1-2-11)百戸森における泥神信仰

 * * *


 すん、と相変わらず部屋はけむ臭い。矢来の部屋での会話で多少馴染んだとはいえ、再び自室に戻れば多少違うそれは鼻についた。

「まず、通気口やダクトについては無いとのことでわかりませんでした。見取り図はこちらです」

 言葉とともに横須賀が差し出した図面を受け取ると、山田は机の上に乗せた。あくまで方向は山田が見やすいように置かれているが、手で持たない故に矢来にも見える。

 山田達の部屋も矢来の部屋と変わらず二人分の部屋故に椅子は足りなくなるが、三人とも同じように机に並び立つことでそもそも用を成してない。つ、と横須賀の指先が一階の右上隅へ触れた。

「書庫はこちらです。利用して構いませんが持ち出しはしないでください、とのことでした。書庫の鍵は泥野さんが持っているので、声をかけてくださいと言っていました。一応、持ち出ししていないかどうか帰る時に手荷物の確認はするので、ご了承くださいとのことです」

 メモ帳を見ながら、つらつらと横須賀が言葉を重ねる。地図に触れていた手が片手で持っていたメモ帳に戻ると、リョーカイ、と山田が素っ気なく答えた。そうしてあっさり声が途切れ、横須賀は矢来と山田を見比べる。

 さり、と横須賀の手の内でメモ帳が鳴った。ふんふんと地図を見ていた矢来が、横須賀を見上げる。

「どーした?」

 矢来の問いに横須賀が小さく跳ねた。きょときょとと動く視線は忙しないが、横須賀を見上げる矢来の視線はそれにつられない。ただ真っ直ぐと横須賀をみる黒い瞳に、横須賀は背中を丸くした。

「え、っと、俺が聞いたのは以上です」

 ぺこ、と横須賀が頭を下げる。ふんと鼻を鳴らすと、山田は矢来に視線を投げた。

「で、編集者。付き合わせるんだからテメェももう少し情報を寄越せ」

「付き合わせなくても聞き出すつもりだったくせに」

「付き合わせねぇ選択を今し直してもいいな」

「ヤブヘビ」

 うへえ、と言いながらも矢来は特別堪えた様子を見せずに先ほどの日記帳と封筒を出した。日記帳は机の上に置き、封筒は机に立てるようにしてぱかりと口を開く。

「日記帳はさほど真新しい情報はないと思う、俺が信じる理由はそれだけど。んで、中山さんの原稿。守秘義務頼むぜ探偵さん」

 広げられた原稿用紙に書かれているのは小さい文字だ。原稿用紙の升目と文字のサイズが合っていないため、文字だけ縮小されて見える。右下の隅に寄った文字は焦点を合わせづらく、山田はサングラスの奥で顔をしかめるようにしながら目を細めた。

 升目の四分の一よりはやや大きいが、いっそ二文字でも四文字でも無理矢理詰めた方が良いのではないかという原稿は、しかし丁寧に升目を守られている。飛び石をおいたような文字を追うのはやや時間がかかるだろう。遠目に文字を流し見ることが困難な文字列に、山田は舌打ちをした。

「読む必要まではねぇが目を通せ」

 流石に借り物の原稿用紙を粗野に扱いはできない。その分舌打ちや物言いに自身の素っ気なさを示す色を含めて、山田はやや乱暴に言葉を吐き捨てた。受けた横須賀は相変わらず丁寧に両手で紙を受け取ると、まず指の触れた部分を親指の腹で撫でる。わかりました、という言葉と所作は横須賀の気質と文字に触れる人間性を示しているようだ。

 文字を探り拾う目は静かな影を瞳に落とし、鋭さも気の弱さもそこには乗せない。一本の線を軸に向き合う様は中々好ましいものだが、おそらく横須賀は意識していないだろう。これが本質だと感じてもまさか自分に向くとは思わなかった過去を思うと少しなんとも言えない気持ちになるが、示すには丁度良い。

「概要を聞いた方がよさそうな文字だな編集者」

 言葉を投げれば、横須賀を見ていた矢来の視線はあっさり外れた。軽薄な笑みの中で少々皮肉げな色を強くして見せた山田に、矢来が首肯する。

「中山さんの文字は癖があるからね。原稿用紙よりも普通に紙に書いた方が生きる文字だからもったいねーって思うよホント。魅力が半減。神経質っていうのもあれだけど硬質っていうか切れ味の悪いノミでガツガツ削って削って書くみたいな文字だから俺的には鉛筆のがオススメ。原稿のは人が見るからか万年筆にも遠慮があるんだよね。日記帳も万年筆だけど、あっちはペン先立てて書き込んでるから芸術的ですらあるしやっぱ原稿は惜しいよ」

「中身はなんなんだアレは」

 あえて話を逸らしたのか概要ではない部分をつらつらと上げる矢来に、山田が横柄に尋ねる。ちらりと矢来が横須賀を見たのが気になるものの、山田は矢来の答えを待った。

 見せたくないなら最初から守秘義務と言い切るだろうにそうしなかったということは隠すつもりがないと言うことだ、と山田は考えている。中身を読まねば嘘を混ぜるかもしれないが、それはあとで確認すればいい。あえて時間を伸ばしているのかと考えると面倒だが、語る表情は相変わらずのっぺりとしているものの声の調子は少し楽しげであることから悪意は少ないだろう。それらの理由で聞くだけの意味はあると判断した山田に、うーん、と矢来は間延びした声を返した。

「中身はこの地域にある泥神信仰のこと。日記帳には屋代家についてで、自分たち親戚のことも一緒に書いてあった」

 泥神信仰。予想はついていたものの改めて並んだ言葉に山田は眉を寄せた。横須賀は原稿用紙に集中して気づいていないが、おそらく改めて教えなければならない話のひとつだ。

 富泥野での話題がこちらでも、というよりは、こちらから富泥野に渡った信仰。教えなくとも横須賀は働くだろうが、以前と違い山田だけが動くという形ではない。富泥野ではなく百戸森が舞台となったこの話は、色薬と似ているが同一ではないもので、故に話すべきこともある。

「探偵さんは泥神について知ってる?」

「多少は、だ。アンタとの齟齬がわからねぇから知らないものとして説明してくれ」

「リョーカイ」

 矢来の返事は軽い。そしてまた動いた視線に合わせるようにして、山田は横須賀を見た。文字を追うだけの小さな顔の動きと視線の早さがページ末尾で和らいだところで、指先が紙を撫でる。

「デカブツ」

 文字から浮上する瞬間を狙ったが、それでもびゃ、と大きく痙攣をした横須賀は相変わらずだ。紙に力が少し入ったことを憂うようにそっと優しく持ち直し、痙攣と一緒に持ち上がった顔を山田の方向へ下げる。ぱちぱちぱち、と落ち着きのない瞬きの後、は、とようやく横須賀は息を吐いた。

「あ、すみませ、ん、えっと」

「簡単に見たんだろ、とりあえず今は良い。話聞いとけ」

「はい」

 横須賀が控えめな動きで机の端に原稿を立てた。人差し指の腹で紙の横を撫でるようにして揃え、それから持ち直す。原稿を見ていた視線が矢来に向かったところで、矢来が手を差し出した。

「ありがとうございました」

「どーいたしまして」

 受け取った矢来はさりさりと指の腹で原稿を撫でると、上から五枚ほどをまとめて机においた。ひっくり返しているが、読ませない為なのかそれとも元に戻すときの為なのかまではわからない。

「泥神信仰。富泥野泥神信仰は百戸森の泥神を分魂したものであり、その理由も土砂災害を無くすためだったので百戸森の泥神信仰とは異なる。そもそも百戸森から富泥野への分魂は、『泥神が富泥野の土地神を喰った』と言う見方もされている。ただし、この説は百戸森では受け入れられていない」

 つらつらと読み上げる声は平坦だ。あの読みづらい文字をつっかえることもなく読み連ねる様には暗記しているのではと思わせるが、あくまで矢来は原稿を見下ろしている。要点を摘むように紙をめくっては机に置き、また文字を追いながら矢来は口を開く。

「泥神信仰を思わせる昔話として、泥の中から生まれた子供を授かる話がある。昔話ではよくあるケースだ。えーっと、簡単に話した方がいい? いわゆる竹取物語的なやつで、タニシの子供だとかそういうのとあんまり変わらないけど」

「子供を授かった人間と子供がどんなやつかと最終的になにを成したか、だな」

「リョーカイ」

 読み連ねる矢来の言葉を、山田は記憶と重ねた。富泥野の泥神信仰はあくまで土砂災害を沈めるためのものだが、百戸森の泥神信仰は豊穣、再生、循環だ。

 老人、泥から生まれた子供は至極素直、最後には泥に帰る。帰った子供が寂しくないように、生まれた場所に社を建てて神として祀った。そういう矢来の言葉には、富泥野の声壷に関わるとき念のために調べたこと以上の情報はない。竹取物語では月に帰るものが泥になった程度の違いだ。

 そして、こちらは以前追っていた事件と違い、薬になるような副産物を持たない。あくまで泥が人になる、泥に帰る。

「ここらへん、もし知ってたらなんか違いある?」

「俺が知っているものと違いはねぇな。アンタが言うように、よくあるケースだ」

 山田の返事に、うん、と矢来は首肯した。さり、と原稿用紙がずらされる。

「じゃあここからかな。この物語自体はよくあるケースなんだけれど、百戸森には他にも昔話がある。曰く、崖から落ちて死んだ子供が帰ってきた話。死んだと言っても行方不明という感じで、でもまあ状況的に死んだだろうと思っていた子供が発見されたんだ。最初はろくに言葉も話せなかったし体もうまく動かせなかったのに、たった三日で元のように元気になった」

 帰った子供と三日。現状の死に返りと似た状況に、山田は顎に手を当てた。思い当たることを示すポーズに、矢来が原稿用紙をめくり置く。

「子供を発見した人間は村の有力な地主だと昔話では説明されているけど、水ヶ原大学のごう教授はさっきの昔話にあった泥から産まれた子供を授かった家ではないか、って説を出している。この説については子供が居なかった老夫婦にきたはずなのになぜその子孫がとか言われて否定されているんだけど、中山さんはこの説を真だと考えている」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る