1-2-8)死に返り

「期待、っていうか」

 佐藤が考えるように視線を動かした後、歯切れ悪く呟いた。声を潜めてきょろきょろとする様子に、音を拾う為か横須賀が猫背をさらに丸めたのが見える。

「手伝えることがあるか、というか」

「外に声が漏れない程度なら普通に話せ。聞こえなきゃ意味ネェぞ」

 山田の言葉に、う、と佐藤が呻く。椅子に背を預けたままだった山田は、ため息と一緒に体を少し前傾に動かした。

「調べてはないが、盗聴の線は薄い。ソコの編集者だかが録音してない限りな。それ以外の理由なら紙とペンを貸す」

 山田の言葉に、佐藤が顔を上げた。きょろり、と視線を動かした佐藤は、扉を一別した。

「なんで薄いって」

「部屋ごと香りが違うんだ。わざわざ変える必要がないのに匂いの付きやすい煙のあるタイプ。盗聴するならそんな香り付け必要ないだろ。屋敷の作りにしては外の声が漏れ聞こえるし、耳をそばだてたら多少は聞かれるだろうが――内容を知らなくても、誰がどこに、どの程度居たかは元々読みやすいモンだ」

 もしかすると暗闇やなにか、それこそにえを教える為のマーキングかもしれないが、山田はそこまでは言及しなかった。不安を煽って自衛を促すのも手法の一つだが、匂いを消すには風呂の後部屋に戻らないという手段しかないのが現状だ。動き回られる方が面倒だし、不確かな要素を言葉にするほどの関係でもない。

 少しだけ納得したように息を吐く佐藤に内心軽い謝罪を呟きながら、おくびにも出さずに山田は佐藤の言葉を待った。

「どこまで貴方達が知っているかわからないけど、終わるなら協力したくて」

 ぽつ、と言葉が途切れる。会話を引き継ぐ相手がいないのでどうしようもないのだが、佐藤はまだ逡巡するのかため息をついて体を丸めた。

「今回は私だと思ったの。貴方が来て救われたと思ったけど、でも寝覚めは悪いし、考えてみたら可能性も低いし、もし代わりになったとしても結局次があるし」

 ぼそぼそと、それでも聞こえる程度の音量で佐藤が途切れ途切れに言葉を連ねた。説明の足りない言葉だが、聞いている鈴木の拳は固い。矢来がどこまで知っているかについては表情が読みとりづらいのでなんとも言えないが、この二人にとっては事実なのだろう。

 さりさりとメモを連ねる横須賀を視界の端に入れながらも、山田はじっと佐藤を見る。

「私は私でいたい」

 その言葉が最後だった。やはり説明に向いていないというか、佐藤は感情と主観が一緒になりすぎるところがある。鈴木が言葉を捕捉しないのを見て、山田は椅子を指先で叩いた。

 視線が集まる。そのタイミングに合わせるように、山田は肘を自身の右膝に立てると頬杖をついた。

「俺達がここに来たのは偶然だ。関わる義理もなければ情報も無い。過剰な期待は面倒こうむる」

 佐藤の顔が歪む。抗議の声が続く前に山田は大きく息を吐いた。前提条件は言った。

「――ただ、このまま流されて終わるつもりもさほどない。編集者がいっていたように、俺たちだって長居はあまりしたくネェしな。本当に人が死ぬなら、警察沙汰も面倒だ」

 警察沙汰、という言葉に佐藤の口角が少し動いた。鈴木に関しては少し肩も揺れている。さりさりと横須賀がペンを走らせる音が響くので、二人の変化については山田の気のせいでもないだろう。

「アンタはどこまで知ってんだ」

 それでも山田は敢えて言及せず、矢来に矛先を向けた。ん、と頷いた矢来が先ほどの日記帳を開き直す。

「要点だけ言えば、十年に一度。なんでか六日間封鎖。バカみたいな定義だけど、被害者は一番単純な名前。んで、

「あ?」

 訥々と語られた言葉に山田が怪訝な声を出した。横須賀が握るペンはざりと紙をひっかき文字を書き損ねたのがわかる。佐藤が頭を抱え、鈴木は身動きをしない。

「死に返り、って俺は聞いたけど、とりあえず生き返ってるってことらしい。死ぬのは三日目の深夜、って言えばいいのかな。四日目の朝には普通に生きている。でも、死んで生き返った人間は生前とは異なる様子を見せて、色々おかしい」

 あくまで淡々と矢来は言葉を連ねる。興味のなさげな様子ではあるが、日記帳をなでる指は存外優しいようにも見えた。

 荒唐無稽といえる話を信じるだけの経験があるのかそれとも彼自身の信仰か判断できなかったが、あまりに平坦な調子は信仰や盲目、思いこみと違って見える。そのくせその指先は、日記帳を切り捨てない。

「その人間がまるでいくつもにも分かれたような思考と言葉を連ねる。人の形をしているのに、人としてうまく成り立たないような所作。それでも七日目――封鎖が終わった翌日くらいには人として成り立つ。来たときと変わらない顔、言葉遣い。屋敷で起きたことを“至上の幸福”という以外に、その時はおかしい様子を見せないって話」

「それがおかしいだけで、死んだ、っつーのか」

 夜と朝。それだけの間で起きた変化を持ってして、死ぬというのは山田にとってやや違和感があった。死んでなおまた、という形を山田と横須賀は知っている。色の失せた横須賀にあるのは後悔で、それを山田は取り除けない。

 山田の責任だと言ったところで感情は横須賀のものだ。敢えて言及できる立場ではなく、可能性として思考に引き出す程度にとどめる。しかし思い起こしても一度死んだ少年――直臣なおおみについては、そんな簡単なものではなかった。秋山あきやまが直臣をそういう形にした時すでに直臣の体は事故で破損の目立つ物だったからかもしれないが、彼の体の変化と秋山の様子を知っていると安易に情報を肯定しきれない。

 死とはもっと絶対的でどうしようもないものだ。異常な物を見て心が壊れた人々は確かにそうなる前と別人に感じる。たとえば逸見の兄も、母も、桐悟とうごも。それでも彼らは生きていた。違うもの、という言葉が、あのうろ親子を思い出させても、しかしそれとこれを結び付けるのを短慮だとも、思う。同時に、死に返りという言葉は、重ねた過去と並んで否定してしまう。

 同じではない。けれども、同じように有り得ない、と。

「俺も聞いたときは、死んでるんじゃなくてせめてあり得ても脳や心の異常とか思ったから聞いたけど、死んだ、んだそうだ」

「話だけで信じるのか」

「んー」

 山田の言葉に矢来は日記帳を手にしたまま背筋を伸ばした。ぐ、と少しだけ後ろに逸らして延びをしたあと、ふ、とその力を緩める。

「死んだがどうかはまあ置いといて、実際異常があったのは事実。肉体の死も精神の死も俺はあんまり関係ないんだよ。どっちにしろここに閉じこめられて、俺がこなかったら中山さんが使い物にならなくなってたかもしれないってのが問題で、現状もっと問題なのは俺はここから帰れなくて西園さいおん先生の生原稿とりにいけないってこと」

 淡々とした言葉は声に熱がないからこそ矢来の実感を伝えていた。他人事すぎる物言いが不愉快なのか佐藤が眉間に皺を寄せる。しかし、起きたことを事実としてそれ以上は判断しないというあたりは、山田にとってはまだ納得がいくものでもあった。

「でも個人的には死んだかちょっと想像つかないおかしなことがあった、くらいの考えではあるよ。そこはそっちのカモが知ってんじゃないの」

「佐藤よ」

 唸るような佐藤の言葉に、へーと納得とも関心とも違う抜けた音で矢来が返す。少し青ざめていた顔色の血色が怒りで赤みがさしたのでわざとなのか、それともどうでもいいのか。両方に思えたが、どちらであろうと山田には関係ない。

「で、アンタは何を知っているんだ。何かを見たのか」

 先ほどの感情で終わった会話ではなく聞き出す為に言葉を増やす。情報を引き出す際、誘導尋問のような形は誤差を生む。方向を意図して作る場合や空気のためにそれらを選ぶことはあるが可能なら避けたいというのが本来なら山田の正直な感情だ。

 しかし、このまま放っておいても佐藤はこの状況もあってかどうにもずれやすいのも事実である。

「手伝えることがあれば手伝うつもりなんだろう、佐藤さん」

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