3 赤毛の守護者
3-1
オーリの言うところの『力』とか『個性』とか、ステファンには正直よくわからない。ここに来てから魔法らしきものが使えたのは、アガーシャの一件だけだ。
早くかっこいい杖が欲しい、と痛切に思った。むろん杖を持ったからといって急にオーリのような魔法を使えるようになるとは思わないけれど。
母からは時々葉書が来る。細い滑るような文字で、お行儀よくしなさいとか勉強を怠らないようにとか、ようするに家で毎日聞かされていたのと同じような小言だ。不思議にも、葉書だと何を言われても怖くない。げんきんなもので、こうして家から離れてみると、あんなに心配でならなかった両親の離婚話ですら、なんだか遠い世界のことのように思えて、ステファンは頭からしばらく追い出してしまった。
日課の書き取りの勉強を簡単に済ませると、庭と森の境にある『半分屋敷』に向かう。屋敷といってもステファンが勝手にそう呼んでいるだけで、実際は小さな椅子が置ける程度の、ようするに小屋か
草に埋もれた石造りの壁を発見した時は遺跡にでも出会ったみたいに興奮したし、オーリから好きに使って良いと言われた時には、万歳を叫びたくなった。
草むしりなんてしたことがないステファンだったが、汗まみれ泥まみれでなんとかやっつけた。おまけに
古い石の壁は半分崩れているが、幸い屋根は残っていたので、ステファンは要らなくなったテーブルクロスをマーシャにもらい、屋根から地面まで斜めに張って
ステファンはここで過ごすのが好きだ。本を読もうが、木の枝を削ってでたらめな杖と呪文を作って遊ぼうが自由だ。もともと空想遊びの好きなステファンにとって、ここは誰にも邪魔されない秘密基地でもあった。
昼近くになってさすがに空腹を感じ、家に戻ってみると、珍しく不機嫌なオーリの声が聞こえてきた。
「だから、帰ってたんならひと言いってくれればいいだろう。気配まで消すとはどういうことだ守護者どの、こっちはずっと心配してたのに」
台所では、エレインがマーシャの隣に座って皮肉っぽく笑っている。
「あーらそう。マーシャの部屋で酒盛りしてたのよ。使い魔と遊んでる契約主よりよっぽど良く話を聞いてくれたわ」
「ほほほ、面白うございましたねえ」
マーシャは乾燥ハーブの葉を手際よく選別しながらうなずいた。
「ああそうだ、オーリが隠してたナントカって古いお酒ね、全部空けちゃったから」
「嘘だろ! あれは来客用なんだぞ」
「どうせお客なんて来ないじゃない?」
エレインはステファンに目配せした。どうやらオーリの反応を楽しんでいるようだ。
「エレイン様は賓客以上に大切なお方ですとも。ええ、ご遠慮なさるこたないです。それがわからない方にはこのくらいの『苦い薬』は必要ですよ」
しゃっくり止めに使う赤い葉を光に透かしながら、マーシャは横目でオーリを見た。
「なんてこった、マーシャまで感化されて」
オーリは手で顔を覆い、不機嫌なまま席を立った。
「ああそうだマーシャ、ファンギが家を覗いてたぞ。気をつけないと家中カビだらけにされちまうからな」
「おやまあ、ファンギが?」
マ-シャが目をキラッと光らせた。
「オーリ様、次に見つけたら森に帰す前に言ってくださいまし。今年の青カビチーズは発酵がうまくいかないってお隣の農場で言ってましたもの。ファンギをとっちめて仕事させてやらなくちゃ」
「それいい!楽しそう。手伝うわよマーシャ」
掛け合いのように言って笑う二人を前に、唖然としかいいようのない顔でオーリがつぶやいた。
「ステフ、どうする? うちの家には魔女より怖い女性がふたりもいるぞ……ああ、頭痛くなってきた」
門の外で、けたたましくカラスの騒ぐ声がする。
「エレイン、君の崇拝者が来たようだ」
むっつりした顔のまま、オーリは親指で背後を指差す。
「見もしないでよくわかるわね、背中に目でも付いてるの?」
エレインは外に向かいながらステファンの腕を引っ張った。
「なに?」
「一緒に来てよ。あたし、あいつ苦手なの」
カラスを気にしながら立っていたのは郵便配達の若者だった。
「や、やあエレインさん、いい天気になったね」
手紙の束を渡しながら、若者は思い切り愛想のいい笑顔を浮かべる。 年の頃は十八、九だろうが、そばかすだらけの童顔にだぶだぶの制服がなんとも不釣合いだ。
「はいどうも」
エレインがぶっきらぼうに手紙を受け取った後も若者はまだ何か言いたそうだったが、ふと隣に居るステファンに気付いていぶかしげな目をした。
「ええと、オーリ先生のお弟子さんで?」
「そうよ、名前はステファン、そのうちオーリなんかより有名になるから覚えておいて」
ステファンは驚いてエレインを見上げた。
「ふーん、こんなチビがねえ。いいな、俺も郵便配達なんて辞めて弟子入りしようかな」
「毎回カラスにつつかれてるようじゃダメね、あんたには魔力のカケラもなさそうだし。それより配達物に自分の手紙を紛れ込ませるのはやめなさい、あんた先週もそうしたでしょ」
若者は真っ赤になった。
「ステフ、どれかわかるよね? 返してあげて」
束になったままの手紙の中からやたらうわついた気配を見つけるのは簡単なことだ。ステファンは宛名も見ずに一通の封筒を選び出し、若者の手に返した。
「わかる? 弟子になれるのは、こういう子だけなの。あんたには立派な仕事があるんだから真面目にすることね。さあ、わかったら帰りな。それともカラスにそのバッジを取り上げさせようか?」
若者は真新しい郵便配達夫のバッジを押さえると、一目散に配達車へ駆け込んだ。
「やれやれ可哀想に。当分仕事がしづらいだろうな」
いつのまに来たのか、オーリがクスクス笑いながら背後に立っていた。
「迷惑だっての。だいたいあたしが人間の文字なんて読むわけないのに」
「そういうなよ。手紙の束に恋文をさりげなく紛れ込ませるなんて昔からよく使う手さ」
「面倒くさいのね人間て。竜人ならもっとストレートだわ。特に八月の大新月なら……」
そこまで言って、エレインは口を引き結んだ。珍しいな、とステファンが思う間もなく、封書を見ていたオーリが「うぇっ」と変な声をあげた。
「どうしたの先生、なにか悪い知らせとか?」
「いや、良い知らせと悪い知らせ、両方かな。まずステフ、喜んでくれ。オスカーのコレクションがいよいようちに送られてくることになった。君にも整理を手伝ってもらうからね。それと、悪い方、というかあまり歓迎したくないほう」
オーリは赤い封蝋の押された手紙をひらひらさせて、ふーっとため息をついた。
「うちの伯母からだよ。中を読まなくたっておおよその見当はつく。嫌だなぁ……」
「オーリ様、ちゃんと開封なさらないと」
子供をたしなめるような口調でマーシャがペーパーナイフを渡した。
「わかってるけどね、マーシャ……ああほら、やっぱりだ」
手紙を開封した途端、薄青い光があふれ、紙のように薄い映像が立ち上がる。それは黒いドレスの肖像画のような女性だったが、眼光は鋭いなんてもんじゃない。ひと目で魔女とわかってしまったステファンはあまりの威圧感にすくみあがってしまった。
魔女は重々しい口調でオーリに何かを告げると、じろりと周囲を一瞥して消えた。間髪を入れずオーリは封筒を閉じ、できるだけ小さく折りたたんでホーッと息をついた。
「今の何? なんて言ってたの? あたしのこと睨んでたけど」
「ああエレイン、失礼。伯母の虚像伝言だ。しゃべってたのは我が一族の母国語だよ。来月、大叔父の誕生祝いをするから必ず出席しろってさ――予想はしてたけど、気が滅入る」
「行ってらっしゃればればいいじゃありませんか。去年のように仮病はいけませんよ、後でわたくしが叱られます」
「くだらない、どうせ年寄り連中が移民時代や戦争中の苦労話を披露するだけさ。で、伯母たちにつかまったら最後、早く身を固めろだの、もっと魔法使いとして名を上げろだのうるさく説教されどおしだ。誰だって逃げたくもなるよ」
「……いいじゃない、一族がまだ生き残ってるんなら」
ぽつりとつぶやいたエレインの声に、オーリはハッとしたように顔を上げた。
「そうだな、ああ後で考えよう、こんな話は。それよりエレイン、どう? 久しぶりに一緒に散歩しないか?」
「結構よ。散歩なら好きな時にひとりで行けるもの」
エレインはプイと外に出てしまった。
「まずかった!」
オーリは手紙の束をステファンの手に押し付けると、急いでエレインの後を追った。
結局、昼を過ぎても二人が帰らないので、ステファンはマーシャと昼食を食べ、午後からは台所を手伝うはめになった。
「エレイン様もいろいろとお辛いんですよ。いつもは明るく振舞っていらっしゃいますけどね、明日は新月ですから……どうしても思い出してしまうんでしょうねえ」
マーシャは焼き菓子用の生地をこねながらため息をついた。ステファンはその横で、粘土細工でもするように生地を丸めている。
「新月だと、なにが辛いの?」
「ご存知なかったんですか。エレイン様は竜人でいらっしゃいますから、もともと竜人由来の魔力というものがございます。ちょうど坊ちゃんがここにいらっしゃったのは満月の頃でしたから、一番力が満ちて、輝いておいででした。あれから二週間、新月の日は月の光も、竜人の魔力も失せてしまいます。オーリ様がどんなに魔力を贈ろうとしてもこればかりは……エレイン様のご一族の最期も、ちょうど今頃でしたねえ」
袖口で眼鏡をずり上げるマーシャを見ながら、涙がお菓子に入らなきゃいいけど、とステファンは心配した。
「先生が前に言っていた、竜人の中でも特に変わってる一族のこと? さいごって?」
「わたくしの口からは申し上げられませんよ。オーリ様がたしか、竜人伝説の絵物語を描いていらっしゃいましたから、いつか読ませてもらいなさいまし」
竜や竜人のたどった道は、いずれ魔法使いもたどる道、オーリはそう言っていた。だとすれば、オーリの一族もいつかは……ステファンの背中に微かな寒気が走った。
「でも、坊ちゃんがうちに来てくださって、本当にようございました」
マーシャは型抜きした生地を並べながら微笑んだ。
「どうして?」
「家の中が本当に明るくなりましたもの。なんだかこのマーシャまで力をいただいたようで。ステファン坊ちゃん、なんという魔法を持っていらっしゃったんです?」
思いがけない言葉に、ステファンは目を何度も瞬いた。
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