1-1-2)山田太郎と横須賀一

「俺は変えねぇぞ」

「山田さんは、考えて決めたことは、変えません」

 念を押すような山田の言葉に横須賀が肯定を返す。先ほどの態度と逆の言葉にいぶかしむように山田が横須賀を見上げると、横須賀はもう一度頷いた。それは返事と言うよりも、自身の思考を確かめるような所作だ。

「客観的にした、計算の判断は、変えません。けど、山田さん、それに自分の感情が少しでも入っていると、聞いてくれます」

 山田の眉間の皺が深まる。対照的に、横須賀は少しだけ眉を下げた。

「感情が少しでも入った決めごとだと、山田さん、ええと……」

 どう言えばいいのかわからないのか、横須賀が言葉を探す。その様子をサングラス越しに見据えながら、山田は少しだけ唇を噛んだ。

 あり得ないと一蹴してしまえばいいのだが、正直な話過去を思い返して納得する部分はある。自身がこうと決めたことは曲げない。だが、客観的・論理的な理由だけでない場合、その判断を押し通すには少しばかり――

「あ! 押しに弱い、です」

 ぽん、と。閃いたと言うように言葉を跳ねさせた横須賀に、山田が表情を険しくする。言葉を見つけられたことが嬉しいのか、言い切った後へにゃりとゆるく笑った横須賀はそのことに気付いておらず、山田は大げさにため息を付いて横須賀を睨み上げた。

「テメェには交渉ごとのイロハを学ばせた方がいいみたいだな」

 苛立ちで唸るように山田が平時より声の調子を随分と落とした。ぴゃ、と肩を揺らした横須賀はそんな山田の態度が理解できないのか、随分不思議そうな様子で申し訳なさそうに山田を見返す。

 悪気がないのはわかると言うよりも、だからこそ面倒と言えるだろう。山田が額に人差し指の側面をつけ、横に外れる親指でこめかみを押さえた。

「交渉は俺の仕事だがあんまりにも考えなしすぎる。慣れない言葉見つけて喜ぶとかアホか、もう少し言葉を選べ。押しに弱い言われて押されてやる馬鹿がどこにいるんだどこに」

「馬鹿じゃなくて、優しい、です」

「今回は折れねぇって言ってんだ」

 少しずれた横須賀に、額から手を下ろして山田が唸った。オールバック、サングラス、つり上がった眉。小柄とはいえ外見も口調も攻撃的な山田にかける言葉ではないような気もするのだが、折れないと言われた横須賀は困ったようにきょときょとと視線を動かした。どう見ても山田と横須賀の関係は上下がはっきり見えるようなのだが、横須賀の言葉に頭を抱えた山田は少し振り回されているようにも見える。

 そもそも今回は、だの、押しに弱いを否定しきらないところなど、山田は外見の割に横須賀の言葉を否定しきれていない半端さだ。しかし折れないという言葉に、横須賀は少し困ったような顔のままわたわたとメモ帳を取り出した。

「じゃ、あ、なんのお仕事に行くのか、と、俺がいないメリットを、話してください。俺、役に立つ理由を探します」

「わかった。別に問題あるようなことじゃねぇんだとっとと納得しろよ。……つっても今日はここまでだ。うらさんが来る時間だろ」

 宣言して終わるつもりだったから話す時間余分にとってねーんだよ、と山田がぶつぶつ言っていたところで、丁度インターホンが鳴る。ぴく、と顔をそちらに向けた横須賀と、入室を許可する山田は対照的だ。

「失礼します、こんにちは」

「こんにちは」

 にこにこと入ってきた男に、横須賀が頭を下げる。三浦、と呼ばれた男はまた二人と違う印象を持たせる男だ。左目の上で分けた髪は眉にかからない程度に短く切られており、それをさらにきちんと浮かせるようにワックスで癖を付けている。前髪は分け目で流れがはっきりとしているが、他は流すように無造作なボリュームを簡単に付けたものだ。揃えられた顎髭と合わせて几帳面さと緩さが一緒になっているような髪型は、三浦の性格と似てもいた。

 横須賀ほどはないが180を超えた長身に筋肉質な身体はがっちりしていて、迫力がある。そのくせ眠そうな少し厚ぼったい瞼と半眼めいた瞳は無気力に見えかねないのに、はっきりとつり上がった眉と大きく開く口、穏やかさをそのまま形にしたような表情は相変わらず人なつっこさを見せていた。人が良さそうだがどうにもきょときょととしやすい横須賀や攻撃的な印象を見せる山田達と違い、ともすればやる気がなさそうな顔立ちとは反対に快活な印象を与える。

「これ、多分あんまり物珍しいものじゃないと思いますけど。電話で話した奴です」

 A4の茶封筒を三浦が山田に差し出す。おう、と返した山田は、手慣れた様子で封筒を開けると書類を取り出した。白い用紙が複数枚と、一回り小さな用紙が一枚。小さい方の文字を追いながら枚数を確かめると、確かに、と山田が頷いた。

「中身についてはとりあえず簡易で確認させてもらう、詳細でなんかあったらいつも通り連絡するけどな。……アンタの方は異常ないか」

「問題ないです。刑事さん達とのやりとりも終わってますし、藤沢さんから聞く未久さんの様子もいい感じですし、この伝書鳩でおしまいですねぇ」

 のんびり、と、それでいて少しだけ寂しそうに三浦が呟いた。伏せた瞳に映るものがなんなのかは三浦が言わない限りわからないものだが、けれども事務所に来た日を思えば、なんとなく推察は出来る。

 元恋人である深山ふかやま未久みくを探す為、三浦は以前探偵事務所に訪れた。三浦の書類は深山未久の友人である藤沢ふじさわから渡されたもので、伝書鳩はある意味で正しい。三浦は深山と再会したが、それ以降は離れている。伝書鳩をする必要がなければともするともう縁が遠くなる可能性だってあるだろう。

 それでも伏せた瞼を持ち上げれば、すぐに表情は明るく変わる。

「まあ伝書鳩でなくても藤沢さんや横須賀さん山田さんとのご縁はありますし、これからもよろしくお願いしますね」

「勝手によろしくしてろ」

 朗らかな言葉に面倒くさそうに山田が言い捨てた。粗野とも言えるその語調を受けても三浦はへらりとした様子で、はぁい勝手にしまーすといいながら横須賀に近づく。

「そういえば横須賀さん、どうかしたんです?」

「え」

「なんかいつもよりちょっと違ったから」

 メモ帳を握りしめた横須賀が困ったように首を竦める。そうしてから、あ、と声を漏らした。

「お茶、を」

「いいですよーお構いなく。山田さん確認してる間することあるならしてくださっても平気ですし。ああでも構ってくださるなら構ってくださーい」

 にこにこと三浦は笑いながら、慣れた様子で客用の椅子に座った。きょろり、と辺りを見渡す横須賀に、山田が顎で三浦を示す。

 会話というのは相手を知る一つのツールだ。雑談でもなんでも本人が思うよりも情報はなく、それでいてある、と言ったのは山田だった。

 おずおずと横須賀は三浦の正面に座る。開いていたメモ帳をそのまま膝に乗せて頭を下げれば、いつもの人の良い笑顔で迎えられた。

「ええと、お仕事でなにかあったのかな? 聞いて大丈夫です?」

 三浦の問いに、ぱちぱちと横須賀が瞬く。三浦は頭をやや乱雑にかくと、いえね、と言葉を続けた。

「ちょっと声が聞こえて。珍しく大きい声だったから、なんかあったのかなあって。山田さんあんまり横須賀さんいじめちゃだめですよー」

「どっちかというとこっちが文句言われてた側だ」

 文字を追いながら山田が面倒くさそうに答える。意外そうに目を丸くした三浦に、横須賀は体を縮めた。

「言われたならちゃんと聞いてあげてくださいよ、お仕事に口出すのもあれとは思いますけど、二人仕事でしょ」

「状況も聞かずにデカブツの味方か」

 不機嫌と言うよりもあくまで平坦に山田が返す。そりゃあねえ、と三浦は当たり前のように頷いた。

「信用の違いですよ、山田さんなんか危なっかしいし、横須賀さんは悪いことしなさそうだし」

 悪いこと、に横須賀が縮めた体をさらに小さくするように背を丸める。悪いこと、はしたことがある。横須賀はそれがいけないと思いながらも選ぶしかなかった。しかも、実行前に悪いことをするなどと三浦に宣言すらしたのだ。なのに当たり前みたいに言われては落ち着かず、しかし先ほどの制止を悪いこととは思いたくなくて言葉を挟めない。

 横須賀の態度にどう思ったのか、三浦は微苦笑を浮かべた。

「そもそも横須賀さんが文句ってのもイメージつきませんけど、この人が文句言ってたらそりゃ味方しますよ。山田さんだって俺と横須賀さんだったらどっち信じます?」

「三浦さんを信じる道理はねぇな」

「言い方ぁ」

 もー、と言う声は不満ではあるが穏やかでもある。は、と笑い捨てた山田は視線を文字から動かさない。

「横須賀さんの考えは抜け落ちている部分さえ補ってやれば他は客観的な方だからな。お人好し極まってる問題はあれど、相手の為に言う馬鹿みたいな奴を疑うのも面倒くさい」

「その言葉そのまま俺の理由ですー。なにやったんです」

「こっちの仕事だ。二人で行く必要もぇのに面倒いいやがって」

「行く必要、じゃなくて、必要になった時にいないと、困ります」

 山田の言葉に、横須賀が言葉を差し込む。眉間の皺を深める山田とは対照的に、にまにまと笑う三浦の表情は心配と言うより愉快げな色があった。

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