第二話 此度、探偵宿泊につき。

1-2-1)百戸森

 予定外と言うべきか予想通りと言うべきか、雨足は悪化するばかりだった。ばだばだと可愛げのない雨音がやかましく、せわしなく働くワイパーも先を見通すには足りない。未だに霧が出ないことは横須賀にとってまだ幸いと言える部分だったが、その霧が無くとも見えづらいほど視界を嵐のような雨が覆う。

「あれ?」

「どうした」

 それでも目を凝らしていた横須賀の声に、山田が短く尋ねた。横須賀が車を気持ち端に駐車させる。

 雨とワイパーの隙間でなんとか見て取った前方には、封鎖の案内があった。降りずともかろうじて読める程度のそれには、土砂崩れを警戒する為の通行禁止案内らしきものが書かれている。

「通れないみたいです」

「迂回するしかねぇが……急の雨だっつーのにそんな簡単になるのか」

「俺の地元は地盤が固かったので、普通はどうかわからない、です」

 横須賀の言葉に山田はふうんとだけ返すと、地図の上で指を走らせる。だいぶ遠回りになるもののもう一本の細道をいけば動けるかも知れないが、舗装があまりされていない道を通ることになる。確か、そちらは百戸森もどもりだ。

「行けそうか?」

「そちらも封鎖になっていなければ、ですが。それに、そこ以外だと一度戻らないとですよね」

「ああ」

 山田が渋面で返す。土蔵の元に戻ってもこの雨なら受け入れてくれるだろうが、しかし距離からして戻るにも進むにも半端な距離だ。電波が通じてた段階では他の場所の天気は悪くなかったようだし、この距離なら進みきってしまっても、と思わなくもない。

 それでも、風も雨も随分と強い。ともすると木が障害になるだろうと思うと、少し躊躇いもする。

 ただ、戻ったところで夜になったらもう一度泊まることになってしまうだろうことはわかる。そうすると一日だけだからと風呂を借りなかった山田のごまかしが二度目では難しいのでは、という不安もあった。

 今は以前よりも性別を隠す切迫した事情がないとはいえ、それでも山田は山田であることを選んでいる。せめて宿泊施設なら利用しても気づかれないという状況になるだろうが、個人宅ではさすがに問題も多いだろう。――やや考えた横須賀は、うん、と頷いた。

「もしかすると木の枝とかで車が傷つくかも知れませんが、ゆっくりならこの雨でも大丈夫だと思います。細い道をそれなりに長く行くので、本道に戻る時に間違えないようにしなければ、ですけど」

「そうか。まあ運転するのは横須賀さんだし、無理じゃないなら頼む」

「はい」

 山に入って急に起きた豪雨の為、しばらくしたら晴れるかも知れない。土砂崩れがあった事実は不安であるが、山沿いとは逆を行くしこちらに禁止の文字はない。土砂崩れの場合通行禁止がすぐ解除されるとは考えにくいが、もう一方の道で雨足がひどくなりすぎた場合はいったん停止して様子を見るのも手である。どちらが可能性をもつかと言えば、後者だ。

富泥野とどのは一度沈んだって話だし、今は整備されたとはいえ地盤の緩さはそう変わらないかもしれないな。あの話で百戸森は援助側だし多少地盤がマシな可能性はある。そっちは通れるといいが」

 戻るにも危ういだろう、という山田の眉間には皺が寄っている。少しだけ開きかかった唇は言葉を形にせず引き結ばれた。こういう時、山田は怒っているのではなくなにか考えている――それもどちらかというと自分自身を戒めたり後悔じみたものがあることを少しずつ横須賀はわかってきていた。とはいえ、それを聞き出してなにか出来るわけでもない。慎重に車をバックさせ切り返しできる場所に向かいながら、音と光に気を配る。

 幸いと言うべきか山だからと言うべきかこの雨だからと言うべきか、車の方向を変えても特にすれ違うものはなかった。無事切り返してゆっくりと移動し、細道に入る。

 最初は気持ち舗装がされていたが、それは本当に少しだけだった。ぐ、とタイヤの感触が変わる。一度盛り上がったような凹凸は、土のものだろうかなめらかだった。その先はそこまで凹凸があるわけではなく、あまり泥だまりになってもいない。車の通る道程度はできているようで、横須賀は少しだけ安堵した。

 雨は激しいが、その激しさも少しずつ和らぎだしてもいた。このままいけば問題なく帰れるだろう――そう考えたのと同時かそれより少し後か、どん、と鈍い音が響いた。

 音に横須賀が体を竦める。反射のようにやや強めにブレーキかかったものの、速度はさほど出ていない為そこまで強い衝撃はなかった。

「すみません」

「平気だ」

 横須賀の謝罪に山田は短く答える。その顔は音発生源であるボンネットに向けられていた。

 横須賀のちょうど前方に乗った木の枝は、指で輪を作ったくらいの太さの枝だ。その先は割れているので、嵐に耐えきれなくなったのだろう。枝の先は分かれており所々折れているが、それが嵐のためか車に落ちたからかは判断できない。どちらにせよ、もう木から分かれてしまったものだ。

「下ろしますね」

 木が落ちたとは言え、風はあまり強くない。おそらく折れてしまっていた枝が偶然落ちたと考えるのが妥当だろうか。それ故に、待ったところで外の雨が枝をボンネットから落とすことは想像しづらく、かといって安全を考えれば走りながら落ちるのを待つ訳にもいかない。

「傘は」

 シートベルトを外しドアに手をかけたところで、山田が短く尋ねた。手はドアから外さずに山田を見た横須賀は、後部座席を見るには足りない程度の気持ち左斜め後ろに視線をやったあと、すぐに山田の顔に向き直った。

「下ろすだけですし」

 山田の視線が後部座席に向かう。やや考えるような所作だったが特に言葉を待つことなく、横須賀はドアを開けた。

 山田はきっちりしているが、横須賀はこういった時どうにもずぼらだ。後ろから傘を取り出して運転席から外に出る際に傘を差し、ボンネットの上の枝を下ろして運転席に戻るという一連の流れを考えると、どうせ多少は濡れてしまうのだし傘を差す手間を減らした方がいい、というのが横須賀の感覚だった。それに、車から出るのに濡れないように傘を差すと、車内に雨が入ってしまう。そこまで風が強くないとはいえ、山田にまで雨粒が飛ぶのは避けたかったのもある。

 横須賀は傘がない分身軽に木の枝を右手で拾うと、獣道であることを確認してわき道に投げいれた。車内の山田は少しだけ眉間に皺を寄せながらため息を吐くと、バックミラーで後続車がないことを念の為確認した。横須賀のある一面で見られる頓着のなさは山田にとって少し頭の痛いものであり――しかし、山田は思考をそこで止めた。

 

「おい」

 シートベルトを外し、山田はガラスを叩いた。気付くかどうかでいったら難しいだろうが、意外にも横須賀は体を揺らした。けれども思い至ったように反転して開けたのは後部座席だ。

「どうした」

 助手席から山田が振り返ると、濡れた髪をなんとか後ろに撫でつけて横須賀は震えた。冬だというのに横着をするから、という文句は後ろにおいてあった傘に加えて折り畳み傘も手に取った横須賀を見て飲み込む。

「えっと、人がいて」

「人?」

「傘、差していないみたいで。この雨なのに、その」

「……この山道に?」

 心配そうにする横須賀の手にしている傘は鞄から取り出された物で、横須賀の私物だ。別に止める必要はない。

 しかし状況としては躊躇うものがある。山田たちにとっては急な雨だが通行禁止が出る程度には降っているはずなのに、この雨で。

 住宅地ではないし地図に店もない。ただ少し道を行けば大きめの敷地がある。詳しく書かれているわけでもないから、一軒家だろうか。急いで帰る途中と考えられなくもないが、しかしそもそもこちらに徒歩でなにをしにきたのか。もっと言えば、横須賀がそわつきながらも走り出さない様子から対象は急いていないと考えられる。

 だとするとこの寒さの中長く外に居ると考えられるし、ならば大きな違和と言える。

 連なる思考を遮るように、ガラスを叩く音が響いた。びく、と盛大に肩を揺らした横須賀の前髪から、滴が跳ねる。

「失礼いたします」

 声に横須賀が体を反転させようとするのを、山田の手が止めた。助手席から腕を掴まれた横須賀は、少し車内の真ん中に寄りながらなんとか視線を声の方へ動かす。

 ドアの向こうに立つのは傘を差した男だ。困惑した様子の横須賀は、その顔を見て少しだけ体の強ばりを緩めた。それは男が穏やかに笑んでいるためかはたまた白髪の老齢だったからかわからないが、ある意味では横須賀らしい単純さとも言えるだろう。

 しかし、山田は横須賀の濡れた腕を掴みながら盛大に眉をひそめた。雨で濡れた黒いコートを着ている男の足下は、黒いブーツ。

「なんだアンタ」

「ああ、驚かせて申し訳ありません。わたくし、あちらにある屋敷で執事をしているものです」

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