1-2-12)三日還り

 子供を授かった老夫婦が死んだ子供を見つけたのなら、昔話の順序が見える。しかし口伝における物語は特に変質しやすいので信用度は低いはずだ。合田教授がなぜその説を唱えたのか気になるところではあるが、あくまで原稿は中山のものなのでそこまで言及されることはない。矢来が原稿を一枚めくる。

「中山さんは発見した老夫婦の血筋が泥野家ではないかとしている。そもそも泥野という名字自体が他にないこと、泥神という信仰がある場所で“泥”という文字を使うことの特殊性からだ。ただ、中山さんたち分家から子供を出すことを決めたのは屋代家で、泥野と屋代がなぜ繋がったのか不明である点とその泥野がなぜ屋代に遣えているのかという問題から地元の民話を紐解いた、という感じかな。日記帳で屋代について触れているけれど、あくまでこの原稿では屋代や泥野といった名前は伏せている。ウチでは実在の事件背景にあるのは遠慮してるから難しい原稿なんだけど、あくまで民話からみた家の話に留めてる感じかなあ。ある意味エッセイと言うか本人には大事で、でもウチで出したいやつで、書き方によって色々な問題とかナイーブになるから打ち合わせが結構ややこしくてね、これ」

「それだけか」

 山田の言葉に、矢来は肩を竦めた、原稿が矢来から少し離れ、机に置かれる手前の斜めの角度になる。山田には遠目で読めないが、おそらく横須賀は覗き見ることが出来るだろう。

「そんなとこ。儀式についてはわかってないんだよ、佐藤って人が言ってた以上はあまりないかな。止める為のモノとかあれば流石に自主的に教える程度の感性はあるよ」

 斜めの位置で止まっていた原稿を、矢来はひっくり返すようにして机に置き直した。それから後ろにある一枚だけをめくり直し、机に置く。

「あくまで雑誌への寄稿でしかないからね、本の為の分量でもない。言ったようにバランスも気にしてるし……さっき説明した泥の子供を授かる『どろン子さん』、子供が帰ってくる『三日還り』は説明があるけど、『大池でんでん』、『どろやまたろう』、『泥人形』はあくまでシンプルな言及で止まっている」

 おそらく参考文献なのだろう。題名の度に指が動き、横須賀がぱちぱちと瞬く。切れ長の瞳の中で動く様子はわかりやすく、泥人形まで追っただろう瞳がまたひとところに戻ったのを山田は見て取った。

「どうした?」

「え」

 問いかけに間の抜けた音が返る。反射のように山田を見た横須賀は、山田が原稿用紙を顎で示したのを見てまた視線を原稿に戻した。

 矢来がじっと横須賀を見る。

「還る、んです、ね」

「かえる?」

 言葉を選ぶかのようなつっかえた音は横須賀の平時のものだ。かえる、ということはおそらく子供が帰ってくる話の題名を見ているのだろう。

 小さな文字を追うには体を近づけねばならず、山田は必要がないかぎりそういった所作は見せがたい。説明を促すような山田の復唱に、横須賀はぱち、とまた瞬いた。まるで馴染まない文字を飲み込もうとするような所作で、しかし瞳はまっすぐと固定されている。

「生還の還って文字なので。帰ってきた、帰宅のほうの文字じゃないんだな、って」

 口頭で文字を伝えられ、山田は眉間に皺を寄せた。漢字というものの意味はいくつもある。使用者によって使い分け方が違うのであまり言い切りは出来ないが、しかし昔話にわざわざ用いているのだ。常用漢字ではないのに残されている『還』という文字には確かに意味があるだろう。

「帰る、だと戻ってきた人なので、お話を聞くとそっちかな、って思って。三日で元に戻ったって方なら返る、が自然ですし。どうしてこの文字なのかな……」

 最後の言葉は自分の思考に潜るように低く、小さくなっていった。なにか思い当たることがあったのだろうがまだつかみきれない、というような横須賀の様子に、矢来が視線を横須賀から山田に向けた。

「参考文献間違えるような人じゃないはずだよ。絶対はないけどね。書き方もそんなかんじ。多分、そこの人も同じように感じるんじゃないかな」

「デカブツ、テメェも同じ考えか」

 矢来の言葉に反応しない横須賀の沈んだ思考を浮上させるように山田が声をかける。珍しくと言うべきかただ単純にまだぼんやりとしているからと言うべきか、特に驚いた様子も無く横須賀は顔を上げた。

 横須賀は自身を山田と違いあまり考えることが得意でないとしているようだが、どちらかというと常に思考しているところがある。取り留めがない分思考がまとまりにくいところはあるだろうが、その発露を促すように山田は顎で横須賀の手元を示した。

「編集者は書き方から誤字じゃないっつー考え方だ。テメェはどう思う」

 めぐいけ神社で文字を読み解いたところから、おそらく横須賀は文字と向き合う力が強い。矢来の読みを信じないという訳ではないが、矢来の言葉のついでだ。

「え、っと、俺も誤字じゃない、と思います。先ほど矢来さんがおっしゃってましたが、原稿用紙に遠慮があるとはいえ本文は熱中すると力が強くなってて、ハライがハネになってるから多分筆の進みがいい時はこういう癖なんだと思います。

 でもこの文献のところは、ハライが一度止まって、伸びて、ハライきる手前でトメている感じなので。急いで書いたりした訳じゃないと思います。丁寧な文字です、ね」

「わかる」

 うんうんとうなずく矢来に、横須賀が眉を下げて微笑んだ。少しだけ安堵したような表情の後、またまっすぐ文字を見下ろす。

「ああ、同じ、なのか」

 ぽすん、と落ちた音に、山田は横須賀を見上げた。矢来が横須賀と同じように文字をのぞき込み、ああ、と横須賀が落とした音よりも納得を強めた音で頷く。

「確かに。あくまで参考文献に過ぎないな。あんなにここに来るのを怖がってたのに、死に返りの話と違って書く側の緊張がない。還る、が馴染みないのかな。死に返りについて記載したとこは筆圧高いもんな」

 ほら、と矢来が日記帳を開いて指で示した。じっと見つめる視線に高さを合わせたので山田には中は見えないが、横須賀が見れば山田にとっては事足りる。

 それに二人の言葉が正しいのならば、いくつかの憶測の色が変わる。一等濃くなったそれに、山田は瞼を閉じた。

「昔話は聞いていたけれど、口伝の方が馴染みがあったんでしょうか」

「そもそも昔話は子供に向いているところがあるし、ひらがなのタイトルも多い。常用漢字じゃないから常用漢字の帰るが使われるケースがあったかもしれないけど、古い本ではこっちってことか? 元々中山さんは民話とか土着信仰に詳しいから知ってておかしくないけど、逆に言うとそんな人ですら実感とは遠い、っつーこと?」

「わからない、です。死に返りって単語だけが特に苦手なのかもしれませんし」

「民話は馴染みあるから平気なのもありえるけど、どっちかつーとあの人、怖いからこそ物語という媒体に手を出したタイプだからなぁ」

 ううん、と二人が唸る。とつとつと結びつく仮定を山田は内側で組み立てながら、言葉のタイミングを呼吸で整えた。

 矢来に教える必要はない。そもそも佐藤たちを矢来の部屋に任せたのは、矢来が頼りになるという理由ではないのだ。どこまで動くつもりかわからない矢来が一人にならない為で、関わりすぎないためのストッパー。佐藤にとっての鈴木が、矢来にとっての二人である。

「探偵さんはどーなの?」

 わかんてんじゃないの、とでも言外に含めた矢来の疑問に、山田は少しだけ呼気を強めた。のっぺりとした黒い瞳は、日暮と似ているようで違う。ほんの少し混ざるのはお節介な三浦と似た色だろうか。そして似ていてもやはり三浦と違うのだ。あの男はなんだかんだ言いつつも一線できちんと引くが、矢来は読めない。

「探偵だからってなんでもかんでもわかるわけないだろ。探偵っつーのはそもそも頭が切れるってことが絶対条件じゃネェんだよ。調べること、探ることがメインなんだ」

「今更それ言う? オカルト探偵さん」

 今度は呼気という形ではなく、大げさなため息で面倒くさいというスタンスを見せる。知るか知らないかでいえば、おそらく矢来は知っていた方がコントロールしやすい。今日会ったばかりの男に仮定を立てるしかないのも面倒だが、取捨選択は山田の仕事だ。

「曖昧な予想を立てて目を曇らせるのは好きじゃネェんだがな。可能性を知ることは別の可能性を潰すことになりかねない。頭が複数あるのに同じモノしか見えないのも愚だろう」

「広がりすぎて見る場所が判らないなら、北がどっちかくらいは予想つけたいだろ」

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