1-3-2)写真

 板垣と横須賀が山田を見る。板垣の表情は眉間の皺で険しいままだが、なぜか横須賀が安堵した表情を見せたので山田は眉をしかめた。手を出さないという否定に対してなぜそんな顔をするんだという意味で睨むが、サングラス越しではさほど効果もない。

 そもそも今の横須賀に効果があるのかも不明だ、という点の自覚も山田にはある。桐悟の件が終えてから山田太郎の基準はそれなりに気を張らずともよくなり、横須賀からは「問題があれば言う」という信頼を受けてしまっている。そのこと自体は好ましいことだが、どうにもままならないものがある。

 しかし嘆くようことでも神経質になるほどでもないので、山田は合図とするようにとん、と床を叩いた。

「現状聞いてりゃ、板垣サンの主張が道理だ。いくらウチの事務員がゴネようがその内容がよっぽど面白いモンでもない限り俺は無理に請け負うつもりもない。ある程度俺の仕事がどう認識されているかもわかっちゃいるが最近は仕事も幅広く受けているし、警察沙汰なら弁護士、もし探偵を追加で頼むにしてももう少し規模が大きいところを推奨するね。山田探偵事務所は二人体制だ。しかも明日はさすがに休みにする予定でもある」

 横須賀が眉を寄せる。こちらは板垣のようなつり上がった表情ではなく、相変わらず穏やかに太い眉が下がっているので情けないものだ。どこか犬が耳を垂れるような表情に山田は言及せず、あえて板垣を見据える。

 板垣が頷けば問題ない。先ほどまでの態度ならそれが自然なのだが――しかし板垣は、眉をひそめたまま頭をガリガリと掻いた。

 手が降りるのと同時に、板垣の顔が山田を見る。

「山田先生、五藤黒務の事件の後方針を変えましたよね。これまで無かったサイトが出来た。俺たちは五藤黒務の件もあって触れませんでしたけど」

「経営方針の転換なんてよくあることだろ。幸い事務員が優秀でね、任せただけだ」

 優秀、との言葉に横須賀が小さく会釈する。ほんの少しうれしそうなその様子に板垣は息を吐いた。ため息とも呆れとも言い難い音は短く、すぐに山田へ視線が戻る。

「でも矢来といた場所はいつもの案件だった」

「こっちにも守秘義務があるからあんまり答えられネェが、今回のはどっちかというと巻き込み事故だ。やるなら俺ァもっと下準備させてもらうね。だからアンタの案件がどうかはしらねぇが、現状の情報量じゃ受ける筋合いなんざ無い」

「……情報があれば、引き受けるんスか」

 す、と四白眼の中で、黒目が探るように山田のサングラスを見据える。山田はあえて軽薄に鼻を鳴らし、肩をすくめて見せた。

「さあ? 内容によるだろ。相談料をサービスする気はないし、必要なら事務所。それも明日は休みってなると俺は経験も少ない方針転換したばかりの事務所への依頼はおすすめしないね」

「相談をするなら、ここでさせて欲しい」

 横須賀がじっと板垣を見つめる。す、と動いたペンが紙にもう一度触れ直した。ペン先は動かない。板垣はあえて横須賀を見ないようでもあった。指先が白むくらい固く握られた拳。

 板垣を山田はじっと見、しかし返事はしなかった。十数秒程度たったころ、板垣がもう一度口を開く。

「あんまり資料を持ち出したくない。仕事を受けるかどうかここで決めてください。相談料と追加料金払ってもいい」

 横須賀に促されたからではないだろう。静かに決断した声に、山田は一瞬思考を巡らせた。見せる態度を考え――しかし、横須賀の表情でそれをやめる。

「だとしても書類がいるな。休み明けに改めて来させて貰う方が普通だろ」

「書類、なら」

 あります。そう控えめに言葉を差し込んだ横須賀に、山田は口角を持ち上げた。そんなことは知っている。安堵したような表情を見せた板垣に「運が良かったな」と横柄に言葉を投げ、山田は横須賀に書類を取り出すよう促した。

「じゃあとりあえず簡単に目を通してください。『山田太郎案件』なんて変な呼称をしているくらいだ、ある程度理由はわかってるだろ。こちとらある程度準備はさせて貰うし優先事項はまず自分の身の安全。可愛い可愛いジブンの為にもアンタにはそれなりに誠実な態度をしてほしいってくらいなもんだ。料金は一部前払い。ま、相談料だけでいいさ、今のところはな」

 板垣が書類を丁寧になぞり読む。一応要点は口頭と記載箇所の提示をすることにしているが、それらが無くとも問題は無いだろう。友人の勤め先とはいえ面倒であろう書類の流し読みをせず、不明点は確認するあたりは好ましい。

 だからこそ、横須賀の疑問が見当違いでないだろうということはこの短いやりとりでもわかった。話すことを渋った割にその機会が延長しないですんだ事に対する安堵、焦った様子は見せても読まずにサインをしない程度に思考が働く様子。行動の矛盾と性格の不一致が浮いている。

 話しづらい理由が個人のものか他人のもの、そして話さなければと思う理由がその逆だからか。基準のずれが生む実際のいびつさを考えなくもない。

「箝口令、っつーのは誰の基準だ」

「箝口令ってほどかっちりとはしてないんスけど、まあ言いふらす話題じゃないってのは向こうの見解。実際のトコ、そのきっかけ含めて俺の立場としてもあんま知られたくないってかんじですね」

 横須賀が付箋とルーズリーフを取り出す。書くスペースがあることと板垣がそれを前提に許すことに加えて知られたくないとの言葉からだろう。わかりやすく机に広げて、ぺたぺたと書き込む準備をし出している。

 付箋は横須賀が好む道具だ。順序の整理がしやすくまとめやすいのもあるし、こういったケースの場合は問題の箇所のみを捨てやすい。下手にペンで塗りつぶしたり修正液を使うよりも安易かつ残らない。

「……ま、駄目ならそれでいいです。気になることがあるのは本当ですから。杞憂ならいいんスけど、そうじゃないと刑事さんたちがどこまで動けるかもありますし」

 俺がどう思われようと今更、と言いながら板垣が立ち上がった。ちょっと待っていてください、として移動したのは別室。見えた様子から寝室だろうが、中でしていることまではわからない。物の動く音と小さな金属音。おそらく鍵かなにかを使用したのだろう。そうして戻った板垣が手にしていたのは、封筒だ。

「スマホとデジカメで写真をとってるんです」

 そういって座ったが、その写真を板垣は取り出さない。ため息の後、板垣の四白眼はそっと横須賀を伺い見た。

 ぱちり、と瞬く横須賀から、つい、と板垣が視線を山田に戻す。封筒を覆うようにして横須賀から隠し持つと、もう一度長くため息を付いた。

「……知り合いには特に見られたくねぇ、っつーのが本音だけど、横須賀の仕事先だしな」

「俺、が、だめ?」

 板垣をじっと見つめて、横須賀が問う。席を外すべきか悩むような問いに、いや、と板垣は小さく否定した。

「お前が行く前はそうじゃなかったにしても、今はお前と山田先生で組んでるんだろ。二人組で動くならお前も見た方がいい」

「他人がいいならもっとまっとうな探偵に頼んだ方がいいんじゃねぇのか」

 横須賀と板垣の会話ではあったが、視野の狭い選択を好まず山田は言葉を差し込んだ。改めて行われた合理性故の提案に、板垣は再度否定を示す。

「どうせ頼めるなら山田先生がいいです。請け負ってもらえるなら、アンタの特異性に頼りたい。それ以上に特異なとこは、手がとどかねぇ範囲になる」

 板垣の言葉に山田は肩をすくめた。なら好きにしろ、という言葉は声に出さず、しかし板垣は素直に受け取ったようだ。小さく頷くと、手で写真部分を隠しながら封筒から束を取り出す。

「一応聞いとくけど、横須賀はグロいの平気か」

「えっと、見れる」

 少し考えるようにしたのは、平気、の基準がわからないからだろう。目の前で人が液体になったのも人の腹があり得ない膨らみをみせたのも平気ではない。出来なかった恐怖も救えなかったことも多くある。

 それでも、見る、ということに関して言うならば、横須賀の言葉はこの上ない真実だ。それがどうであれ、横須賀一という人間は見る。見てしまう。

 板垣が肩をゆっくりと上下させ、写真をそっと並べだした。人のいない廃墟のような写真はおそらく撮影場所を示すもの。その名前を追うよりもはやく目に入った隣の写真は、動物の死骸。取材かなにかの資料なのか、臓物の出たそれは、一枚だけではない。淡々と並べられる死の姿。

「趣味なんです」

 すべてを机に広げると、板垣はひどく静かに声を落とした。

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