1-3-6)その名前は

 山田の言葉に板垣がもう一度頭を下げる。山田は写真をまとめて受け取ると枚数を確認し、横須賀に渡した。鞄にしまうのを横目に横須賀のルーズリーフを取り出すと、そのまま横須賀の前に置く。

「メモとれ。とった内容は写さなくていいが念のためカメラで撮ってからソイツに渡せ」

「あ、はい」

 別段山田が書いてもいいのだが、口頭ですむ場合は横須賀に任せた方が早い。書く速度自体はそれなりに問題ないが、山田太郎としての文字を書くのは神経を使う。

「当日やることは最低三つ。一つ目、知り合いと会って当時について改めて確認。二つ目、知り合いに嘘がなさそうなら警察が関係するかもしれないことを先に伝えること、嘘がありそうだと判断した場合はなにか変化がないか知り合い及びその周辺への聞き込み。三つ目、どういう結果であれ警察への報告」

 山田の言葉を横須賀が一つずつ書き連ねる。板垣が頷くのを見、横須賀のペンが箇条書きを並べ終えたところで山田は机を一度鳴らした。

「明日は休みだ。その間にツテに依頼するが、時間がネェしそこまで期待するな。もう一日休んでもいいんだが、先に確認した方がいい案件だろう。最低限の情報だけ持って、明後日に行動する。急だしツテへの依頼含めて割り増し料金は取るぞ」

「大丈夫です」

 ちらりと板垣の視線が書類に動いたが、すぐに頷いた。割り増しと言っても書類に書いてある範囲はそこまで大きくなく、それ以上になれば先に確認する旨も記載してある。横目で書類を確認する速度は迷いがなかったので、該当個所をある程度記憶する程度の頭はあるのだろう。職業柄かもしれないが、その点無駄な心配をしないでいいのは山田にとっても楽だ。

「メモはそれだけでいい。写真撮ったら渡しておけ」

「はい」

 横須賀がデジタルカメラでメモを撮影して写り具合を確認する。問題なく撮れたようでメモが板垣に渡されると、山田はそのメモを雑に見やった。

「それは身につけとけ。なくすんじゃねぇぞ」

「はい」

 板垣は頷くと、財布にメモをしまった。ポケットに入れてしまってもいいとは思うが、そのまま洗濯に出す真似をされがたいだろう財布のほうがまあ安全ではあるだろう。ほとんど意味のないことに近いが、山田は静かに息を吐いた。

 メモは単純な安全保障だ。悪い結果になるか良い結果になるかはわからないが、以前の三浦のように異常があった時、その原因への注意勧告になる。

 三浦のケースで言えば誰かが関わっているからと考え周辺の行動を無くしてしまったかもしれないという危険はあるが、同時に切迫した状況でなければ知り合いと約束があるのならその日を避けるかもしれないという危ういお守りじみたもの。今回は先に警察が関わっている点から動きやすいので、もし前者の悪い結果になっても動く手は多い。判断には危ういが、かといってなにかが起きるかもわからない段階で情報がなにもないまま明日無理に動くよりは一日空ける方がマシ故の念のための保険であり、そのメモに偽装がないことを証明するための一応、でしかない。

 万が一を考えすぎても無意味だ。ある程度の取捨選択をするしか山田にはできず、切り替えるように板垣を見据える。

「今確認しておくことも三つだ。一、知り合いの名前、わかってるなら職業だとか年齢とかの情報もだな。二、知り合いと会う場所。三、板垣さんが警察に話した内容。他になにか思いつく範囲でいいから説明しろ。録音するから書き出す必要はない」

「はい。えっと、知り合いの名前は田中花。歳は二十五で、仕事はインストラクターですね。バイトしながら劇団やってて、イベント関係のバイトもしてるやつです。俺が出入りしている地元のラジオ情報局でちょいちょい会うくらいなんで、個別の連絡は知らないんスけど。劇団とこは邪魔すると悪いから、会いくならインストラクターやってる時が無難っスね。たまに帰りに会うことあるんで、終わる時間帯はだいたいわかります」

 つらつらと板垣が羅列する言葉を、横須賀は素直に聞いている。親しい人間が相槌を打つのなら特別山田が反応する必要はなく、寧ろその内容が下手に変わらないように山田は無感動にそれを見やっていた。

 横須賀の反応は、『聞く』に特化したものだ。あまり交渉ごとには向いていないが、感情が素直に出過ぎるところはあるものの『聞く』以上をしすぎない点は好ましい。おそらく横須賀は気づいていないのもあるのだろうが、山田は頭を抱えたくなる心地を最大限内側に隠して板垣の話に集中した。

 田中花。最近では少し珍しいともいえるシンプルで平凡な名前を偶然と捨て去るにはどうにも状況が許し難い。それでも思いこみは思考を鈍らせる故に、山田は板垣の話を遮らない。

「警察で話したのは俺が行った場所、それと写真、誰かいたかもしれないくらいでそんなに多くはないです。俺が行った場所は、ええと元病院の廃墟なんですけど。よく肝試しにもされてる白鷺しらさぎ病院つってわかります?」

 板垣の言葉に山田は眉をひそめた。横須賀は不思議そうに瞬いているのでおそらく知らないだろうが、市外の廃墟ではそれなりに有名な場所だ。他に同名はなかったはずだ、と思いながら山田は連なりそうな思考を止める。

科那江かなえ市のか」

「それっス。そこに行って写真とった話をして、ってくらいなんです。写真は二日前、警察に行ったのは昨日。スマホ持ってかれるのと調書取る言われたのは覚悟の上で、横須賀との約束があったから保険で矢来に頼んだ感じです。もし携帯壊れて約束の場所に来ていた、とかなったら寝覚め悪いし。

 でも覚悟したよりもだいぶあっさりしていましたね。さっきも言ったけど、正直褒められた趣味じゃないのはわかってるんでなにを疑われても仕方ない思って、それなりに構えてたんですけど。俺の話で現場の確認に行って、行ったら。それでも写真があるから虚言ってのは疑われなかったみたいスけど、病院の先生とは話しました。疑われなかった割に俺の頭が疑われてるっぽいのは違和感だったんですけど……」

 そこで板垣の言葉がとぎれた。思考する、というよりは話の終わりに近いだろう。問いかけるような視線が山田と横須賀の間を動く。

 す、と横須賀が小さく手を上げた。

「現場の確認の前、写真調べたか?」

「いや、とりあえず先にってかんじだった」

「加工、とかそういうのって疑わないのかな。デジカメだとやりやすいと思うんだけど」

 不思議そうに横須賀が写真を眺める。横須賀自身は写真を疑ってはいないのだろうが、言っていることはもっともだろう。デジタルのメリットであり、デメリットでもある。

「そういや、加工については確認されなかったんだよな。調べるってなったときに多分向こうで見てはいると思うけど。いじっちゃいないから加工と思われたのが原因で病院の先生って線も薄いだろうし」

 二人で首を傾げているのを見ながら、山田は静かに息を吐いた。嫌な予感が重なっていく。

 警察の反応はあくまで板垣というフィルタを通したものだからどこまで材料にしていいか問題はある。それでも現段階で、可能性はいくつか推測できた。

 加工でないと確信するものが写真にあったか、加工でないだろうと予想できる情報をもっていたか。どっちにしろ、類似事件があったか、似たケースを調査していたかが素直な推論となるだろう。いっそ明日から、という思考が掠め、しかし山田は即座にその思考を潰した。

 警察がすでに可能性を探っている。依頼する太宰コーポレーションの調査部は直接関わるタイプではないものの細かい変化すら報告するマメさがある。そもそも警察が自宅待機を推奨したのだったら、板垣自身は問題ないはずだ。危ういのは田中花だが、屋代家で起きた事件に特例隊が向かったとのことは間違いない。

 元々人数が少ない部署であることを考えて、緊急性がまだそこまで高くない、と踏む。その段階で山田と横須賀が急いたところでさほど意味はないだろう。

「警察も馬鹿じゃねぇ。とりあえずわかった、あとは二日後だな」

「はい」

 頷いた板垣が神妙に書類を見、それからややあって「ああ」と言葉をもらした。

「もしかして似たことあった、ってことか?」

「疑う理由が無くて、情報としてってことか。板垣と同じ人がいる?」

「んー、でも聞き方がなんだろ、俺がはじめてっぽかった、から、把握していることがあったか?」

 板垣が持ったペンの頭でこつこつと机を鳴らした。さりさりと余っていた紙にメモを書きながら、横須賀も首をひねる。

「田中花さん」

 さり、と板垣の言った名前を紙に書いて、横須賀が呟いた。眉をひそめた表情に、板垣が少し不思議そうに横須賀を見やる。

「知ってんのか? この年頃だとあんま無い名前だと思うけど」

「知ってない、けど」

 聞いたことあるような、という横須賀の言葉を、山田は机を小さく鳴らして遮った。

「考えるのは後だ。とりあえず今ある情報をこっちはツテに投げる。一日で急がせるんだ、ここでチンタラしてる余裕は無ぇ」

「あ、すみません」

 山田の言葉にあわてて板垣が頭を下げた。それにつられるように横須賀も頭を下げる。こう言う時、ある程度の素直さは便利だ。

「正直それなりに面倒はある。アンタの希望がどうなるかの保証はほとんどしねぇぞ。覚悟しとけ」

「はい、よろしくお願いします」

 何度目かの願い入れに山田は軽薄な笑みと一緒に横柄に頷く。面倒な予想に意識を切り替えながらも、浮かぶ逡巡はサングラスの奥で飲み込んだ。

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