罰に潜む影(7)


「起きなさい」


 誰かが俺に優しく声をかけている。

 何度も。何度も。

 その声は俺には聞き覚えのある声であった。

 透き通っていて、とても温かで、恐怖心で満たされた俺の心がほぐされていくように感じる。


 ゆっくりと目を開けると、そこには、俺に優しく微笑みかける1人の女性がいた。

 だが、彼女は笑みを浮かべながらも、俺を見つめる目はどこか悲しくて、寂しい目をしていた。


 そして、俺にはその表情には見覚えがあった。


 そう、入塾前に夢で見た、俺の胸をギュッと締め付ける苦しみを与えたあの女性であった。


 俺は、真っ直ぐに彼女を見つめると、彼女は笑みを浮かべたまま語りかけてきた。


「大切な人の側にいられなくなった時、あなたはきっと自分を責め続ける。私には、分かるわ」

「いったい何の話を……」

「あの杖を使う。今がその時よ。大切なものを守るためにね」


 そう言うと、彼女は、俺のホルダーに入った白の杖を指し示した。


「なぜ、あなたが……この杖の事を……」


 俺の問いかけに、彼女は何も答えない。


「答えてください!なぜ、あなたは再び私の前に現れたのですか!」


 俺は、語気を荒げて彼女に問う。

 これは、俺にとって、大切で、知っておかなければならない事だと本能的に感じたからだ。


 すると、彼女は噤んでいた口をゆっくりと開いた。


「いずれ分かる事でしょう。杖も、あなたと私の関係も」


 彼女はこの言葉を残し、夢の時と同様に、霧のように姿を消そうとしていた。


「待ってください!まだ俺の話は終わってません!」


 俺は、必死になって、彼女の腕を掴もうとしたが、俺の手は母を切った。


 届かなかった俺の手。

 届かなかった俺の言葉。


 冷ややかな風が、虚しさの残る心を通り過ぎていった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「んっ……」


 重い瞼を開ける。

 視線の先には暗いグレーの壁面。

 また夢を見ていたらしい。


 どうやらキマイラの突進で用具室の壁に叩きつけられ、その衝撃で意識を失っていたようだ。

 呼吸をするのが苦しい。

 肋骨が何本か折れているような気がする。


 そうだ、ルーナ!ルーナはどこにいるんだ!


 痛めた体に鞭を打ち、俺は起き上がる。


 慌てて辺りを見渡すと少し先に、意識を失ったルーナが横たわっている。

 そして、ルーナの姿は徐々に薄暗い影に覆われていく。


 少し見上げると、ルーナにゆっくりと近づくキマイラの姿が見えた。


「ルーナ起きろ!殺されるぞ!」


 大声で呼びかける俺。

 肺のあたりがズキっと痛む。


 だが、ルーナの声を聞こえない。


 早くルーナの元へ行かないと……。

 ルーナを助けないと……。


 そう思っても俺の足は、まったく無反応なままだ。


 俺自身ももう動く力が残っていない。


 このままだと、ルーナが……。


 そう思った時、先程の夢を思い出す。

 彼女が俺に言ったあの言葉。


「あの杖を使う。今がその時」


 俺は、腰に身につけているホルダーに目をやる。

 老人からもらった白い杖は、怪しい光を放っていた。


 その時だった。


 俺は、体の底から力が沸々と湧き上がってくる感覚に襲われる。


 何だ……この感覚。


 そう思った矢先、俺は自然と白い杖に手を伸ばしていた。


 そして、老人が言っていたことを思い出す。


 ”血の契約を交わさない限り魔術を発動させることができない”


 俺は、右手の親指を口元へ持っていくと、奥歯でガリッと噛み締める。


 噛んだ傷口からは、真っ赤な血が流れ、持っている杖につたっていく。


「杖よ。血の契約を交わせ」


 何かに取り憑かれたかのように自然と口から発せられる。


 その瞬間。


 杖は、俺の血で真っ赤に染まり、俺の腕と共に赤い光を放ち始める。


 まるで杖と俺の体内に流れる血が同化していくかのように。


 今なら、魔術を使えるかもしれない……。


 そう思った時だった。


 ルーナとキマイラの距離はもうほんの数十センチ程になっていた。

 キマイラの影が、横たわるルーナを完全に覆う。


 そして、キマイラは、鋭い歯をギシギシと擦らせ、今にもルーナを噛み砕こうとしている様子であった。

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