1-3-5)スタンス

「知り合いなら無茶じゃないって感じるなら、その後話はしてみたか?」

「この付近で見かけたけどどうした、ってのは。つっても俺もなんでココにいたか聞かれたら答えづらいし、ココに入ったとは言ってないけど。簡単に話して、でもあんまり意味はなかったな。

 散歩はしてるけど最近物騒だから気をつけろよ、って言われて、それで終わり」

「また聞いてみる?」

 横須賀の問いに、板垣が一度瞼を閉じた。呼吸をゆっくりと繰り返し瞼を持ち上げ、ため息と一緒に頬杖をつく。

「警察にとりあえず話に言って、写真を見せて、まあ俺がなんでこんなのとってんだって話も簡単にして。それで俺が疑われても仕方ないとは思ってたんだけど、なんつーか、オオゴトになってんだよな。動物虐待ってだけじゃねぇ問題。警察の情報なんてほとんどもらえてネェからなんとも言えないっつーのもあるけど、俺の保護の話まで出て、この状況でアイツに聞きにいったら巻き込みかねネェかな、って思ってる。から、正直言えば嫌だ」

 は、と息を吐いて、板垣が写真を撫でる。横須賀が考えるように指先を動かすのを横目に、板垣は山田を見た。

「写真とります? 机の上、邪魔ですし」

「ああ、そうだな。デカブツ、今の配置撮っとけ」

「あ、はい!」

 山田の指示に驚いたように体を少し跳ね上げた横須賀は、慌てた様子で鞄からカメラを取り出した。別に急いだところで撮影にかかる時間など些末な差でしかないがわざわざ指摘せず、山田はわざと大仰に腕を組んだ。

「警察にその人間のことは言ったのか?」

「誰かいた、ことだけ。知り合いかもってのは言ってないです」

 ふうん、と山田はあえて平坦に返した。視線を揺らし、板垣が少し不安そうに山田を伺い見る。

「言うんスか」

「言った方が無難だろうな。いっそ巻き込んどいた方が楽だろ」

「ええー……」

 板垣は不満と困惑をそのまま吐き出すような声を出したが、山田にとってはある意味で当たり前の考えだった。隠す、ということはもし当人だった場合面倒が多い。友人だからあり得ない、という考えは山田にとって道理になっていない。友人だった場合早くに止めてやる必要があるだろうし、もし当人でなければ疑いを晴らせばいいだけだ。それに、警察の目があれば「かもしれない」を注視しすぎなくて済む。

 冤罪や被疑者に対する世間の目など、問題点は多い。だが、オオゴトになったという印象にずれが無いのなら、まずは安全という面で警察の目は便利だ。個人の生活を守るまで警察は保証できないが、その生命を守る、という点では彼らの矜持がある。

 ただそれでも、躊躇う心理を否定は出来ない。いっそ事実を知ることが出来ればと言う願望は山田のもので、その願望は相手を思うより自分勝手な感情だと、山田は重々承知していた。相手を気のせいかもしれない程度の情報で巻き込みたくない、という考えは、山田にとっては危うくとも優しさの一つでもあるのだろう。

「山田太郎案件、だと思ってるんだろ」

 板垣が吐き出した息を飲み込むようにして身を固くする。板垣の内心を山田は知ることなど無い。板垣の判断を切り捨てることは、山田太郎ならたやすく出来る。それでもその手前、一歩を促すように山田は板垣を見据えた。

「アンタたちは俺の仕事を遠巻きに知っていた。同僚との会話でこんな単語が出る程度に俺のことを気にしながら、それでも深入りはしなかった。寄稿者と関わった探偵、っていうよりも、仕事の中で聞く噂のなにがし。そのなにがしの名前を案件につける程度に、アンタたちの取り扱い記事でどっかの判断材料に使っている程度には知っていた。

 そんな扱いの『山田太郎案件』を、アンタはどう見る?」

 なあ、板垣さん。名前を最後に呼べば、固くしていた体を小さくするように板垣は両腕を体の中央に寄せた。ぎゅ、と両手を握り合わせた後、ひじを突いて手を持ち上げる。その動きにあわせて頭がうなだれ、ごちり、と両手の指の背と額がぶつかった。

 大きく息が吐き出されるのに併せて、両手が緩みその手のひらが眼鏡と額を覆った。ずりずりとずれたささくれの目立つ指先がそのままくせっ毛の髪を持ち上げる。板垣の長い呼気が終わると、やや黒く汚れた指先ががしがしと頭皮ごと髪をゆらし、吸気と一緒に頭が額から離れた。その動きにあわせて、手が机に下りる。

「知り合いって言っても、連絡先の交換もしてねぇし、出先で会って、会うとそこそこ喋る程度の奴なんです。気さくで、良い奴で、まああっちはどうかわかんねぇけど多分仲は悪くなくて、でも特別話すとかそういうんじゃねぇんでスよ」

 かちかちと、右手が机を神経質に鳴らす。リズムを取ると言うより落ち着き無く揺するようなそれは、小さく机を引っ掻き、止まる。

「……警察の前に、もう一度そいつと話してみていいですか。自宅待機って言っても、強制的なものじゃないンです。もう一度だけ、少し」

 お願いします。板垣が深く頭を下げる。横須賀が板垣から山田に視線を移し、もう一度板垣を見た後山田にほんの少しだけ頭を下げた。一礼には足りないが請うような動きに、山田は机を指先で軽く叩いた。

「情報をよこせ。最初に言ったように、こちとら明日は休む予定だ。その間に写真をツテに頼む。ついでにテメェの知り合いについても調べさせるし、ある程度目は配らせる」

 板垣が顔を上げる。山田はあくまで平坦な調子を崩さずに板垣を見据えていた。

「警察やボディーガードのような対応は望むなよ。ヤバそうなのが声かけないかとか、なにかあったら報告が来る程度だ。守ってやる、なんて出来るわけネェ。犯人だろうが関係者だろうが、もし気のせいでなければありえるかもしれないことを、あったかどうか知るためだけの目だ。そこは勘違いするな」

「……はい」

 神妙に、板垣が頷いた。契約書にも記載はしてあることだが、山田は命を賭して仕事を成すつもりは一切無い。板垣たちが山田太郎案件などと呼んでいる事件は世間で言えばオカルト的な案件であり、場合によっては心身を壊すものだ。そもそも、山田がそう言った事件をわざわざ選んでいたのは過去にあった死亡事件が原因でもある。そんな『もしも』があり得るものと関わるからこそ、山田は山田と横須賀の安全を優先する。

「確かにとは縁があった。だが、それだけだ。アンタたちがどこまで知ってるのかは知らねぇが、俺の仕事は救う為じゃ無い。関わってきただけで特別な力があるわけでもなし、言うなれば人より少し知っているかもしれない、それだけだ。

 結局、ウチの事務所は調べて見極める程度のことしか出来ない。今回の件で言うならその場所にアンタの知人が居たかどうかくらいで終いだ。それ以上踏み込むほどの材料は、アンタ達が思うよりも持ってねぇよ。こちとらしがない一般人だからな」

 一般人、との言葉に板垣は眉をひそめながらも頷いた。少し動いた唇はなにか言いたげにも見えたが、山田はその言葉を引きだそうとは思わなかった。

 警察のような公的な使命も、ボディーガードのような身体的能力を商売道具にすることも、もっと言えば霊媒師などといった特殊なものと対峙するだけの能力も無い。山田探偵事務所の人間は、ただ調べ、関わり、判断を下す。手順があればそれを成し、関わる人間がいれば見極める。誰かを守るにも何かを裁くにも足りない、極普通の人間達だ。

 山田が山田の基準でもって判断を下しても、誰かの為に決断をすることは無い。それは山田太郎という人間には、過ぎたことだ。

「……まあ、知っている分は少しだけ判断が出来るとこはある。アンタの知人が関わってなければまず問題ない。もしそのときに何かあれば警察に情報を渡して、その誰かがアンタに害を成す可能性をつぶせりゃ十全。もしアンタの知人が関わっていた場合はアンタに報告するのと警察にだな。それと、場合によってはアンタの知人を保護出来りゃ上等。あくまでその根っこはウチの事務所の仕事じゃ無い。それでもいいならしばらく付き合ってやる」

「十分です、よろしくお願いします」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る