6-2

「それよりオーリ、例の『からくり箱』のこと。何か対策は考えてるの? 来年から竜人と同居する条件が厳しくなるわよ」

 トーニャが声をひそめた。

「ああ、エレインとはいろいろ議論してるよ。けど、わかってもらえなくてね」

「しかし『からくり箱』とはよく言ったもんだよな。一見なんの変哲もない箱の中に隠し箱があるように、表向きは『いない』ことになっているドラゴンや竜人を、裏では管理する制度が出来てる。うぇーたいしたもんだ、この国は」

 茶化すようなユーリアンにかまわず、オーリは苦々しい顔をした。


「人間以外のヒトはこれを認めず、野蛮かつ希少な種として隔離の上保護する、だと。ばかばかしい、なにが『保護』だ。要するに竜人を管理区に閉じ込めて都合の良いときだけ使役しようってわけだろう。もともと人間と竜人は対等なはずなのに。それに野蛮な戦いをしかけたのはむしろ人間のほうだろう!」

「落ち着けオーリ。箱の中に箱、車輪の中に車輪、人形の中にまた人形。この世のくそったれな矛盾は巨大モンスターよりたちが悪い。お前がここで憤慨してても何も変わらないぞ」

「わかってるさ! 僕らだっておおやけには認められてないのに、結局はなんてからくりに縛られてるんだ。ああ、魔法使いなんて無力なもんだ。いいように振り回されて、何も意見できやしない」

 

 オーリは腹立ち紛れなのか癖なのか、テーブルの隅にあった紙にぐしゃぐしゃを描いている。ユーリアンはそれを目で追いながら思い出すように言った。

「他の奴らはどうしてるのかな。屈強な竜人と契約している魔法使いは多いから、皆なにかの抜け道を考えているだろうけど。確か、一定の職業に就いて届け出ればいいんじゃなかったっけ」

「でも守護者は『職業』としてどうなのかしら。魔法使いがおおやけに認められていないんだから、その守護者というのも有り得ない、と言われたら」

「ガルバイヤン家全体の守護者、ってのはどうだ?」


「いいよ。職業なんて適当にみつくろって書類をでっちあげる。それより問題はエレインのほうだ。彼女は子どもみたいに真っ直ぐで、表裏がなさすぎる。人間のややこしい事情なんて、ましてからくり箱なんて、何度説明してもわかってくれないんだ。届け出るときにはいろいろ聞かれるだろうから……困ったな」

「なあオーリ」

 ユーリアンは大きな瞳でじっとオーリの表情を伺いながら言った。

「いっそ、結婚しちまえば?」

 

 ポトリ。

 オーリの手からペンが落ちて転がる。

 石像のように固まったまま、その顔がみるみる赤くなる。

「な、な、なにを急に……なんでそんな話に」

「急に、じゃないだろうが。異種婚が法的にはどうなるか知らんが、考えたことくらいあるだろう」

「ばかな! そんなつもりで契約したんじゃない!」

 

 今や耳まで真っ赤になったオーリは、立ち上がって机を叩いた。

「ひと目惚れだったくせに」

 ユーリアンは落ち着き払って、オーリの心を見透かすような口ぶりでいる。

「いいかオーリ、覚悟を決めろ。エレインを守るためなら手段を尽くせ」

「そんな……無茶いうな」

 オーリは力なく椅子に座った。


「それこそ、エレインには理解しがたい話だ。いいか、竜人フィスス族を滅ぼしたのは人間だぞ。その人間と守護者契約をするってだけで大変だったんだから。それにあの一族は、普段は母親集団と父親集団が離れて暮らしてたんだ。『結婚』なんて考え方はもともと無い。ましてエレインなんて巫女みたいな育てられ方してたから……」

「何を言ってるんだか。どうして魔法使いってそういう考え方をするのかしら」


 トーニャは冷ややかに言って新しいお茶を注いだ。

「仮にエレインが理解したとして。身分を保証するための結婚、なんて誇り高い彼女が納得すると思う?」

「……どうすればいいんだ?」

「自分で考えなさい。まったくいい年をして手のかかる」

 すまし顔でカップを口に運ぶ従姉を、オーリはまだ赤い顔のまま睨んだ。


 ◇ ◇ ◇


「二人とも、帽子を被った方がいいわね。取ってきてあげる」

 エレインは汗を浮かべた前髪を跳ね上げると、家の中に戻って行った。 

 8月も終わりとはいえ、日中はやはり暑い。アーニャは追いかけっこに飽きたのか、涼しい生垣の下にしゃがみこんで花びらを拾い始めた。


「あん、とぅー、ぴー、ぽぉー」

 数を数えているのか、それとも呪文のつもりなのか。小さい指が動く度に、花びらがひらひらと舞い上がる。

 さっきキャンディーを捕まえたことを思えば、花びらを舞わせることなど何の苦も無いのだろう。

 

 この子は家の中でこんな遊びをしても、叱られたことなんか無いんだろうな、そうぼんやり思いながら、ステファンも無意識に花びらを捕まえた。

「だぁーっめ! め!」

 急にアーニャが立ち上がり、ドン、とステファンを突いた。

「な、なんだよ」

「め! アーニャがしゅゆ(する)の!」

 口を尖らせて小さなこぶしを振ると、つむじ風のように花びらが舞う。

 

 ステファンは鼻の頭にシワを寄せた。――生意気なチビだ。さっきちょっとでも可愛いなんて思って損した。

「ステフ、ちょっと入って。オーリが呼んでる」

 エレインの声に救われた。あと5分、このチビ魔女の子守をさせられていたら、ほっぺたをつねるくらいはしていたかもしれない。


 ダイニングではオーリが落ち着き無く歩き回っていた。トーニャもユーリアンも、懸命に笑いをこらえているのがわかる。ステファンはこっそりとエレインに訊ねてみた。


「ね、先生どうかしちゃったの?」

「知らない。さっきからああなんだもん。熱いお茶でも飲みすぎたんじゃない?」

 エレインはさっぱりわからない、という顔で肩をすくめて、再び庭へ出た。


「あー、ステファン、待たせて悪い。さっさと本来の目的を果たすとしよう」

 咳払いして座るオーリの頬は少し赤いように見える。なるほどエレインの言うとおりかも、と思いながら、ステファンはテーブルに目を留めた。あの『忘却の辞書』が置かれている。


「保管庫の中で見たことを、わたしたちにも話してくれる? どんな小さなことでもいいから」

 トーニャの声は優しいが、目は油断なくステファンを観察している。


 こんな目で見られるのはあまりいい気分ではないし、正直言って、保管庫のことはあんまり思い出したくない。けれどオスカーの手掛かりを少しでも見つけるためだ。ステファンはとつとつと語り始めた――もちろん、ファントムの前で大泣きした事は抜きにして。

 

 ステファンが語り、オーリが話の合間に補足をする。トーニャは二人から目を離さないままでメモを取っている。手だけが別の生き物のように動くさまは、オーリが羽根ペンで絵を描く時と似ている。


「面白い?」

 ステファンが不思議そうに手元を見ているのに気付いたのか、トーニャはペンを止めて微笑んだ。

「トーニャは魔女出版の記者なんだ。ほら、いつかのトラフズクを覚えているだろう」

「今は『もと記者』よ。最近はデスクワークばかりで面白くなかったから、こういうのは楽しいわね。で、それから?」

「それから……いや、それで全部だ」


 きっぱり答えるオーリに、ステファンは心の中で感謝した。ステファンが勝手に保管庫の鍵を開けたことや泣いたこと、しばらく起き上がれなかったことには、少しも触れなかったからだ。

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