1-1-9)富泥野泥神信仰

「それで全部か?」

「あ、これを入れてしまえばあと一箱です」

 入った瞬間問われて、渉は反射のように声を漏らした。不意打ちに驚いたようにした表情を、すぐに穏和な表情に戻す。

 わかった、と答えた山田はそっけない。

「先に見ておく」

 つい、とあっさり顔を段ボールに戻した山田の言葉に渉が頷く。それからおずおずと立ち上がった横須賀を仰ぎ見た。

「運びます」

 眉を下げて申し訳なさそうに横須賀が言うと、渉が少しだけ苦笑する。お願いします、と言って渉はするりともう一つを運びに戻っていった。

 外から中に運ぶだけではあったが手間がひとつ減ることは事実だろう。横須賀は急ぎ足の後ろ姿を横目にしながら、段ボールを抱える。

 重い。ガムテープを二重、三重にしているあたり底が抜けないように気を使ったのだろうが、持ち手を持ったら手を痛めそうだし、強度的にも不安になる程度の重さだ。

 山田は先に入れていた箱を開けていた。そちらの中身はどちらかというとかさばる物のようで、あまり重くなかっただろうということが横から見たガムテープの量でもわかる。

「俺が出したもんを確認しろ。前の重要物は向こうだし見てどうともなかったものの方が多いからな、無駄だ」

「はい。えっと、こっち開けておきますか」

「頼む」

 山田の言葉に頷いて横須賀はガムテープを外した。べりべりべり、と剥がれる音を聞きながら、ガムテープに従って段ボール紙が少し剥がれてしまうことに身を竦める。

 綺麗に蓋をしめられていたものを汚してしまうことは、随分と申し訳ない。

 開いた段ボールの中身はA4サイズの黒い日記帳。厚さはさほどなく、一年ごとのもののようでもある。それとこちらもA4サイズのファイル。開きはしなくとも厚さからしてリング式の丈夫なものだとわかる。

 それとなにか円筒のものも入っていた。横須賀から見ると保存用のお茶缶に見える和紙柄のものはなにかわからない。

「横須賀さん」

「あ、はい」

「これの文字以外のページは全部写真で撮っといてくれ。文字のページは五七ページと五八ページだけ撮れ」

 とん、と差し出した物は和綴じの本だ。もういちど「はい」と頷いて横須賀はそれを受け取る。タイトルは『富泥野泥神信仰』。

 とんとんとんと物を取り出す音が一定のリズムで響く。本を渡した山田が確認作業に戻ったからだが、全体的にあまり長く眺めていないのだと分かる音だ。端にその様子を見た横須賀は、受け取った和本の綴じ紐を撫でる。

「なにか気づいたらメモしろ、なんでもいい」

「はい」

 横須賀を見ずに投げられた言葉にもう一度頷いて、横須賀はメモ帳にペンを立てた。横須賀がわかることはあまり多くないが、書けることがない訳ではない。

 横須賀には山田のような知識を持たないが、見ることはできるし、山田は横須賀が知ることを求めている。

 和綴じの紐は元々切れやすい。洋本の強度と和本の強度は別で、紐である故に切れても修繕がしやすいメリットがある。今手にしている本は、切れてはいないがが捻れており、おそらく何度か結び直しただろうねじり癖が目立つ。自分で結べる程度には馴染んでおり、しかし癖を隠そうという結び目には見えないので専門ではないのかも知れない。

「これが最後です」

 渉の声にびくりと横須賀が体を揺らす。不思議そうに横須賀を見下ろす渉に、山田はめんどくさそうに手を振った。

「気にすんな、集中してただけだ」

 自分のことでもないのに言い切った山田に頭を下げて、横須賀はもう一度本に意識を向けなおした。渉の持ってきたもう一つは、山田が同じように確認するだろう。先ほど横須賀が開けた物も同じくだ。

 和本の状態はあまりよくない。段ボールに入れっぱなしなら当然かも知れないが、幸い虫がいる様子はなかった。元々の日数による劣化がある程度だろう。日光などに無頓着なら紙がぼろぼろに零れ崩れてしまうが、そういうひどい焼けはない。

 まず紙の状態を確認しきると、横須賀は鞄から付箋を取り出した。ぱらぱらとページをめくり、文字以外のページにノリ部分を折り込んで粘着性を無くした付箋をぽいぽいと挟んでいく。劣化していると開いたときに紙が破損するのだが、そのおそれはないので手間は多くない。

 最初から確認しきると、最後からもう一度確認。目次をみてメモを走らせて、ようやく写真の準備に入る。

 そこまでいくと山田と渉の会話が横須賀にも認識できるようになった。聞こえるようになると、それまで集中して音が途絶えていたことをようやく実感する。

 少し申し訳なさそうに身を竦めて首後ろに手を置きそうになった横須賀は、そのふらりと揺れた手をはっとしたように鞄に向けた。写真を撮ることが先である。

「コエツボはそもそも放っておく分には無害だ。関わらなければいい。だから管理者がいるだけでいいし、使い方を知らなくてもいいだろうというのが建造さんの考えだった。本来ならもっと特殊な連中が管理するもんだろうが土蔵のものになっているあたりも含めて、そこに専門性はいらないだろうという考えだ」

 とんとんとん、と連なる言葉の調子は抑揚の無いものだ。言葉のリズムも流れるもので、相手の思考を待つ時間を挟まない。

「今回面倒なのは子供が使い方を把握しているのではないかってあたりだな。子供の裏にいるやつも問題だが、子供が使ったなら現状大きな問題はそれになる。もし行った先で見つけることがあるのならおそらくアタリではあるだろう。

 コエツボについては以前あらかた教わったが、失念していることもあるだろうし向こうが説明しなかったこともあるかも知れないってので、今調べているのはその補完用だ。アンタにはしてもらうこともないし、普通に仕事してりゃいい。こっちにとってもその方が効率的だ」

「祖父が当時したことはないんですか」

 山田の言葉に、渉が静かに尋ねた。流れる言葉が止まったことで差し込まれた疑問に、山田が面倒くさそうに息を吐き捨てる。

「ある。だが陶芸家の仕事だ。あのときはそもそも壷がイカレていたから余計な手間があった、ってやつだな。今回は盗まれただけだしそう気にしなくていい。

 正直、無くなっちまえば楽っちゃ楽なんだがな」

「無くなってしまえば、って」

 困惑するような渉の言葉に、山田が小さく鼻を鳴らす音。

「あっても面倒だ。今回みたいに盗られることだってあるだろ、本当なら無くていい物なんだよあんなもん」

 カメラのシャッターを切ると、どうしても音が鳴る。狭い室内では会話を遮ってしまうようで申し訳なくなるが、仕事として指示されたのだから仕方ない。

 合間合間に紛れる音を二人が気にする様子はないのだが、ついつい身を竦めながら横須賀はページをめくった。

「じゃあなぜ壊さなかったんですか」

「説明が面倒だ。今教える話じゃない」

 渉の疑問に、ぴしゃり、と山田が言い切る。本のページをカメラに収めながら流し聞く声は、横須賀の思考にまでは足りない。メモも取れないので横須賀が覚えていられることはないだろう。

 それでも時折聞こえてくる音は、なにも意味を為さないわけではない。

「終わった後話すこと、今話すこと、話さないこと。それらの選択はこちらでする。アンタが突っ込んで聞きたきゃ聞けばいいが、時間は有限だってことだけ忘れるんじゃねぇぞ」

「はい」

 釘を差すように言葉を重ねた山田に、渉は頷く。それ以上渉は言葉を続けなかった。さり、と段ボールをなぞるような音が響く。

「コエツボの為にある程度建造さんは残してくれていたし、向こうに行けばなんとかはなる。今やっているのは不備がないか見ているってところだ。アンタが一番知りたいだろう子供の安全は、見に行かないとどうしようもない」

 付箋を抜いて手の中に入れながら、横須賀はさりさりとページを減らしていく。地図、配置図、壷や地層の図。理科か地理の教科書でみるようなかたちのそれらは、おそらくそこまで古いものではないのだろう。旧字体ではあるが、読むことに支障がでるほどのものでもない。

「……ああ、これだな」

 ぽつ、と落ちたのは山田の声だ。畳を擦る音と、ややあって段ボールの動く音が響く。

「土蔵さんはコエツボの文字、知っているか?」

「え?」

 問いかけは、丁度横須賀がカメラを一度床に置いて本を抱え直したタイミングだった。文字、という言葉に一度山田の方を横須賀も見てしまう。特に山田はどうとも反応しなかったが、それでも最後の作業が終わっていないので横須賀は慌てて手元の本に意識を向けた。付箋の漏れが無いかの見直しである。

「音声のセイに、壺はそのままこの壺を示す文字だな。声壺こえつぼ。声を呑む壺と言われている」

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