1-1-4)遺品整理
* * *
線香が香る。遺影にあるのは眉間に皺を寄せながら口を引き結ぶ男の顔だ。その険しい顔には先ほど会った依頼人の顔が重なりそうで重ならない。依頼人は故人の孫らしいが、眉を下げて笑う表情は穏やかで写真の顔と比べるのは記憶の中だけでは難しかった。
写真に少し会釈をして、横須賀は手を合わせた。祖母の部屋に上がらせて貰う時は基本的に仏壇に挨拶をしたので横須賀にとって仏具はそこまで遠いものではない。しかし、それだけでしかないとも言う。特別どうという思い入れがあるものでもなく、故に作法に馴染んでいるかといったらまた別である。
特に鈴の音を鳴らすことを、横須賀はあまり得意としない。大きい音が出過ぎないようにと気にしてしまうせいか、音が小さくなってしまうことがあるからだ。だからいつも、少しだけ緊張してしまう。
それでもなんとか今回はそれなりの音を鳴らすことが出来たと言えるだろう。横須賀がほんの少しの安堵を乗せて強ばっていた肩を下ろすと、襖の開く音が響いた。
振り返ろう、と思った視界で炎が揺れる。やや動いた体の軸をもう一度仏壇に戻して慌ててろうそく消しをあてがうと、畳を擦るような足音が三度控えめに響いた。
「わざわざ有り難うございます」
声の場所はおそらく右後ろ。先ほどの三度よりも近い場所で、やや長く畳を擦る音が鳴った。おそらく、山田が仏壇から依頼人に向き直ったのだろう。
「いえ、こちらこそお声かけくださり有り難うございます」
山田の声を聞きながら横須賀も振り返れば、依頼人である
「すみません。なにせ仕舞いっぱなしで」
渉の言葉に、いえ、と短く山田が返した。節ばった細い指がかりかりとガムテープを引っかく。
ガムテープの下には表面が破れたような跡が少しあるようだった。段ボールの角はやや凹んでおり、畳に色が移る様子がないことから黒ずんだ汚れはあくまで染み付いた跡のようだとわかる。
ビ、と、ガムテープが蓋から剥がされた。テープに引きづられるように段ボールの表層部分に当たる紙がぺらりとめくれる。
中をみた渉は、よかった、と小さく呟いた。
「こちらです、ご確認ください」
「承知しました」
山田が段ボールの中を覗き込む。それを少し横で渉が眺め、二人を横須賀は見比べた。段ボールの中でわかるのは、紙の束と新聞紙の固まりだ。
「開けさせていただきます」
す、と山田が一つの新聞紙の固まりを手にして渉に告げた。はい、と返った穏やかな言葉に、山田はさりさりと新聞紙を剥がす。くしゃくしゃに丸められた新聞紙の音はよく響いた。
そうして中から出てきたのは、十五センチほどだろう器だ。横須賀は詳しくないのでわからないが、陶磁器というよりも教科書で見た土器を思わせる色をしている。横須賀の生活ではあまり馴染みのない外見のそれに、山田は「確かに」と呟いた。
「こちら土蔵さん――
「ええ。私の家では管理が出来ませんので。父にも確認しました。そもそも遺品整理は亡くなったときに終えましたし、七回忌までここにあるものです。名義も一応私になっていますので、どうか受け取っていただけると助かります」
穏やかに渉が告げた。ええ、と短く頷いた山田は渉をじっと見ている。するり、と渉の瞳が向かって左下に逸らされた。
沈黙に、言葉は続かない。
「他に」
「え、あ、ああ。足りませんでしたか?」
山田が沈黙を押すように言葉を落とすと、渉が少し声を震わせた。え、という音は意外と言うよりも反射に返しただけの音に聞こえ、続いた「ああ」は聞かれたことを理解したようなものに聞こえた。というより、横須賀が平時焦った時に出す音がそれに近く、ぱちくりと瞬いた横須賀は、足りない、という言葉を内側でなぞる。
「足りない、ですか」
山田の呟きは横須賀の思考を音にしたような色があった。返事ではなく復唱。は、と息を漏らした渉は、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。ずっと管理出来ていたわけでもなく」
「さすがに新聞紙にくるまれているものを、開けもせずに確認し切れませんよ」
言い訳のような言葉が続く前に、山田が静かに告げた。あくまで穏やかな語調は、その見目とちぐはぐなようで存外見合っている。
あ、と声を漏らした渉に、山田は息を吐いた。
ため息と一緒に一度下がった頭が、ぐ、と持ち上がる。サングラス越しでも射抜くように渉を見据える山田の眉間には、大仰に皺が寄っていた。それは感情が表出してしまったと言うよりも伝える為のもので、渉がほんの少し畳で膝を擦る。
「アンタが言わないならこっちがわざわざ聞き出すことも引き受けることも必要ない。これだけ貰って帰ってもいい、いっそ貰わず帰ったって問題ネェんだ。俺にとってこれ以上の意味はない」
静かに区切るようにしながら、山田が粗野な言葉で言いきった。先ほどの穏やかな語調と反対な言葉は見目からするとそのままで、しかし見合うというよりも背筋が伸びるような、強い色がある。といっても言葉遣いからすると当然かもしれないが――それ以上にはっきりと追求する色をもった声に、渉は目を閉じた。
肩が上下に揺れたのは、音にならないため息にも似ている。山田はそれ以上言葉を続けない。
「……すみません。どうすればいいか、迷っていて」
「アンタが事務所に来るか?」
「いえ、ここで大丈夫です」
言葉の後、渉が顔を伏せた。手を組んだ親指同士がすり合うように三度互いに互いの上を交互に撫で、それから固く白む。
「ここじゃないと意味がないんです。ただ、お話しといってもなにを、と思ってしまいまして」
「無駄だと思うものもそのまま順繰りに。話しづらいわけじゃネェんだな?」
念を押すように山田が尋ねると、はい、と渉は頷いた。
言葉を続ける前に山田の視線が横須賀に向かい、顎でやや上を示される。それが自身の胸ポケットあたりだろうと判断した横須賀は、メモ帳を取り出した。山田は横須賀に浅く頷くと、渉に再度向き直った。
「依頼については内容を聞いてから。まずは貴方の話を聞かせてください」
「はい、有り難うございます……ああ、そうだ」
渉がふと顔を思いついたように声を上げた。片眉を上げて見返す山田に、ゆるり、と渉は笑う。
「お言葉使いはお好きにしてください、お気遣いすみません。年齢もお気にせず」
おそらく言葉遣いは山田が敬語に戻った故だろう。横須賀は渉の歳を知らないのでそうなのか、としか思わなかったが、年齢との言葉に山田が面倒くさそうに息を吐いた。
「……言葉は必要だと思ったものを勝手に使っているだけだ。俺も他人がどういう言葉を使おうとどうでもいいが、一応言っておくと俺はアンタより歳上だ。勝手な気を回す必要ねえぞ」
山田が言葉を崩しぞんざいに答えると、渉は不思議そうに山田を見下ろした。頭の先から座っている膝下あたりまで渉の視線が動いた後、ああ、と声が漏れる。
「それは失礼を。お顔色が見えませんので間違えてしまいました。失礼ですがおいくつで?」
「三十八。連れは若いが、仕事にゃ問題ネェ。話すに足りないなら帰るがな」
連れ、との言葉で渉の視線が一度横須賀に向き、山田に戻る。小さく揺れた唇はなにか口の中で呟いたことを教えるが、しかし声にまではならない。
ふ、と、渉が眉を下げて笑んだ。
「私も判断が出来ないことなので、お手数おかけします」
「いいからさっさと話せ」
山田の物言いは雑だが、それ以上ではない。さっさと、という割には焦った調子もなくただそれだけの言葉に、渉が頷く。
「順番に、といってもとっかかりも順序も私の中でまとめきれていないので前後したりするとは思いますが、お言葉に甘えます。
その箱は七回忌前に一度確認しました。――そして今、その中の一つだけ行方知れずなのです」
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