1-1-6)信用関係

「……それで?」

 連なった言葉が停滞したタイミングで、山田が問いかけた。平坦な物言いに二度渉の肩が上下する。「それで」と、山田の言葉に促されるように復唱した声は、戸惑いの色が滲んでいた。

「次の日、子供は居ませんでした。そもそも私は子供と一緒に寝ていたのですが、起きた時は既にその子がいなかったんです。

 見ず知らずの子供、壷を欲している、何者かもわからない。子供に害意が無くとも子供を使った人間がどんな意図でいたのかすらわからない状態で、安眠するほどの神経はしていないつもりでした。それなのに気付けなかった。前日それほど疲れていた覚えもないのに――とはいえ気付かなかったのは事実ですから、うっかりしていたかもしれない、のは否定できません。なにか別の理由があるとも考えづらいですし、私の失念以上にはなりません。問題は、その先です」

 渉が両手を組んだ。手のひらを固く閉じ合わせるというよりは、組んだ指先同士が少し強く力を入れられるような形。手先は荒れているようで、あかぎれやささくれなどが目立った。丁度右手親指の関節もぱっくりと割れており、曲がるのに従って赤い肉がよく見えた。表面にぷつぷつと皮膚が剥がれた白が点在しているので、随分と乾燥した手なのだろう。

 痛そうだな、と横須賀が考えたのと、赤い肉の黄色が淡色あわいろに白んだのはほぼ同時だ。力を入れたのだろうそれは、言葉を吐き出す合図でもあった。

「最初にいるかどうか確認にいった先は、やしろです。子供は居ませんでしたが、壷もありませんでした。盗んで去っていった、と考える方が正しいかも知れません。でも、どうしても私は不安でした。

 しかし子供自身がいなく、その子の家もわからないので児童相談所を利用するにもどう言えばいいのかわかりません。困惑した私が相談先に選んだのは住職です。

 住職はやしろの管轄ではありませんが、それでも知る家のひとつです。それに、私には馴染みがない福祉施設ですが、寺ならきっと多少は知っているのではないだろうか、という考えからでした」

 渉が肩を下げる。薄く開いた口が閉じる動きと頭の所作から、おそらくため息に近いものだろう。それでいて、話を中断するほどの長さではない。

「……けれども、そううまくはいきませんでした。住職は私の話を聞くと、と言ったからです」

 忘れろ。言葉の意外さに横須賀は瞬いた。横須賀は寺に馴染みはないが、なんとなくそういった場所の人は話を聞くことを仕事としているような印象だったからだ。説法、というものはあるが、語るだけでなく聞くことも重んじるという想像。しかしその感覚自体はどこで持ったのかもわからないぼんやりとしたものなので、横須賀はそれが正しいと言い切ることも出来なかった。

 しかしそれでも、子供がいなくなったという話を聞いての態度としてはあまりに不可思議に思える。

 渉は横須賀の顔をちらりと見、だがなにか告げることはせず手を組み直した。

「忘れろ、といわれても、現状は変わりません。そもそも忘れられるようなものでしたら、私は探し歩かずにその子を先に返すか夢か何かだと思ってしまえばよかったのですから、忘れられるわけ無いことくらい住職もわかるはずでした。納得できずに食い下がったところ、こちらでなんとか話を聞いてみよう、とは言ってくださいましたが、それ以上は結局なにも教えてくださいませんでした。

 話を聞いてみると住職が言っていても、最初の言葉が忘れろだったのですから信用しきることもできず、私はその後無駄だと思いましたが町内会長にも話をしに行きました。確か過去にPTAの会長もされていたはずなので、児童について詳しいかも知れないと思ったのです。

 ですが町内会長も知らず、そもそも特に連絡もなかったとのことでして……まあ、基本的に町内会長は年回りですし、無茶だとは思っていたんですが。でも、町内会長は話を聞いたとき、大事おおごとにはしないほうがいいのでは、とも言っていまして。私が児童相談所や警察の話をしたせいだとは思うのですが、すべて住職に任せた方がいい、と。重ねてそう言ったのです。私にはそれ以上できませんでしたが、やはり落ち着かず、此の度のこととなりました。

 子供が来たのは、七回忌を終えた晩。もう二週間も前です」

「アンタが遺品を受け取れ、と言った日が住職に話した日か」

「はい」

 山田の言葉に渉は静かに頷いた。左手の親指が、先ほどの傷跡を掻くように動く。

 記憶を形にするためだろう所作は、静かで痛々しく見えた。

「探偵さんに連絡をする前に、やしろは確認に行きました。壷が無く、しかしそれ以上の変化もありません。普通に考えればもうとっくに事件になっているか、その子供は帰ったと考えるのがいいのでしょうけれど……見つからない子供が気になっています」

 はあ、と、ようやく大きくため息が落ちた。話の区切りを伝える音に、山田があぐらをかいて渉を見上げる。

 とん、と爪が自身の膝を一度たたく。

「最初からそういやいいだろ。俺が聞かなかったらどうするつもりだったんだ」

 不満をそのまま隠そうとしない音、というよりは、責める意味もあるのだろう。それまで受け止める方が強かった山田の意志と感情をはっきり見せる物言いに、渉が申し訳なさそうに眉を下げる。

「すみません、その」

 唇があまり開ききらない故に、少しこもったような音だ。渉がもごりと言葉を内側で転がすのと、その手がざりざりと乾いた皮膚を撫でるリズムは似ていて、瞬きが三度繰り返される。

「信用出来ネェ、ってことか」

 尋ねるに満たない確認のような山田の声は、先ほどと違い感情を乗せていない。揺れた渉の目が瞼で隠れる。

「信用出来ないのは別にいい。テメェの感覚だ」

 とん、と、事実だけを伝える平坦な語調は横須賀にとって馴染んだ山田らしい物言いだ。渉の睫が少し震えて、瞼が動いたのを教える。

 そもそも山田は自身の見目をわかっていて利用している。そこを責めていないと横須賀はわかるが――受けた渉の表情は、うつむいている為わかりづらい。

「ただ過去も今も含めてアンタの俺への考えを聞いておきたい、っつーのはこっちの都合だな。信用されていようがされていまいが仕事は最低限こなす。その時に、アンタの信用度でこっちの手札が変わるんだよ。アンタが多少でも協力する気があるなら、不審がっててもいいから状態を教えろ」

 山田の言葉に、渉は組んでいた手の力を強め、それから離した。膝の上で両手が握られる。

 ややあって瞼が持ち上がり、山田を見返す。

「いくつかの理由の一つ、にそれはあります。ただ、一つだけですし、今は違います」

 山田は頷きもせず、渉の言葉を待つ。渉の視線が渉の右手側斜め上に動いた。

 あちらは玄関側だ。

「祖父の残した連絡先としてお願いさせていただきましたが、祖父が探偵さんについて教えてくれたことはほとんどないのですからどうなるのかわからない、というのが正直なところで。そうして実際お姿を拝見したらその、随分と秘匿性を重んじるような外見で、体格も予想としなかったものでしたし」

 申し訳なさからか重なりすぎるくらい連続した言葉が一度途切れ、渉の視線が横須賀をみる。ぱちぱちと瞬きを返した横須賀に、渉は頭を掻いた。

「お連れの方は遠目だと大柄で強面の方に見えて、ちょっとお二人を警戒したのは事実です。でもまあその、横須賀さんの方は怖いと言うより、体格を利用される方かと思ったらなんというか、苦手そうと言うか、逆に心配で。いやでもそれも一部なんです。ええとですね、一番はその、連絡した後のことなんです」 

「連絡した後?」

 早口にくるくると踊る言葉を落ち着けさせる為か、山田が確かめるように復唱をする。ええ、と渉はようやく短い言葉で頷いた。

「連絡した次の日、住職を近くで見かけたんです。話しかけられることはなかったんですが、別に近所で死人が出たわけでも法事があったわけでもなくて、それなのに……ここ、ちょうど先は民家で行き止まりだから、ふらふらくるにも微妙な場所なのに」

 言葉尻はだんだんゆっくりとした速度になっていった。ふうん、とだけ呟いた山田が、畳を爪で鳴らす。

「貴方はなにもしませんでしたか?」

「見かけたので話しかけました。ほら、話を聞く、って言っていましたし気になって。ご用事ですか、と聞いたんですが、違う、といわれて。話を聞く件についても特にわかったこともないみたいで。ただまあ聞く場所が難しいとのことで、そこは信じたんですが、その」

 眉間に寄った皺が不満を伝える。渉はううんと唸る声に合わせて寄った皺を人差し指の背でぐりぐりと押し引き延ばすと、また大きくため息を吐いた。

「普通のことかも知れませんが、親御さんも状況もわからないまま大事おおごとにすると、被虐待児だった場合察した親に余計ひどくされるかもしれないし、わからないまま聞く相手を増やすのは危険だと諭されて。町内会長のことかと思って謝罪したんですが、それ以外もやめなさいと念を押されて」

「ほう」

「……町内会長のことは誰にも言っていないのに、それも含めてなぜか住職が知っているように感じて。少し不気味で、日数が立てば立つほど子供が見あたらないのだから夢だったのではっていう自分への不信と、薄気味悪さと、そもそもこんな私しか見ていない話を誰が信じるのか、もしかして信じていないからああやって宥めてくださっていたのではとか、考えれば考えるほどわからなくなって。あれが夢だったと言われてしまえば、見つからないものはただなくしただけだというなら、とか。それで来たのが、お二人だったので」

 尻すぼみになる言葉と一緒に、渉の背が丸くなる。追いかけるように横須賀も猫背をまた丸めて覗き見ていると、山田が浅く息を吐いた。

「信用できない、信用してもらえるとも思えない、ってとこか」

「……はい」

「今はどうなんだ」

 沈んだ声にそれ以上は踏み込まず、慰めるでも責めるでもなく山田が問いかけた。渉の丸まっていた背が少し伸びる。

「貴方が当たり前だと言うようにあったことを聞いて、夢という言葉を使わなかったのは事実です」

 渉の言葉に山田が頷く。少し伸びていた渉の背が、深呼吸の後ぐっと伸び、姿勢が正された。山田もあぐらのままだが、姿勢を正す。数テンポ遅れて、会話に入っているわけではない横須賀も背すじを伸ばし直した。

「正直訳が分からない状態で、それが当たり前であるなら、それを知る人に頼りたい、です。貴方がなにも気にせず帰るなら、または過去の事件を聞いても見当違いだったら、意味がなかったらと考えましたが、どれでもなかった。信用、は、わかりませんが、貴方を信じて頼れるならその方が私の気持ちとしてはだいぶ楽です」

「楽、ね」

 言葉を捕まえて山田が片頬を歪め持ち上げた。渉が頷く。

「ええ。忘れるのも気にしないのも、放っておけばそれでよしとなるとしても、絶対気になります。それだったら、平気だとも平気じゃないとも判断できる人に聞いた方が楽だ。その為なら騙されてもいい」

 それまでと違い、随分はっきりとした言葉だった。騙されても、という言葉に笑みを深めた山田は、「そりゃあいい」と軽やかに声を上げる。

「面倒な奴かと思ったら、アンタは存外わかりやすい単純思考だな。いいぜ」

 はは、と言う声は軽薄で、しかし嘲笑ではなかった。渉が山田を見返す。

「楽を選ぶのは賢さだ。先代の縁でもあるが、アンタの依頼でもある。――楽をしろよ、土蔵さん」

 山田の言葉に、渉ははっきりと頷いた。

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