は首を傾げた。

「えっと」

 尋ねようとすると、山田が人差し指を立てる。静かにするようにというジェスチャーに頷くと、山田は靴紐の端を靴の中に入れた。

「車で行くぞ」

「はい」

 あっさり立ち上がり背を向けた山田に横須賀は頷いて、車の鍵を取り出した。ロックを解除すると、山田が助手席に乗る。

「カメラと携帯貸せ」

 いつものように後部座席に鞄を置くタイミングで山田が助手席から声をかけた。はい、と横須賀は頷いてカメラとスマートフォンを取り出す。少し壷について不安だったので、ついでに鞄の中の水筒は外に出した。

「メモはどうしますか? 整理できていませんが」

「一応借りとく」

 山田の返事でカメラの上にスマートフォンとメモを乗せると運転席に乗り直した。伸びた手にそれらを置くと、山田はカメラとメモを抱えスマートフォンに指を走らせる。

「リンさんですか?」

「電話するほどじゃねぇけどな。念の為だ」

 基本的に山田は、必要がないのにスマートフォンをさわったりはしない。だからこそ横須賀が予想できた連絡先は正しく、山田がさりさりとタップしながら頷いた。

 のぞき込み防止シールが貼られているので内容はわからないが、必要なことは山田が伝えるので気にしなくていいことだ。ミラーの確認をし、シートベルトをした横須賀は山田がシートベルトをしているのを確認するとエンジンをかけた。走行距離やガソリンは来たときにメモしているので今は必要ない。

やしろの近くだと路上駐車になる。公園に停めていくぞ」

「はい、えっと」

つち公園だ。道は俺が言う。とりあえず寺の通りに出て北に行け」

 スマートフォンを内ポケットに仕舞った山田の言葉に頷くと、周囲を確認してアクセルを踏む。住宅街ではあるがいわゆる都心の密集地帯とは別で、大抵が庭や駐車場を有した大きな家だからか人影は見られなかった。時間帯もあるのかもしれない。

「声壷は元々、山を呑んだって言われている」

 山田が平坦に声を落とす。運転に集中しながら、しかし引っかかった単語に横須賀は瞬いた。

「山?」

 先ほど渉に伝えた話では声とのことだったはずだ。山田は基本的に嘘を好まないのに、声と山では随分違う。

「山だ。声になったのはその関係なんだが、ややこしいからそう気にしなくてもいい。一応伝達はしておくってだけだな。前の仕事の時にある程度調べたことだ、横須賀さんが覚えておく必要はない。念の為の情報共有なだけだからBGMくらいに思っとけ」

「はい」

 元々横須賀はきちんと理解しようとすると、紙とペンがあった方が安心するタイプだ。ハンドルを握り直して横須賀が首肯すると、山田はシートに背を預けた。

「富泥野は元々山を削りできた村なんだが、過去に。木を切り倒しすぎた弊害って奴だろうな。大きな土砂災害が起きたらしい。村が土に喰われたように見えるほどで、そこからなんとか立て直したのが富泥野。隣の土地神がちょうど泥神どろがみで、分魂してもらったのが今から行く社にある」

「泥神」

 馴染まない言葉をむようにして、横須賀は呟いた。確か先ほど確認した中に『富泥野泥神信仰』という本があったのは覚えているが、横須賀には馴染みがない。

 昔の依頼先だから山田は詳しいのだろうが、横須賀はそもそも神仏も怪異も詳しくないのだ。だから、聞く度どれもこれも不可思議に満ちてしまう。

 ただ、泥という言葉は、過去に見た事件を思い出す。溶けたそれを浮かべた横須賀は少しだけ顔をしかめた。

「泥って言うとネガティブな印象もあるが、富泥野って名前の通り栄養のある土ともとれるわけだ。まあ畑にとってはあんまり泥になられても困ると思うが――泥神については豊穣、再生、循環といった形で信仰されているから復興支援のひとつとしておかしくはない。……次の信号右だ」

「あ、はい」

 山田の言葉に頷いて右手側に意識を向ける。あまり車の通りも多くなく、見晴らしがいいので運転自体はそう難しくない。

「ただおかしくはない、が、富泥野に分魂された理由の主たるものでは無かった。泥に呑まれたともいえる富泥野に対して奇妙ではあるが、当時土砂災害が起きた理由を『山が戻りたがった』としたらしく、その山を泥神が呑んでくだされば、というのが始まりだ」

「山を」

 さきほどの言葉とつながり、横須賀は小さく復唱した。横須賀の地元には大きな山がある。特別意識することはないがあることが当たり前で、おそらく先人が山を切り拓いたということはわかるもののその山を呑む、という発想はなかった。

 地盤の堅さの影響もあるのだろうか。信仰なのでそれらが本当になされるかどうかは考えずとも、強大な山に対し大胆な考え方だと思う。

「泥神は豊穣、再生、循環だが、同時に循環させるには物がいる。贄と考えるべきかそれとも材料と考えるべきかは不明だが、山を呑んだ泥神が富泥野に豊穣を与えるだろう、という形で話は終わっている。声壷はその泥神の分魂だ。……次、Y字路を左」

「はい。えっと」

「進めばわかると思うが」

 戸惑うような横須賀に山田が答える。これ以上説明はしづらいとでも言うような語調に、いえ、と横須賀は肩を竦めた。

「道じゃなくて、その、声壷、が。わからなくて」

「ああ」

 そっちか、と頷いて、山田は息を吐いた。Y字路が見えるとそれだ、とだけ答えてから、横須賀が曲がるのを確認してまた口を開く。

「山を呑む泥神の土で作った壷。それが分魂の形だ。そしてここらへんがなんというかおとぎ話らしいっちゃらしいんだがな、『やまびこ』の声なんだと」

「やまびこ?」

「声に対して声が返る。その返る声が山のものだった、という考え方だ。山には物真似を楽しむなにかがいて、そいつが声を出していた。真似る声がなくなればさみしくて山が戻りたがる。泥神が山を呑んでいても、その中で暴れられたら迷惑だろう。だから定期的に声を呑ませた。それが声壷だ」

 こくり、と横須賀は頷いたが、しかし横須賀にはいまいち理解がしきれず戸惑いがそのまま残った。物語はわかるが、これからどうすればいいのかがわからない。声を呑まれている子供がどうなっているのか、どうすれば助けられるのか。

「看板があるだろ、そこの道右だ。駐車場がある。そこからは歩くぞ」

「はい」

 道に対して頷くには随分と神妙な声に、山田が苦笑した。大丈夫だ、と漏れた声に横須賀が瞬く。

 ウインカーを右に。曲がり出したところで、山田が息を吐く。

「歩きながら説明する。俺一人だと面倒だったが、横須賀さんがいるなら問題ない。――頼むぜ、

 幾分か悪戯っぽさを含む穏やかな声に、横須賀は眉を下げて笑った。

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