6-3
「ふ、まあいいわ。さて、この中から何か手掛かりが見つかるといいけど」
メモ帳を繰るトーニャの表情は、笑いを含んでいる。心を見透かされているようでステファンは不愉快だったが、ここは我慢して力を借りるしかない。
「トーニャ、くれぐれも言っとくけど、これは仕事として頼んでるわけじゃないから」
オーリは油断なく
「当たり前よ。いくら魔女がゴシップ好きでも友人探しまで記事のネタになんかしない。そのくらいの節度はわきまえているわ。それより問題はオスカーの手紙ね」
「んー、わからないことだらけなんだよなあ」
ユーリアンはさっきから辞書とオスカーの手紙を何度もひっくり返して見ている。裏表紙の見返しと一続きの遊び紙が、綴じ代を僅かに残してきれいに焼き切られている。
「最初にオーリからこの手紙を見せられた時にもいろいろ調べたけど、おかしいと思ってたんだ。紙の繊維が、罫線に対して横目になってる。つまり本来なら縦長で使うべき紙を、わざわざ横にして使ってる。なぜだろう、とね。まさか辞書の遊び紙を使ったとは思わなかったよ」
「ぼく、その手紙には続きがあると思ってた」
ステファンは最初にこの手紙を見た時のことを思い出して残念そうに言った。
「わたしもだ。最後の行のすぐ下が焦げてるものな。ページを焼き切ったとは……普通に切ったり破いたりできなかったってことか?」
「それもある」
ユーリアンは黒く大きな目で丹念に焦げ跡を透かし見た。
「トーニャが言うには、古い魔女が祭文に使った特種な紙だそうだ。ドラゴンの油を漉きこむそうだよ。黒い焦げ色はその脂肪分が燃えた、炭素の色だ。この紙には言葉を守る力があると言われているが、手で引っ張ったくらいではもちろん破けないし、刃物を当てようとすると逆に呪いを受ける。オーリ、もう魔法は解かれたわけだし、辞書を分解してみてもいいかな」
「ああ、もちろん。ただ気をつけてくれ、ユーリアン」
ユーリアンは黒褐色の杖を持ってくると、指先でくるりと回した。オーリがやっていたのと同じ動作だ。肘までの長さになった杖を慎重に辞書に向ける。
微振動が置き、ぱらぱらとページが開いて、辞書がひとりでに分解され始める。ステファンはごくりと唾を飲み込んだ。
「まず表紙だ。この革は
ステファンは懸命に目を凝らし、滲むような薄い文字を読み上げた。
『ただメルセイの熱針をもってのみ我を分かつべし』
「よく読めるわね! 私にはインク染みにしか見えないわ」
驚きの声をあげるトーニャをよそに、オーリとユーリアンは目を見合わせ、してやったりという顔をした。
「先生、メルセイの熱針って?」
「その昔メルセイという賢者が作った、熱を発する鉱物針だよ。主に呪い除けに使うんだ。オスカーはどこかで手に入れたのかな」
「熱で紙を焼いたってこと? 炎じゃなく?」
「ああ。紙を焼くには結構な高温が必要なんだけど、炎だと辞書本体まで焼いてしまう恐れがあるからね。なるほど、紙を立てておいて熱針を横から当てて切り取った、ということかな、ユーリアン?」
黙ってうなずくユーリアンは、指揮者のような手付きで杖を振っている。
「さて、本体ページは……ノド部分に何か隠してないか……いや特に変な加工は見られない。どうってことのない普通のインディーヤ・ペーパーだな。タバコの巻紙にだって使えるよ」
タバコ、と聞いてトーニャがテーブルの下で夫の足を蹴った。
「いや、例えだよ、たとえ。僕はちゃんと禁煙してるから、トーニャ。オスカーがこの辞書を借りた目的はやはり、忘却魔法と特種紙か……」
「ひどいな、お父さんたら」
ステファンは沈んだ顔をした。
「先生から借りた本を勝手に切るなんてさ。それにどうせなら、って言ったら悪いけど、お母さんの記憶を消すなら、『離婚』て言葉も消せばよかったのに。なんでそうしなかったのかな」
「ステファン」
オーリもまた、沈痛な顔でこぶしを額に押し当てた。
「オスカーが以前、わたしに言ったことがあるんだ。『ミレイユの最大の不幸を消してあげたい』とね。もしかしたらそれと関係するんじゃないかと思えてきた」
「最大の、不幸?」
思いもよらない言葉に皆が固唾を呑んだ。
部屋の中がしんとしてしまった。聞こえるのは、陽射しの中で遊ぶアーニャの無邪気な声ばかりだ。
沈黙を破って、ステファンがおずおずと訊ねた。
「ぼくのお母さんて、不幸なの?」
「あ、いや。オスカーがそう言っただけで、実際にそうだとは……」
「不幸って何? ぼくがこんな力を持っちゃったってこと?」
ステファンはオーリの袖を引っ張って真剣な顔を向けた。
「ばかな」
オーリは驚きながらたしなめるように首を振った。
「君のことじゃないよ。そんな心配をするなら、この話はやめよう。こら、離しなさい」
だがステファンは目を真っ直ぐオーリに向けて食い下がった。
「言いかけた話を途中で止めるのは男らしくないってお父さん言ってたよ。それにぼくのお母さんのことなんだから、ちゃんと知りたい! 手紙のことだって変だよ。封筒は? 一緒に焼けたんじゃないんだね? 消印がどうの、って前に言ってたけど、なぜ一度も見せてくれないの?」
たたみかけるように質問を浴びせるステファンの顔を、オーリはまじまじと見ていたが、やがて顔をしかめて銀髪をかきむしった。
「ああもう、そんなオスカーみたいな目をするな! わかったよ、順を追って話すから! まったく君ら親子ときたら……」
「確かにオスカーとそっくりだ。いい弟子を持ったな、オーリ」
茶化すユーリアンをひと睨みして、オーリは目の前の冷めたお茶を一気に飲み干した。
「いいかステフ、まず謝っておこう。封筒なんて最初から無い。だから消印の話もでたらめだ。あの手紙は、オスカーがこっそり飼ってたガーゴイルが運んで来たんだよ」
「ええ?」
すっ頓狂なステファンの声に、ユーリアンが身を乗り出した。
「じゃ、差出人の住所の話は?」
「それは本当にわからないんだ。少なくとも自宅近くからじゃない。オスカーと連絡を取れなくなって何週間も経って届いたし、ガーゴイルの足にあの近辺にはない泥が付いてたからね。だけど『使い魔』だの『ガーゴイル』だの、魔法に縁の無い人に言って通じるかい? 納得させようと思ったら、ああいう言い方をするしかなかったんだ」
それはそうだろう、とステファンも思った。特に、ミレイユが相手では。
「先生、その手紙を運んだガーゴイルって、今も居る?」
「居るには居るけど、もうなにも教えてはくれないよ。手紙を置いた途端にこと切れたんでね。ほら、うちの庭でウロウロしてるやつ」
庭でウロウロ――『男爵』のことだ。ステファンは姿が消えたり見えたりするガーゴイルを思い出してぞっとした。まさか、幽霊だったとは……
「それからミレイユさんのことだが。む……」
オーリは言いよどんだが、相変わらずのステファンの目に急かされるように言葉を継いだ。
「ステフ、亡くなった六人の伯父さんたちのことを聞いたことがあるかな」
「ええと確か、戦争とか、病気とかで次々に死んじゃったって」
「そう。だが一人だけ、屋根からの墜落事故で亡くなった人が居る。ウルリクという人だ」
オーリは窓の外に目を向け、苦い表情をした。
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