1-2-7)来訪

 すぐに信じる横須賀とは反対に、山田は一線引くスタンスを示す必要がある。とはいえここで矢来を警戒し続けてもメリットは無い。また、日暮の甥をひとりで動かしてなにかあっても寝覚めが悪いのは正直な感情でもあった。どっちにしろ放っておけるわけもなく、山田は椅子を引いて腰を下ろす。

 結局のところ、さきほどまでの会話は矢来の性格と情報の確認であり、山田にとってはパフォーマンスでしかない。横須賀が立ったまま山田を見下ろすのを見、座るように顎で示す。横須賀は山田と違い警戒は薄い為かタイミングを見るのは苦手なのか、信じるのは早くても座るという行為で許容を示すのを失念しやすい。座ったタイミングで山田がとんとんと胸ポケットを叩くとメモ帳を慌てて取り出すので察しが悪くないわけでは無いのだろうから、横須賀のそういった所作についてはこれからだろう。

 二人が座り横須賀がメモ帳を準備したことで、矢来は口角をにっと持ち上げた。好青年と言うよりは大きく唇を引いて動かす満足げな表情は、どことなく不遜さを見せる。

 幾分若い顔立ちが似ているせいか、つい重ねそうになる学生時代の日暮の姿に山田はやや眉間の皺を深めた。本人に自覚があるとは言え、別の人間を重ねるのは両者に失礼だろう。

「とりあえず警戒されないなら僥倖、手伝わせてくれるなら更に僥倖ってくらいだからあんまり深く考えなくていいよ。俺はとっとと帰りたい。探偵さんだって、予定に無かったってことは同じだろう?」

「まあ、長居する気は確かにネェよ。そもそも人が死ぬなんて話が本当なら誰だってこんなとこに居たくはねえだろうし、事件に巻き込まれるのは勘弁だ」

 矢来の言葉に山田は肩をすくめた。日記帳をめくった矢来は、わかる、と山田に短く頷く。

「普通そんなものだと思うし、本気で死ぬって信じているなら来なきゃ良い。俺たちみたいなイレギュラはともかく、中山さんだってイヤなら行かなきゃよかった。他の客だって同じことだ。でも、説得は時間がかかった。駄目だという中山さんを俺が行くことで無理矢理納得させたってのが俺の立場だ。――彼らは、俺たちとは違う」

 矢来が言葉を切った合間を縫うように、ノック音が響いた。ゴンゴン、というやや大げさな音に矢来は日記帳をめくる手を止めると、そのまま封筒に仕舞い入れる。

「多分出る必要あるんだろうけど、どーする?」

「家主の好きにしろ」

「リョーカイ」

 山田に答えると、矢来はベッドから小さく跳ねるように降りた。ガリガリと頭をさらに掻いて首元のボタンを片手で器用に第二まで開ける。少し襟首をくしゃりと手でつぶし開き、手首のボタンを外したところで矢来は扉を叩いた。

「悪いけど、ちょっと格好崩しちゃってて。急ぎじゃなけりゃ後でお願いします。誰です?」

 矢来の言葉に、扉が催促するように一度叩かれる。右手で顔を覆った矢来は額から後ろに髪を撫でつけると、その手をそのまま自身の襟元に添えた。

「何のよーデスカ」

 扉を薄く開け、敢えて間延びさせた言葉で矢来が尋ねる。隙間から見えたのは女の手だ。細い指を飾るのは薄水色のマニキュア。

「話がしたいの」

 佐藤の声だ。理解しただろう横須賀が山田を見、山田は肩を竦めてみせた。

 本人曰く贄に一番近い人間だから気になるのかもしれないが、山田が居れば大丈夫と短絡的に考える人間がわざわざ来る必要はないはずでもある。横須賀の視線はおそらくつい見てしまったくらいなのだろうが、答えがあるわけでも佐藤を気にする理由もないので山田は足を組んだ。

「見ての通り、というかあんまり見られたくないってとこなんだけど。女性に対面する格好じゃないんで」

「探偵が居るんでしょう」

 おそらく例の好青年じみた笑みで対応しているだろう矢来に、佐藤は静かに言葉を重ねた。言葉は問いかけだが、語調は確信だ。特に動じることもなく、矢来は頷く。

「そりゃ当然な。食事の席であんな話していないわけないってやつだ。リラックスしながら探偵サンのお話を聞いてたとこ。男だらけの部屋に女一人ってのもそもそもおすすめはしないけど?」

「女二人よ」

「かもねぎ?」

 きっぱりとした佐藤の言葉に、矢来が薄く笑った。顔立ちや静かな語調は随分日暮と似ているが、感情を入れた声はだいぶ矢来独特の色がある。軽薄と嘲笑を混ぜたような声に、しかし細い指は扉を押した。

「鴨と葱で結構。入るわよ」

 大きな舌打ちは矢来のものだろう。しかしそれ以上止めるつもりもないのか、扉をするりと開ける。無理に入り込もうとした佐藤がつんのめり矢来を睨んだが、好青年じみた笑みを引っ込めた矢来の顔はのっぺりとしていて睨んでも糠に釘、だ。

「……、………………」

 後から続いたのは少女だ。相変わらず前髪が影を作っているのでその顔色はわからないが、露出している小さな唇の動きも小さすぎてわかりづらい。微かに動いたかもしれない程度のものでなにか呟いただろう予想を促しはするが、声も小さすぎて何を言っているのかは不明だった。

 といっても、なにか長い動きなら警戒するがあくまで短い。すみませんか失礼します程度のものだろうというのは状況から予想はできるので気にする必要もないだろう。先ほど組んだ足を横柄に組み替えながら、山田は椅子に背を預ける。

「座ってていいのに」

 立ち上がった横須賀に対して、矢来が平坦に言った。肩を竦めた横須賀は椅子のそばで所在なさげに立ち竦む。立ったはいいが、部屋にある椅子は二脚だ。佐藤と少女の二人には足りず、どうすればいいかわからなくなっているのだろう。予想は出来るが、山田はここで立つような人間ではない。

「いーわよ、私はこっちで」

「俺はよくないけど」

すずちゃん、椅子借りなさいな」

 矢来の言葉を無視して佐藤が少女――鈴木を促す。申し訳なさそうに会釈した鈴木が体を小さくしながら椅子に向かった。それにあわせるように、ずり、と山田は少し椅子の角度を変える。このままでは山田の視線が鈴木に向きやすく、それは流石に哀れにもほどがあるだろう。視界には入れるが、直接睨んでいると誤解されない程度に向きを変えて山田は腕を組んだ。

 視界の端で横須賀が鈴木に頭を下げるのが見え、それに対して鈴木も頭を下げているのがわかる。一九四センチだという横須賀と一五〇センチより少しある程度――山田と同じかどちらかが高いかわからない程度の鈴木では随分と凸凹に見えるのだが、申し訳なさそうに身を丸めて猫背なあたりはなんというか似たもの同士の雰囲気がある。それでも鈴木の顔はあくまで下側を向いているので、横須賀に対しても緊張しているのだろう。

 二人の様子を見た矢来が、小さく息を吐いた。

「座っていいよ。落ち着かないし」

「す、みません」

 ベッドの端で所在なさげに立っていた横須賀は、矢来の言葉で身を竦めて頭を下げる。随分と端側にちょこんと座る横須賀を見て、鞄と資料を抱えた矢来は立ち上がった。

「アンタはそっち。物触んなよ」

「触らないわよ」

 矢来の声は平坦だが、佐藤の言葉はトゲがある。おそらく矢来に対しての不満と現状の不安が混ざっているのだろうが、対する矢来は平然とした様子で横須賀側に座った。

 おそらく少し近くに座り直すだけの移動だったのだろうが、丁度そこで会話が途切れる。微妙な沈黙に耐えられなくなったのは、ある意味予想通りと言うべきか佐藤だ。

「話してたんじゃなかったの」

「それを邪魔したのにアンタが言うのか」

 ぽん、と投げるだけのような矢来の言葉に佐藤は眉間におもいっきり皺を寄せた。この短い会話でも矢来と佐藤の相性は良くないだろうとよくわかる。そもそも感情的になりすぎることは会話をするのに面倒だと言えるが、たとえば感情的な人間を見ると困惑する横須賀と違い矢来はそのままあっさり放っておく。だからこのケースでは、確実に佐藤のフラストレーションが溜まっていくばかりだ。

「……押し入ったのは悪かった、わよ。でも、こっちだってせっぱ詰まってるんだから」

 不満を噛み潰して答えた佐藤に、山田はほんの少し目を細めた。感情的ではあるが、論理的思考を失いすぎているわけでもない。最初に部屋に押し掛けたときなど感情のまま明らかに礼節を欠いてはいたが、あの時もギリギリ部屋に入らない選択をしていたわけだ。無神経な無遠慮さではなく、今回押し入ったのには彼女なりの必死さとなんらかの意味があるのだとわかる。

 といっても、矢来は佐藤に対しあまり好意的に接するつもりがなさそうなのも把握してしまえる。顔立ちは日暮に似ているが、日暮が型にはまった、と言うよりいっそ型を作ってしまう程度の真面目さ故のマイペースだとしたら矢来は人に合うわせるつもりがさほどない奔放なマイペースさ。どちらかと言わなくとも確実に根がお人好しだろう日暮とは違う、行動の読めなさがある。

 こういう場合日暮の甥とはいえ面倒なのは矢来だが、しかし先ほどからの情報で目的が同じことは示されている。どこまで信じるか、という問題はあるにしても、マイペース故に本人が決めたことには素直だろうと考えてもいい。

「人が増えようが俺が出来ることが増えるわけじゃネェ。なにを期待してきたんだ」

 佐藤に利用価値がある、と考えない限り矢来は動かないだろう。逆に言えば、利用価値を示せば動くようになると言える。山田を使おうとする剛胆さから考えても、山田が佐藤を使えばともに使おうと考える可能性は高い。

 矢来の佐藤への感情は嫌悪ではなくただ面倒を減らしたいだけだろうからこそ佐藤と矢来の会話の歪さがあるのだろうし、とまで考えて、山田は内心苦笑した。

 そこまでする義理はないのだ。人数が多ければ多いほど不測の事態はある。

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