探偵事務所の活動記録
空代
一冊目:此度、探偵宿泊につき。
第一話 呑み壺と綴じ蓋
1-1-1)山田探偵事務所
山田探偵事務所は小さな事務所だ。一階は駐車場、二階が事務所、三階では所長の
といっても、それだけなら特別なことではないだろう。前は少しばかり扱う仕事が特殊だったものの、現在はその特殊な仕事にのみ絞ってはいないので事務所も仕事もさほど他の職場と変わらないはずだ。以前と違い事務所のサイトも作ったし、飛び込みの依頼も受けるようになっている。
ただ特殊な事件を目的としなくなった今、他と同じようにという考えがそのまま形になるかは別だ。特に飛び込みで持ち込むような人間がそのまま依頼するケースはあまり多くない。理由は単純で、山田の外見に怯む人間も少なくないからだ。
所長の山田太郎は身長こそ一五二センチと小柄ではあるものの、かっちりと固めたオールバックに真っ黒のサングラスがやけに特徴的だ。横から見ても目元が見えないように覆うようなタイプのサングラスは濃度が高く、ミラー加工がされているのでその瞳を伺い見ることが出来ない。少し特徴的につり上がった細い眉は意志の強さを示すように描かれたもので、軽薄に片頬だけ歪めて笑う様は小さい体を感じさせないほど高圧的で傲慢にも見える。
その身長に見合った細い首を覆うアイロンのかかった襟は神経質さの表出を思わせ、きっちりと結ばれた細いネクタイの赤は攻撃性を伝えるようだ。またスーツは背広もズボンも真っ黒で、ビジネススーツと言うよりはネクタイさえ違えば喪服にすら見える。それを強調するように足下の革靴も黒で、こちらも使われた時間分の痛みはあれども綺麗に磨かれている。スーツという没個性すら個性にするような外見と伸びた背筋は随分と横柄に見えもするだろう。
実際山田のその態度や見目から、一部の人間には小さなヤクザと揶揄されることもある程度だ。直接言うような人間は多くないが――依頼人からしたら不安にもなるだろう。そのくせ見目から判断して非合法的依頼をしようものなら益がないと切り捨てるので、必然仕事が偏っていく。
基本的に所長が依頼人と話をする為以上のような理由でほとんど多くが難しいのだが、それでもと事務員を見ればそれもそれで奇妙な心地になるかもしれない。横須賀は山田とは対照的な男だ。
事務員の横須賀一は小柄な山田とは逆に、随分と長身だ。一九四センチという周囲から頭がひとつもふたつも飛び抜けたもので、鋭い切れ長の三白眼と相まって迫力がある――ように見えてもおかしくないのだが、その目元にあるクマと下がったハの字眉、きょときょとした伺い見るような表情、申し訳なさそうに体を縮めている猫背からどうにも覇気を感じられない人間である。厚い睫の下で陰る小さな黒目はまっすぐと相手を見据えるのに、揺れてしまえばその瞳はどことなく小動物のような戸惑いが見せるくらいだ。
不健康、というほど線が細いわけではない。横須賀はその長身に見合って骨が太いようなので体重の割には大きいと言うよりは長い印象の方が持たれやすいが、その随分と長い手足はしっかりとしている。どちらかというと山田の方が細身なはずだ。けれども横須賀は折角長い手足を縮めてクマの消えない顔で笑うせいでどうにも健康的とは言い難いように見えやすかった。身長差がはっきりあるにも関わらず、横須賀の様子から二人の関係を案ずる人間も少なくない。
結局のところ所長から事務員に視線を動かしたところでどうにかなるような印象もなく、二人の外見は接客に向かないものだと言えるだろう。といっても二人とも気にした様子もなく、持ち込まれる機会が少ないだけで依頼が来ないわけでもない。なんだかんだなりたっているその事務所は所員の奇妙さに比べて現在はごく普通の穏やかなもので、
「駄目です」
ただその日は珍しく違っていた。
「駄目です、じゃねえよ。テメェに決定権はないだろ」
珍しい横須賀の否定に、山田は眉をしかめ唸るように返した。随分と長身な横須賀が山田を見下ろすさまは迫力があるはずなのだが、下がった眉に縋るような三白眼、自身のシャツの胸元を掴んで背を丸める姿はどうにも迫力から一歩遠い。対する山田は背筋を伸ばし咎めるような色で返すから、そのオールバックとサングラスの迫力も相まってか山田が横須賀を罵っているようにも見える。
しかし、横須賀は山田の態度に怯えない。
「だめ、です。俺も行きます、だって」
「いらねぇ。そもそも人数割くような問題じゃネェんだ。昔の依頼人に会うだけで」
「今、仕事少ないです。俺が行ってもいいはずです」
珍しい、と重ねて言えるだろう。横須賀はあまり人の言葉を遮らない。いつも話を聞いて頷くことが多く、聞き上手であり話し下手と言うのが似合う人間だ。そんな横須賀が口の端を噛むようにして下がり眉を水平気味にまですると、じっと山田を見つめ続ける。身長差があるのだから随分大変そうだが、横須賀の視線は逸らされない。
横須賀の必死さを消すように、山田は随分大仰なため息をついた。
「昔の仕事先だ。テメェはいらねぇって言ってるだろ。んな睨んだところで連れて行くメリット無し、連れて行かないデメリットも
「言うだけじゃないです」
山田の物言いに横須賀が細い声で答える。ほう、と山田が横須賀を見上げた。促すようなその音に、ぎゅ、と横須賀は自身のシャツを握り直す。
「おこり、ます」
デメリット、として提案したのだろう言葉は余りに足りなかった。それに、山田が笑う。嘲笑であり、しかしどこか優しい音でもあった。
自分が怒ることがデメリットだと言える、というのは横須賀を知るものにしては随分と意外な姿だろう。その和らいだ笑みをはたりと手の中に隠し、山田は呆れたように鼻で息を捨てる。
「は、好きにすりゃいい。テメェが怒ったところでなにも変わんネェからな」
「――――――っ」
ぎゅっと体を縮こまらせて、横須賀が固く目を瞑る。唇を噛んで顔を赤くした横須賀は、しかし言葉を続けず黙った。ふるふると震えているが、それだけで止まる横須賀に山田は少しだけ肩を竦める。
「どうした、怒るんじゃなかったのか?」
表現の下手な子どもを煽るように山田が言葉を重ねた。うう、と唇の端から声が漏れる。ぎゅっと背中を丸めて、横須賀がこくりと頷いた。
「おこって、ます……!」
「下手くそか」
いっぱいいっぱいになって狭まった喉から押し出される声は、本来のものより随分高い。必死さはその音で伝わるが、表情や所作から見える激情と言うにはあまりに静かなそれに、山田が思わずと言ったように突っ込みを入れた。
うう、と横須賀は呻くが、山田の言葉を否定できる人間はいないだろう。自身の感情を表出する、が成り立っているのはその赤い顔としかめた表情で、しかし耐えるように自身のシャツを掴む震えた手、怒っている、というにはか細い声は相手に届けるに足りない。
正確に言えば届いてはいるのだが、怒り、というならもっとぶつけるような激情があるものだろう。横須賀が自身の感情を捕まえて言葉にしているだろうとわかる。ただ、捕まえた後の表現が随分不器用だ。
「そもそも怒るだけでなにか変わると思ってるのかテメェ」
つい分析でゆるみだした思考をなんとか凄む声に変えて、山田が横須賀を見据える。
下手だろうがなんだろうが実際怒っているのだから、その怒り方にどうこう言うつもりはない。もっと激情だったとしても山田は考えを変えるつもりはないし、結局どうであれ変わらないのだからと山田が話を先に進める。ぽこぽこと賢明に感情を捕まえようとしていた横須賀は、山田の言葉にきょとりと目を丸くした。
おそらく先ほど目を瞑っていたのは、瞑ると言うよりも内側の感情を見つける為だったのかもしれない。山田の言葉であっさりと表情を気の抜けたものにした横須賀は、ぱち、ぱち、と瞬いた後、こくり、と酷く当然というような顔で頷いた。
あまりにも当たり前に頷くので、逆に山田が片眉を上げる。山田は基本的にこうと決めたものを変えない。はっきりと決断、選ぶ人間であると自負しているので、横須賀の反応は意外だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます