1-1-16)雨降り

 * * *


「有り難うございました」

 丁寧な一礼。朝から、これで八度目だ。礼を直接受ける側ではないのだが、それでも一緒にした仕事なので横須賀も無関係ではない。だからこそその所作の度に横須賀はどうすればいいかわからず、返礼になりきらない半端な会釈を返していた。山田に至っては、「何度も不要だ」と最初に言っていた言葉すら言わなくなっている。

 ある意味どうしようもないものの代わりに、山田はため息を落とした。短いが意志を持ったそれに、渉が顔を上げる。

「そっちの仕事をしてくれればそれでいい。こっちはこっちでやる」

「よろしくお願いします」

 上げていた頭がもう一度下がる。神妙に言う渉の隣で、重幸が「お願いします」と頭を下げた。それを受け、山田はやや大げさに肩を上下させる。

「物好きなのはいいが、警察関係はきっちりしろよ。してなけりゃすぐわかる」

「はい、わかっています」

 重幸の視線が、渉に向かった。渉が眉を下げて笑む。盗られ、気遣いを袖にされてもまだ子供を思うのは渉の人柄だろう。

 山田はその点を物好き、という言葉で重ねる以上はしなかった。横須賀は元々どうしようもないので、その優しさに少し安堵するだけだ。渉が重幸の話に心を傾けなかったらこの先は無かった。

「連絡はするが、期待はするな。準備の時間は最低限かけるし、俺たちは警察じゃない。ただの探偵、ほとんど個人仕事だ。自分たちの安全が第一であることに変わりはない」

 最後に、というように再び重ねられた言葉に、渉と重幸が頷く。おそらくこの言葉は重幸に言い聞かせるものだったのだろう。重幸の首肯を見た山田は、とん、と床を爪先で蹴った。

「土蔵さんに貰ったモンはこっちで管理する。後はそっちの仕事だ」

「はい、有り難うございます」

 今度の一礼を山田は見きることなく、体を反転させた。そのまま玄関の扉を開く山田に、横須賀は慌てて二人に頭を下げる。

 先ほどまでの半端な返礼ではなくきちんと下げる形ではあったが、意識が山田に向いているためか体の姿勢は半端だった。言葉のお辞儀と一緒に出たので、礼儀としてはあまりよくないものだろう。どうしても所作がごっちゃになってしまいやすい横須賀はそのまま眉も一緒に下げたが、置いて行かれまいとすぐに顔を上げる。

「よろしくお願いします」

 渉の言葉に横須賀は少しだけ肩を竦めた。山田に先ほど向かった言葉が再び自分に来ることは少し落ち着かない。

「がんばり、ます」

 半端に出た言葉は少し返事にしては浮いている。それをごまかすようにまた会釈をすると、横須賀も慌てて外に出た。

 当然と言えば当然なのだが、車の鍵は横須賀のため山田が腕を組んで待っている。

「すみません」

「とっとと開けろ」

 顎で示されて鍵を開ける。乗り込み準備をする横須賀を置いて、先に山田がシートに背を預けた。トランクに詰めた遺品の隣に、横須賀の鞄を置く。

 鞄の中には土蔵から貰った木工細工がある。出しておくべきか、と少し悩んだ横須賀は、山田が入れておけと言ったのみだった為結局そのままにしておくこととした。

「念のため携帯出しとけ」

「はい」

 鞄から携帯端末をとりだし、乗り込んでいた山田の隣に座る。おそらく今回の件でリンから連絡がくるかどうか気にしているのだろう。山田に端末を渡すと、横須賀はシートベルトを締めた。

「約束通り外に出なかったみたいだな」

「靴、そのままでしたね」

 山田の言葉に同意を示すように横須賀が答える。とりあえず、という形で確認しただけで写真をとったわけでもないから絶対とは言えないが、特に変化はなく思えたからだ。

 ああ、と山田は頷くと視線をバックミラーに向ける。つられるように横須賀もそちらを見るが、植木があるだけで特になにか変化があるようには見えなかった。

「床の跡で見たからほぼ確実だな。他の靴も動いた様子はない。まあ靴箱のもの使えばわからねぇけど、出ている靴が動いていないんだ。客が来ても多少は動くだろうし、どちらも無しだろうな」

 そこまで横須賀は確認していなかったので、とりあえず、の体で頷いた。ただの確認でそこまで神経質にならなくてもいいとは思うが、と続けながらも、山田は息を吐く。

「もしそれすら気にしたのならさすがにわからねぇし、その方が意図が出来るから絶対とは言わない。けどまあ、正直住職に気をはっても意味はねえと思う。あの人に聞いて答えが得られるとは思わないが、なにかするような人でもない。一度顔を見て確認してもいいが、それだけだ」

「寄って行きますか?」

「いい。引き出す情報も理解も足りない。問題があった場合、せっついていいかも含めてだな。問題がなかった場合はそれもそれ。この件は俺が直接よりリンの方面に任せてひとまず帰る。――予想外に時間を食っちまったしな。運転大丈夫か?」

 ふと山田が横須賀を見上げる。渉に説明をして諸々確認をした為、帰りが遅くなるからと半ば強引に宿泊させられた翌日だからだろうと判断し、横須賀は頷いた。

「大丈夫です。ちゃんと、寝ました」

 少しだけ山田は眉をひそめたがそれだけだった。握っていたハンドルから手を離し、つい、というように横須賀は自身の首後ろに触る。山田は一泊程度とシャワーも借りなかった。それに比べれば休めた方、だと横須賀は思っている。

 ただ、横須賀は元々寝付きが悪く朝になる前に何度か目を覚ましてしまう癖がある。昔に比べれば随分とよくなった方であるし幼い頃からずっとなのであまり気にしてはいないが、山田と同室だったので山田は気づいたのかもしれない。

 眠りが浅いだけだと考えているし、そもそも山田も気づく程度には寝ていないのではと思うのだが――おそらくそれもあって、山田は眉をひそめるだけで終えたのだろう。あまり深く気にしないことにして、横須賀はハンドルに手を置いた。それに考えてみれば、以前と比べて山田に寝ないという選択肢が無くなったことはいい傾向にも思えた。

「えっと、じゃあ、帰りましょう」

「おう」

 来た道を帰るだけなのであまり難しいことはない。地図を確認して、横須賀は車を動かした。隣の百戸森まで入らないが、山沿いを走るときにその近くを通る。狭い山道なので地域性のようなものはほとんどなく地図で判断する程度だが、重幸がそちらから来た、ということが少しだけ意識を傾けさせた。

 ぽつ、と窓に滴が落ちる。

 つられるようにぱちり、と瞬いた横須賀は、前方を注意しながら内心で首を傾げた。天気予報では特に雨となかったはずだ。山田も気づいたのか、眉をひそめたのが目に入る。

 山田は雨に濡れるのを好まない。といっても天気予報が外れることはよくあることだし、車内に傘もある。山の天気なので下れば止んでいるかもしれない程度のものなのでいぶかしむほどではないのだが、それでも空の色が明るい雨は珍しい。それも降り始めとはいえ、粒がだいぶ大きい。

「予報になかったんだがな」

 横須賀の思考をなぞるように、山田がひとりごちた。ゆっくりだが、雨足が強くなりそうな降り方だ。雨の匂いもしない気配無き雨は、その形と音ばかりがはっきりと主張を繰り返す。ぼた、ぼた、ぼた。ガラスを叩く低音がよく響く。

「気をつけろよ」

「はい」

 雨は視界が悪くなる。来る途中車の通りは少なかったが、そういう場所ではスピードを出しすぎる車も多い。山道特有のカーブや道の狭さは、慎重に慎重を重ねても危ういものだ。

 幸い今のところ霧の気配はないが、濃霧になれば来る途中のカーブが少し怖くも思えた。帰りは下りだからよけい危うい。気を付けはするが、細道の曲がる箇所も間違えかねない。視界が悪くなる前に早く帰らねばという気持ちと、すぐ止むのではないかという気持ち、焦ってなにかあってはと考える気持ちがない交ぜになって横須賀はハンドルを握り直した。今の内なら、心配するほどでもない雨量だ。そう宥めて息を吸う。

 しばらくラジオで確認していた山田は、スマートフォンに切り替えたようだった。天気は悪くないみたいだけどな、という呟きに横須賀は頷き返す。

 昔と違ってネットを使えば現状の天気が把握しやすくなっている。この山中まで詳細は難しいかもしれないが、それでもある程度範囲は狭くわかる。他が問題ないのなら、通り雨程度のものだろう。

 あまり山田は端末を確認しないタイプなのだが、リンからの通知がなくとも天気の関係で気になるのか、珍しく手元を何度か確認している。そうしてからややあって、あ、と小さな声が響いた。

「どうしました?」

 納得と言うよりはだろうな、程度の色だろうそれに、横須賀が尋ねる。投げかけるものではないので天気や交通ではないだろうという予想は間違っていないのか、山田は端末をしまって苦笑した。

「電波が消えた」

「ああ」

 先ほどの山田と同じように、横須賀も短く頷いた。車を走らせた分、人の気配はしなくなっている。電波がなくとも驚くよりも仕方ないという程度の納得だ。

「天気が読めないのは面倒だが、きつくなったら言えよ。戻るか進むか微妙になってくるが、無理する前に考えた方がいい」

「はい」

 不思議なことに、雨足は進んだ分強くなって言っている。山田の気遣いに頷きながら、進む先の雲が黒いことに気づいた横須賀は慎重にハンドルを切った。


 ――このときすでに、きっとは始まっていたのだろう。大粒の雨は、はっきりと二人の視界を遮りだしていた。


(第一冊目 第一話「呑み壷と綴じ蓋」 了)

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